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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
幕間 その1
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幕間 - 06 とある少女の不運な一日

 目をひらくと、あたりは暗く淀んでいた。花柳街のあの路地のような湿ってこもった臭気と、ほこりっぽさにむせる。床になど横たわっているせいだ。


 この部屋に、灯火はないようだった。だが、視界は思ったほど悪くない。

 なんと狭い部屋か。腕をのばせば、むこうの壁に指先がとどきそうだった。石牢といったおもむきである。入り口からの奥行きはないが横長な部屋で、縦の二倍か三倍の幅がありそうだ。入り口以外にひとつだけ、外に通じている窓があるが、戸も硝子もなく、格子だけである。


 紺色の空がみえる。そうか、あの窓から街の灯のひかりがさし込んでいるのか。

 起きあがると、肩から重いものが落ちた。つかむと、やや厚めのざらりとした布地だとわかる。なれた感触だ。自分の外套だった。


「気がついたか」


 声がする。少年が寄ってくる。その肩から、外套がなくなっていた。数歩離れたところに腰をおろして、手を握ったりひらいたりとしきりと動かしている。寒いのかもしれない。いまは冬だ。凍えてしまう。自分で脱いだのではないようだった。きっと、男たちに剥がれたのだ。あれだけ上質の外套なら、高く売れることだろう。


「これを」


 私が自分の外套をさしだすと、少年はかたくなに拒む。それでも、私は彼に外套を押しつけて、頭に手をやった。


「ほこりっぽいかもしれないが、我慢して」

「……確かにこれでは売り物にならないな」


 これがナギの言ったことばなら、失礼なやつだと言い返しもする。しかし、他ならぬ少年である。冗談や皮肉ではなく、本心を口にしてしまったのだろう。私は苦笑して、頭に被っていた布をほどき、自分の肩にかけた。


 売れなくて、あたりまえだ。戦場でも着ていたのだ。洗いおとしはしたが、一度ではなく血を吸って黒く染まった布地である。旅路にはそれでよくても、町で暮らすならそろそろ買い換えるべきかもしれない。


「悪い」


 自分でも失言に気づいたらしく、あわてたように謝る少年に、私は首をふった。


「寒くはないか? 何なら、これも貸そう」


 肩にかけたさらしをつまんで示すと、少年は要らないと手で断って、それから、私の顔を注視した。

 小間物屋の女店主と同じ視線の質に、私は次になげかけられるだろう質問をほとんど予知していた。


「その目は?」

「戦争で。すっかりえぐれている」


 なるべく穏やかに、だが、間髪いれずにこたえると、少年は思ったとおり、ことばをうしなう。


 なぐさめはいらない。同情も、だ。私は会話の内容をごまかすようにさらしを肩から外した。広げて、少年のそばまで膝立ちで歩く。右腰のあたりが軽い。腰の得物がなくなっている。短剣も奪われてしまったらしい。


 ふたりそろって丸腰か。苦々しく思いながら、かがみこんで、両肩に腕をまわす。

 ふわりと空気をはらんでふくらんださらしは、すぐにぺたりと少年の肩にはりついた。これでも、すこしはあたたかさが違うだろう。


 寒いのには慣れている。防寒着が無くても、しばらくは平気だ。

 少年はと見ると、私を凝視していた。いや、違う。私のからだをじっと見、て……?


「女だったのか!」

「なっ……、どこをみていった、いまのっ」


 胸元を押さえて、とびすさる。床へへたりこむと、耳や首筋が熱をおびるのを感じた。

 何か言ってくれ。見られた私のほうが決まり悪い。私は少年のことを見ていられなくなった。床ばかり見つめてしまう。


「わ、わざとではっ」


 少年の下手な弁明に、私は片手で顔をおおった。わざとでなかったことなど、私だって痛いほどわかる。彼はぜったい、私を同年代の男だと思いこんでいた。それでも、その言いかたはない。まるで、わざとのようではないか。

 私は気持ちを一新するように深呼吸した。


「わかる」


 なおも言い訳を続けそうな少年をそのひとことでなだめ、私は彼の隣へと座りこんだ。


「状況──そう、状況は?」

「我々は、売られる、らしい。あちらでは、花柳の店の者と、男たちが交渉している。耳を澄ませば、よく聴こえる」


 おたがいにぎこちなく会話を続ける。少年はやっと落ち着いてくれたようで、ことばにすこし遅れて、背後の壁を親指で示した。


「私は、女にまちがわれているのか?」


 少年の容姿ならば、ありえないことではない。けれども、ここには彼だけではなく私がいるのだ。ありえまい。

 世間知らずな物言いに、私は肩をすくめた。


「男娼ふたりだろうな、この流れで行くと」


 照れ半分、自嘲半分で低く笑って、私はあおむき、壁へとよりかかった。こつん、と頭頂を冷たい壁にあてる。


「花柳街にて春をひさいでいるのは女ばかりではないのだそうだ」

「『はるをひさいで』?」


 ああ、おぼっちゃんにはわからないか。


「性的な意味でからだを売ることだ」

「……そっ、そうなのか。そのような職業があるとは、寡聞にして知らなかった。では、ご婦人がたが、男を?」

「違う。男が男を、だ」

「────っ」


 少年は絶句した。こころもち、顔が青ざめたようにも見える。彼のいまの気持ちは、女の私でも察してあまりある。


「それで? 逃げられそうなようすか?」


 おぼっちゃんには少々刺激が強すぎたかと気遣って、私はさりげなく話題を転換させた。少年は我に返ったようにこちらを見て、盗み聞いた隣室の状況をとつとつと語りだした。


「あの男たち以外に店主らしき者が三、四人ほどいる。男たちの売りこみ……いや、言いかたが悪かったようだ。迷子をひろったともらしてしまった。身元確認に追われている」


 私は口元に手を当て、沈思黙考した。その人数相手に逃げるのは容易ではなかろう。何せ、こちらは武器を持たないのである。だが、私はともかく、少年はあえて逃げなくてもよさそうだった。


「身元さえわかれば、あなたは外にでられる。貴族だろう? 下手に逆らってはいけない。花柳の男は人あたりこそやわらかいが、簡単言うことを聞いたり信じたりしてくれる連中ではない」

「従者だと言おう」

「すぐに嘘だとばれる。店主たちだけならまだしも、男どもはだませまい」


 私は息をついた。足を抱え、額を膝に置く。


「巻きこんで、悪かった。私の不注意だ」


 少年は即座に言いかえしてきた。


「停学覚悟で手をだしたのだ。自業自得だ」

「停学? ……学院に、通っているのか?」


 学院には、恩師がいる。彼女を知っているかと口にしかけたのを、少年がさえぎった。


「いや、士官学校だ」

「そう、か……」


 期せずして落胆を声色にだしてしまい、すぐさま失礼なことをしたと悔やんだ。どうしよう。何か、ごまかせる手だてはないものか。

 思いたって、こちらをうかがう少年をからかうように、私はにっとくちびるの端をあげてみせた。


「書店街に通う士官学校生、か」


 士官学校とは、このシラ王国の近衛軍の士官候補生たちを育成する機関である。公学校に行くのだって、実家の財力が必要不可欠なご時世である。士官学校には国中の有力貴族の子弟のみが集っているはずだ。


 貴族男子には文武両道が求められる。とはいえ、士官学校生ともあろう者が書店街に足を運ぶほど書物に傾倒しているのは、あまりほめられたことではない。貴族が市街を歩くこともめずらしいことだ。わざわざ書店街へおもむくなど、じゅうにぶんに奇人の部類である。

 少年も気にはしていたのだろう。端麗な線を描く眉がよせられる。


「今日が初めてだ! 本は嫌いではないが」


 むっとしたように言ってから、くちびるをひんまげる。ぷいっとむこうをむいてしまう。ことばづかいに似つかわしくない子どもっぽさに、私はつい笑ってしまっていた。なんともかわいらしいではないか。


 笑い声が聞こえたのだろう。あちらをむいたままの少年の肩がぐっといかる。それも、いまの私には笑いの種にしかならない。


「私も、本は好きだ。……だが、軍人には少々不似合いな趣味なのはたしかだ」

「軍人になる気などなかったのだ。出世欲もない。学校には入ったが、卒業しても政界の端にいられれば、それでよいと思っていた」

「それだって、じゅうぶん贅沢な望みだ」


 女の私の手にはけして入らないものを『最低限』として口にする少年にいらだっていた。笑みはふくんでいたが、いささかつっけんどんに返したら、彼は押し黙った。

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