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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
幕間 その1
24/67

幕間 - 02 とある少女の不運な一日

 行き先は告げてこなかった。遅くなれば、あの青年はまた要らぬ心配をしてくれるのだろうか。


 道端には店がめっきり少なくなる。あたりには娼妓ひとりおらず、人はまばらだった。隠れる場所がない。ふりかえると、私のいる場所を頂点として、ふたつに道がわかれている。するどく折りかえすかたちである。人ごみをぬけた男たちが左に、そして、右には見たことのない小さな通りがあった。


 軒の長い店ばかりが続いている。書店だ。書物を売る店は日を嫌う。日光を浴びると、売りものが傷んでしまうからである。

 書店街に逃げこむべきではない。人の少ないところへと逃げるのは、私のような素人でも得策ではないと感じる。いまよりも危険が増すばかりだ。


 私はためらった。このまままっすぐ行けば、また繁華街や分かれ道があるだろうか。もしも何もなくて王都の外壁までたどりついてしまったら、身を隠す人ごみなどありはしないだろう。

 追っ手は近づいてくる。おそろしい怒号を聞いて、私は混乱した。たっと走りこんだ先は不運にも、くだんの書店街だった。


 日陰のせいでひんやりとした空気が頬を撫でる。いけない、何をしているのだ、すぐに戻らねば。思って、背後をたしかめる。だが、もうすでに追っ手は道をふさぎかけていた。


 ダメだ、戻れない!


 うしろをちらちらと見ながら走って走って。だから、肩を衝撃がおそったのは、全面的に私の不注意のせいだった。


「ウルっ?」


 声を聞いた。おどろいたような叫び声。と、均衡が崩れて、固いもののうえにあおむけになっていた。腰が変な方向によじれて、鈍く痛む。


 人。人にぶつかった。下敷きにしてしまった相手はすばらしい反射神経で受け身をとったのだろうか、うめき声ひとつしてこない。……まさかとは思うが、気絶しているのか?


 私は横へ転がりおちて、腰を押さえた。くちびるをかんで、我慢して立ちあがり、倒れたままの相手のようすを調べる。さいわい、意識はあった。すこしばかり安堵して、手をさしのべる。


「ごめんなさい。ケガは?」


 ずいぶんこぎれいな少年だった。仕立ての良い外套の下にのぞく襯衣も脚衣も、ぱりっと糊のきいた品だ。顔立ちも整っている、というより、美少年というやつだ。アス民族らしい色白の肌にゲバル山脈の新緑を思いださせる瞳。ふちどるまつげは少女のように長い。私よりは薄いが、それでもじゅうぶん濃い茶色の髪はその目を隠すほどだった。


 なんてもったいない。その髪は切ったほうがずっといい。


 いや、そんなことを考えている場合ではなかった。少年はなかなか私の腕を取ってくれない。そのあいだにも、足音は近づく。ぱっとふりむいて、距離がまだすこしあることを確認する。その私にむかって、品のないことばが浴びせられた。


 つい、眉をよせていた。ああ、こんな身なりでなければ、叱責してやるものを。

 私は少年の二の腕をつかみ、全体重でもってひっぱりあげた。助け起こそうとしたわけだが、あいにく、私は軽すぎた。少年のからだはいささかも持ちあがらない。親切にも、少年は自分で立ちあがってくれた。案の定、目の位置が高くて、すこしいじける。

 その背と体重をわけてほしい。そうしたら、もっと剣をうまく操れるだろう。ナギに心配されることもなくなるにちがいない。


 間近にせまった足音にからだをむけ、わたしは少年へ叫んだ。


「退がって!」


 左腕をぐっとのばし、少年たちをかばう。無関係の者をまきこんでは、名折れだ。集まりつつある男たちをにらみすえて、そろそろと右手をおろす。外套の裾をまくりあげ、腰に手をやる。指にふれた固い柄と麻布の感触をたどり、にぎりしめる。


 すっかり見慣れた銀鼠色がひらめいた。軒のあいだをすり抜けてきた陽光を反射して、一瞬だけ白く光る。切っ先をむけると、先頭にいた男が下卑た笑みをみせた。


「物騒だなぁ、坊主」

「白髪頭仕込みの剣術です、ってか? 笑わせるぜ」


 揶揄されて、体温があがりそうになる。私はつとめて平静を装い、相手の人数をあらためて勘定した。

 大の男が五人だ。以前、酒場で会ったときより、ひとり増えているらしい。私はため息をこらえ、じっと時を待った。


 できれば、背後の少年とその連れには早々に逃げてほしいものである。いつまでもそこで見物されては、私としても非常に動きにくい。五人相手にふたりをかばいながらの乱闘など、当然のことながら未経験である。


 店主だろうか、客だろうか。いずれともわからないが、だんだんと見物人が集まってきてしまっている。これには、弱った。どうしようかと内心で考えをめぐらせる。

 うしろで動く気配がした。やっとどこかへ行ってくれるか。ほっとしたのもつかの間、数歩いって、少年は戻ってきてしまう。頼むから逃げてくれ。


「お前たち、何が目的だ!」


 鋭く問うと、追っ手連中は大声で笑った。


「『何が目的だ』だってよ」


 余裕ぶって口真似をされ、今度はこらえきれなかった。頬がカッと熱くなる。

 いけない。これ以上、何かいわれたら、斬りかかってしまう。傷害や騒乱の罪状で衛士につかまるのは、できれば遠慮したかった。この王都に事務所をもうけようというナギに、もうしわけがたたないではないか。


「あの白髪頭の気に入りっていうから期待したのに、ただの威勢のいいガキじゃねぇか」

「違うな。きっと、コイツ床上手なんだぜ」

「そりゃあいい!」


 私がいくら侮られようと、我慢できるのだ。だが、ナギのことを言われては、黙っていられなかった。視線を伏せてたえたが、ダメだ。もう、とまらない。


 膝の力を抜く。腰を落とす。からだを低く沈ませる。足を踏みきる。

 からだにしみついた動作だった。まばたきする間に左端の男の顔が近くなる。『床上手』などと下品なことを口にした輩だ。脂じみた汗臭さに嫌悪を覚えながらも、腹に短剣の刃先を押しあてる。


「ぃっ」


 潰れた声が男の喉からもれ、頭上で響く。でっぷりとふくらんだ腹の肉はやわらかく、身じろぎすれば服のうえから肌まで切れてしまいそうだ。だが、こんなヤツ、切ってやる価値もない。ナギにもらった短剣がけがれるではないか。


 私は短剣をつきつけたまま、顔をあげた。男はこわばった表情を隠そうともせず、からだをひいて逃げようとする。逃すまじと足の甲を踏みつけて、体重を載せる。男の顔がゆがんだ。重みのせいだけではない。からだが近くなって、短剣が肉にくいこんだのだ。


「ナギを侮辱するな」


 言いふくめてやると、男はやおら汗をにじませて、のどをひくひくさせる。

 我に返ったのだろう。視界で誰かが動いた。右隣だ。この間合いならば、何が起きても反応できる。私は依然、男をにらみあげつつ、足をどかしてやった。


 その、とたんのできごとだった。

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