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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
幕間 その1
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幕間 - 09 とある少女の不運な一日

 うつむけた顔に、指がかかる。芋虫のようなというと陳腐だが、まさにその形容がお似合いの指だった。その湿った熱い指が顎をとらえ、くちびるにちかづいてくる。


「ふん、きれいなもんだな。これで女だったら売らずに取っとくところだ」


 視線が首筋を、胸元を舐め、腰へおりていく。その瞬間に、嫌悪が理性をうわまわっていた。反射的に肩口で男の手首を打つ。ああ、やってしまった。後悔する間にも、男は即座に激昂して、腕をふりかぶっている。


 殴られる──


 背後は壁である。しかし、下手にうごいて小刀をみられたり落としたりしてはかなわない。かわしかねたのを、少年があいだに入ってかばってくれる。そんなわけにいくか。自分が蒔いた種だ。私がそれをさらにどかそうと動き。


 最終的に、何の音もなかった。

 面長の店主が男を制していた。通りにいる大勢の遊蕩客たちの手前、物腰はやわらかにほほえんではいる。だが、彼がつかんでいる男の腕はみるみる鬱血して赤くなっていった。


 我に返って、私は指先に力をこめた。ぷつりと、最後の繊維が切れる。縄を落とさぬようにつかんだまま、少年に目配せする。ひそやかに彼に小刀を手渡すと、彼は三つ四つ数えるあいだにあっさりと縄を断った。やはり、なんだか手慣れているようだ。すぐに小刀を返してよこす。


 私は後ろ手に小刀を握りこんだ。


「商品に手をあげるものじゃない。顔なんか叩いたら、腫れが引くまで最低三日、店にはだせないんだ。タダ飯食わすために買えっていうのかな、そちらさんは」


 店主はまだ男を離さない。よほど頭にきたのか、軽く揺さぶりはじめる。


「だいたいね、この子らのどこが浮浪児なんだい。いいところのぼっちゃんにしか見えないんだけどね!」


 いまだ。少年といっしょに、私は縄を手放した。一気にかけだして、今度こそ上の街への関門へむかう。彼だけならあちらに押しこんででも帰そう。私は一時的に保護さえしてもらえればいい。


 酔客を押しのけかきわけているうちに、知らず、少年と手をつないでいた。ふたりでそのことに同時に気がつき、走りながらハッと目線を交わす。どちらともなく目をそらして、ひたすら前へ前へと進む。


 店々の軒先につるされた灯籠がまばゆいまでに通りを照らしだしている。惜しげもなく油を入れてあるのだろう。足元の砂の粒さえ影をおびている。夜だというのにこの明るさと人通りがあることに、四日目でもまだおどろいてしまう。


 行き交う者たちに出身階層の差はみられない。上流階級だけ、下層民だけということではない。すこし懐の寒そうな者でも、ぜいをこらして金持ちのようにふるまっている。そのくせ、入る店はじっくりと吟味して決める。それが私にはいとおしくてならない。

 町が栄えるとはこういうことなのだろう。町人がしゃれっ気を失ったら、その町はおわりだ。着るものや身を飾るものに金子をだせないということなのだから。


「──カ!」


 よばれた気がして、私は期待とともにふりむいた。声の主をたしかめようとして、先を行く少年に腕をひかれる。

 目で探す。もう一度呼ばれて、見つけだす。


 あの年若い商人だった。落胆を隠せなくて、あんまりにももうしわけなかった。がっかりした顔を彼に見せまいとして、私はふたたび走りだす。


「相棒か?」

「違う」


 短いやりとりだが、察してくれたのか、少年は他には何も聞かない。ふたりで足を早めると、人波にはじかれて、引き離されそうになる。たがいに手を握りあう力が強くなる。


「関門についたら、素直に家名を出して、上の街へ入って。あなただけでも門衛に保護してもらうんだ」

「危険だ。いっしょにつれていく」


 少年が私の手指をぐっと握りしめる。そのじわじわとした痛みにほほえんで、私はきっぱりと首をふる。


「私はあちらには行けない」


 足がゆるんだ。少年は肩越しにふりかえり、酔客にぶつかって、謝って、またこちらを凝視した。


「どうして。相棒とやらのことか? たった一日の留守で見捨てられてしまうものではなかろう? 何なら、あとで探しだして……」

「違うんだ」


 空いた手で布越しに左目にふれる。


「私には資格がない」


 この目とともに、戦場に捨ててきてしまった。いや、それ以前に、もう資格を失っていたのだろう。ナギにあの短剣をもらって、私の長剣を手渡した半年前に。傭兵となったあの日に。


 シラ王国では、金属が産出されにくい。貴重な金属をふんだんにつかった長剣はそれだけで身分をも証立てる。その長剣を、私はひとに遣ったのだ。


 力は弱まらない。新緑の瞳はもうこちらを見ようともしなかった。


「それに、短剣を取り戻さなければいけないから」


 それまで短剣の奪還のことは考えてもいなかった。だが、ぽろりとこぼれたそのことばが案外、本音のような気がした。

 少年は私の言い分をあっさりと切って捨ててよこした。


「そんなもの、衛士に通報すれば、すぐにも戻ってくる。まずは身の安全を確保するのが先決だろう」


 私は渾身の力で少年の手をはらっていた。黙って、彼よりも前に出る。


「えっ、あ、待て!」


 肘をつかまれる。ふりはらって行こうとするのを、さらにひきとめられる。私は少年をにらみつけた。


「愛馬をうばわれた騎士にも、おなじことを言える?」


 彼はほうけて、それから顔をわずかに歪ませた。

 言えないだろう。私だって言えない。


「……すまない。言いかたが悪かった」


 うなだれる少年にも、私は謝らなかった。何もいってやるものか。この件はしばらく、胸でくすぶっていそうだ。

 私はただ少年に腕を伸ばして、手をつなぎなおす。彼はぽかんとして私にまむかって、数瞬ののち、娘のように無防備に笑った。あまりのうるわしさについつい見蕩れてから、私は我に返った。美少年にうつつを抜かしている場合ではない。逃げなければ。


「行こう」

「ああ」


 関門の頭はみえている。その門扉がひらかれようとしていた。夜のあいだは閉じたきりにしておくものだが、例外はある。上客だろうか、人が通るのだろう。貴族のお忍びかもしれない。


 あれが開いているうちに、急がねば。ひとたび閉じてしまえば、もう一度開けるにはそれなりの時間がいる。男らや店主らがこちらへたどりつく前に、なんとか少年をあちらへ押しこんでしまわなければならない。


 門が大きく開く。門衛があちらとこちらにふたりずつ、花柳街から上の街へひとが流れ込むのを警戒して、目をぎらつかせている。私たちは臆せず、その前へと飛びだした。


「あ──」


 押し殺した声だった。少年の声に、私は事態をうかがおうと顔をあげた。彼の視線の先にはまさにこちらへ入ってこようとしている男がいる。三十歳過ぎだろうか。砂色のやわらかそうな髪と、翡翠の瞳をした美丈夫である。この街ではずいぶんともてそうだった。顔色の悪い従僕らしい男がひとりついてきている。ふたりとも、南国風のいでたちである。


「知り合いか?」


 小さくたずねると、少年はためらいつつもうなずく。が、なんだか衝撃を隠しきれないようすである。さてはむかってくるあの男、少年の前では花柳街とは無縁の堅物を演じていたのだろうか。

 私はためらわなかった。


「失礼! そちらのかた、お願いがございます!」


 大声で呼びかける。手をつないでいた少年がびくっとして、逃げかける。それを押さえつけ、私は返答を待った。

 美丈夫は私を見、少年を見て、「おや」とつぶやくようにした。おもしろそうにする。


「君もここにくるお年頃になったのか。それはめでたい。お隣は君の『いいひと』?」

「ち、違」


 たじろぐ少年のことばをさえぎって、私は彼から手を離し、男のほうへと背を押しやった。と、男は私を見て首をかしげる。


「遊興にいらしたところにもうしわけありませんが、このかたの保護をお願いいたします。たちの悪い者に追われているのです」


 ひといきにいうと、男はさも楽しげにからからと笑った。


「いいでしょう、引き受けますよ、お嬢さん。──ビショー、今日はやめだ。帰る」


 男が少年の肩を抱いてきびすをかえすと、彼は不自然になすがままになる。まさかとは思うが、上の街で敵対している家の者に引き渡してしまったかと不安になる。

 私の心配を、少年の声がうちはらった。


「名を、名を教えてくれ!」


 明朗な声音。もう見慣れた新緑が真剣な色をはらんで、こちらをとらえる。


「ルカ。私の名は、ルカだ!」


 口元に手を添えて大声で叫んだところで、大勢の足音が響いた。少年に背をむけ、せいいっぱいの虚勢をはって、追っ手を見回す。私の背後で、王都の上下を分かつ門扉はすべてを拒むように固く閉ざされた。







『とある少女の不運な一日』了






(過去サイトでの作品時間までたどり着けますように!)

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