幕間 - 01 とある少女の不運な一日
目があったのが、運の尽きだった。
こちらは花柳街の大通りをふらついていて、あちらは路地にたむろしていた。何人だろう。数えるヒマもなく男たちは顔色を変えて立ちあがる。その手や足元にはあきらかに人数より多いカラの酒瓶がある。
口にしたことのある銘柄はひとつもない。私の好むような果実酒ではなく、ナギが好むような麦酒のたぐいでもない。だが、強い酒だということだけはよくわかった。男たちの顔はそろって赤らんでおり、酒臭い息は数歩離れたここにも届いている。
何もひとりでいるときでなくても!
私は身の危険を、いや、生命の危機を感じた。あとずさると、靴の下で石畳から剥がれた小石が鳴る。その音にはじかれて、私はきびすを返した。
この王都までの旅路ですっかりくたびれた外套がひるがえり、重たく膝を打つ。郊外とは違ってきちんと整備された道は、かかとや足の付け根をひどく刺激する。
夕刻が近づいていたのは、私にとって幸いであったのか、それとも災いであったのか。商売に出始めた格下の娼妓と客が群れている。私の行く手をはばみ、また、私と追っ手とのあいだをへだてている。
小声で謝りつつ、できるだけ力を込めずに娼妓を押しのける。女のあつかいはむずかしい。こう、腰の細い女はすぐにケガをしそうで怖い。慣れぬおしろいの香りが鼻につまった。手の甲で鼻の下をこすりながら、私は人ごみをかきわけて、逃げ場をさがす。
進むごとに道幅はせまくなり、左右の建物のあいだがだんだんとつまってきていた。道はむこうへとかすかに傾斜しており、下へ下へとくだっている。
そこでようやく、自分がまちがった方向へ来ていることに気がついた。中心街にのぼっているつもりだったのだ。あちらなら治安も良い。花柳街とのあいだに門があるから、うしろの男たちのような見るからに酔った客は足止めされるだろう。そう思ってのことだった。
こちらは反対の方角だ。王都の道は外れにむかえばむかうほど、傾斜の軽いくだり坂になる。私は花柳街の場末にむかっているらしかった。
だから、ひとり歩きは嫌なのだ。
ナギについていればよかった。私はいまさらながらに後悔して、小さくかぶりをふった。私のことだ。こうなることと知っていなければ、けっしてついていようとはしなかった。それだけは、はっきりと断言できる。
王都に入ったのはおとといだったが、私たちは宿を転々としていた。それもこの界隈でいちばんの安宿から、どんどんと宿代の高い宿へと移っていた。部屋が悪かったのなら、しかたあるまい。だが、宿を移るのはひとえにナギの性癖のせいだった。
あの男と出会って半年近いが、そのクセを知らずにすんでいたというのは、かなり幸福だったのかもしれない。いや、多少傷つきもするが。
ナギは宿の女中や宿泊客のご婦人を片っ端から、口説いてまわったのである。それでも、女性がなびかなければ、何の問題もないのだ。彼に口説かれて落ちぬ女がいるとは、私には思えない。
昨晩最後に声をかけたご婦人は既婚者だった。ご夫君にはもうしわけないことをしたと思う。もちろん、私がすぐに気づいて叱りとばしたのでことなきを得たが、このさき数日間はご婦人の頭からナギのことが離れないと保証する。
それほどに、ナギという男は傍目には魅力的な青年だ。見目麗しき風来坊で、なおかつ頼りがいがあり、甲斐性もあるとくれば、ご婦人方がこぞってヤケドをしてみたくなるのも、私とて、まったくわからないでもない。
そのナギが今日はじめて、私を口説いたのである。
「俺といっしょに暮らしてほしい。住む家はこれから探す」
腰に剣帯をつけている最中であったのだが、ナギのことばを耳にしたとたん、手が滑った。ごとっと重い音をさせて落下した得物は、見事に脇へ立っていたナギの足の甲を直撃していた。うめいてうずくまる彼を見下ろして、私はあまりのことに呆然としてしまっていた。
すこし痛そうにしながらも、落とした短剣を渡してくれる。その顔を凝視して、私は頭が真っ白になるのを感じた。ナギは私が怒っていると思ったのだろう。言いつのる。
「昨日は、悪かった。あんなに怒ると思わなかった。おまえと逢ったときも女郎をつれていたし、別に気にしないんだと勘違いしていた。もう、しないから」
「…………っ」
「いや、か?」
ことばにつまると、ナギは不安そうな顔になる。そんな小動物のような表情をするな、騙されるものかっ。
私はキッとなって、きれいな紅の瞳を見下ろした。蜜色の肌に映える白い眉。長いまつげがさみしげにしばたたかれて、こころなしか目がうるんで。や、やめてくれ……っ。
「よろず屋になろうと誘う前から、王都には事務所を構えるつもりだった。住む気はなかったけどな。おまえがいるんなら、話は別だ。ふたりで住めるようなところがいい」
「ナギ、私は」
「上の街に住んだら家の者に見つかるんだろう? だから、花柳街がいいと思っている。俺だって、変装なしに上の街に住めるような見た目じゃない」
それは、そうだ。ナギの浅黒い肌の色は、敵国の民のもの。本来ならば、王都にも入れないはずだ。でも、問題はそこではない。
「そんなナリでも、見る奴が見ればわかる。ひとり住まいはよくない」
ナギはゆっくりと立ちあがった。
私は、それほどまでに頼りなく見えるのか。
頭ふたつぶんは優に差のついた背丈にすら劣等感をおぼえ、私は黙って、短剣の鞘の帯をしめた。上から外套をまとう。その私の肩へと手を置いて、ナギはぽん、ぽんと軽くたたいてよこした。
「俺だって、そんなにせっかちにできてない。じっくり考えて決めてくれ」
あおいだナギの目に、自分がうつりこんでいる。すっかり消沈しているような表情。
情けない。私は視線を脇へそらした。
「……すこし、でてくる」
「気をつけろよ」
むこうをむいたまま、うなずきだけ返して、私は宿をあとにしたのである。




