幕間 - 04 とある少女の不運な一日
商人はひとのよい笑顔で迎えてくれた。すこぅし、面はゆいような気分になる。
昨晩、王都の門が閉まる直前に着いたとは聞いていたが、商品の搬入はまだであったらしい。小間物屋の前にとまった荷馬車の傍で、店主らしき中年の女性がこちらを待っている。
「あれ、友達かい?」
直接ではなく、肩でかくすように商人は書店街を指さす。私は示された先をふりむきもせずに否定した。
「いや、たまたまそこに居合わせただけの赤の他人だ」
正直にいうと、商人はぷっと吹きだした。おどろいて彼を見ると、手で口元を覆いかくしている。そのうえにのぞく目元はやわらかく細められていた。
「な、何がおかしいんだ」
「仲がいいのはよいことだね」
「だから違うと言っているっ」
握った手をふってまで主張したら、商人は手を外して、ははっと声をたてて笑って、私の背を叩いてよこした。
「オレにもあったなぁ、友達って響きが照れくさかった時期。……おかみさん、いまから降ろしますから!」
後半は小間物屋の女店主にむかって叫び、商人は小走りになった。そこで会話が終わるのが不服ながらも、私は彼のあとについていった。ナギのせいで宿代がかさんでいる。この程度の手伝いでそれが浮くなら、願ってもない。
先の戦争のおかげで、報酬に一カランずつ与えられたとはいえ、それを食いつぶしてはいざというときに首がまわらなくなる。私の短剣だって、ナギの長剣だって、いつまでも使えるものではない。打ち直したり買い換えたら、それなりに費用がかかる……らしい。
誰にも聞こえていないにもかかわらず、内心の考えが恥ずかしくなって、私は指で頬をかいた。実のところ、武器や服や宿、食事の代金のことは不得手である。いままでは私がそうしたことに気を取られずとも、誰かが影で調えてくれていた。貨幣にふれたのだって、戦争後の報酬をもらったときがはじめてだ。
商人は荷台の幕をめくって、私を近くに呼んだ。薄暗い荷台のなかを指さして、あれこれと指示をする。
「いいかい? こっちの山は全部割れものや壊れやすいものだ。おかみさんに手渡してくれ。あっちは粉だから、オレが二軒先の料理屋に運んでくる。そのあいだは馬車を見ててくれ」
「私に粉のほうを任せてくれないか。不器用なんだ」
「無理だよ。女の子には重すぎる」
「……っ!」
商人がさらりと口にしたことに私は刮目した。ことばもついでに失っていると、彼はこちらのようすに気づいて、今度はほほえんだ。
「いつから気づいていた」
「男には甘菓子なんて勧めないよ。おごってやるなら、酒だろうね」
そうなのか!
私がなおも目をしばたいて絶句していると、商人はひょいっと両肩をすくめた。
「なんだ、まるで脈無しか。男友達を放ってとんでくるから、てっきり、」
「お兄ちゃん、いつになったら荷を降ろしてどいてくれるんだい? ウチは夕刻でなくても店を開けるんだ。早くしておくれ」
無駄口を叩くなとばかりに話をさえぎって、女店主は腰に手をあてた。商人はあわてて、ただいま! と返して、荷台によじのぼる。私も割れものとやらをそうっと手にとり、店へと運びこむ。
「お待ち、ぼく」
店の入り口をくぐる直前だった。女店主の声にふりかえる。彼女は私をじっと見つめて、近寄ってきた。指が顔に触れる。くいっと顎をもちあげられるが、割れものが気になって抵抗できない。きれいに薄紅に染めた爪が視界の端をちらちらしている。その指が、左目を覆った包帯をつまみあげた。
すっと、眉が寄る。
「ずいぶん痛々しい傷だこと。これじゃ、なかなか買い取ってもらえないだろうに」
「『買い取る』?」
くりかえすと、虚をつかれたような顔になって、女店主は私を凝視した。
「あの白髪の兄さん、あんたを店に売りにきたんじゃないの? この何日か、うわさになってたけど。ひとりで出歩いてるところをみると、違うようだね。……あら。この傷、刃物かい? 縦にまっすぐかきあげられたのか。目、あかないの?」
「ああ、つぶれている。戦争で、アダル兵の槍にやられた」
まぁぁ! 女店主はびっくりしたような、興味深そうな顔になって、ふたたびしげしげと傷を見た。そっと、指でなぞる。ひんやりした指のくすぐったさに身をよじると、女店主は謝り、それから、私と目をあわせた。
「そのナリで傭兵とは恐れ入ったね。辛かっただろう?」
もう何度も耳にした問いに、つい笑いがもれてしまう。
「仲間がいたから、楽しいときだってあった。傭兵だからと言って、いつもいつも戦うばかりではない。いい経験をしたと思っている」
仲間をなくした。何人も戦場に行ったきり、帰ってこなかった。まったく辛くないと言えば、嘘になる。でも、いま目の前の女店主があっさりと「辛かっただろう」のひとことで戦争を片づけられるのも、自分たちが命を賭したからだと思うと、誇らしい気にさえなる。
私は女店主の手が離れるのを待って、店の奥に荷物を置いた。ふりかえるまでの一瞬で、胸元にさげている木筒を手でさぐる。形見のひとつだ。小刀である。外套の下に腕をいれて、指で胸をたどる。
「──あ、れ?」
肩口の留め金を外す。外套の前をあけて、両手でまさぐる。
無い。
「なんだい?」
「い、いや、何でもない」
いいながら、目で地面をさがす。手はかくしを手当たり次第にひっくりかえす。自分の荷は昼過ぎに出たとき、ナギにまかせてきたきりである。あのなかに入れてきたのだろうか。
そうであれば、いいのだが。
不安になりながら仕事をこなし、商人とともに宿にもどったまではよかったのだ。
「部屋にはお通しできません」
番頭は私の顔を見るなり、その場に引き留めた。入り口まで押しだされて、番頭のむこうの商人を見る。助けをもとめたつもりはなかったが、彼はすぐに割って入ってくれた。
「部屋は取ってあるんでしょう? 宿代ならオレが」
「このかたにはお引き取り願います」
かたくななようすに、私はもうあらかた察しがついていた。それ以上の抵抗をせずに、番頭をあおぐ。
「今度は誰を口説いたんだ」
「大尽の気に入りの女郎を。あれがあんな男に熱をあげちゃあ、商売あがったりだ」
丁寧だった口調が剥がれて、番頭はそう言い捨てた。客商売だというのに憎々しげな表情を隠しもしない。相当、頭にきているのだろう。それでも追いだすだけですませてくれる温情に感じ入って、私は姿勢を正した。
「わかった。それは、とんだ迷惑をかけたな。私の監督不行届だ。すまなかった」
頭を下げる。三つほど数えたころになって、いいから行ってくれと声がかかる。ゆるゆるとからだを起こし、番頭の肩越しに商人をみやる。心配そうな顔に笑いかけて、私はぱっと身をひるがえした。