1 - 21 繋ぎとめる者
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広場の入り口近くにたたずんでルカのようすを見守っていた青年の肩に、がっしりとした腕がまわされる。
「看病ご苦労さん」
「どういたしまして。隊長こそ、おつかれ」
身ぎれいにする余裕もなくルカの傍についていたのは、髪にこびりついた血が証明している。だが、そうやって看病していた相手はあちらに行ってしまったというわけである。
ダビドゥムがたのしげなルカたちをながめて、言い捨てる。
「薄情なもんだな」
青年も肩をすくめた。
「娘を嫁にやったおとーさんの心境だよ」
軽く笑いあって、ふたりはその場に腰をおろした。
語ることは少ない。ダビドゥムが酒を呑むのを見ながら、青年は広場の中央に据えられた焚き火の音をきいていた。
「おまえ、次はどこに行くんだ」
たずねたダビドゥムに青年は、んーと声を長くのばして、なかなかこたえない。顎で早くいえと急かされて、やっと口を割った。
「しばらく、ここにいる」
「なんでだ、西のシンで近々また戦がおきるってきいてるぜ?」
青年はダビドゥムの杯を奪って一口あおり、正直に告白する。
「本腰据えて、よろず屋をやろうかと思う」
「そうか、じゃあ、ここでしまいだな」
黙ってしまった相手の顔色を見れば、何を思っているのかは読みとれる。しまいだといったものの、どうやって誘えばひきとめられるのかと悩んでいるのだろう。
青年はダビドゥムから目を外した。今日のうちに発ってしまおうかと思案していた。
心残りといったら、ルカの身の振りかたぐらいで、その他の少年らもダビドゥムもあるべき場所に自然ともどっていくことが予想できた。肉屋の息子や勤労学生なのだから、あたりまえだ。
みなには帰る場所がきちんと他にある。
「俺にはないけど」
「何がないのですか」
つぶやきに答えがあったことが意外というよりおもしろくて、青年は声の主を見た。ルカがひとりで脇に立っていた。
頭部の左半分ほどが包帯に覆われた姿は痛々しいが、表情は痛みを気取らせない。
「もう、あちらはいいのか?」
「ええ。あなたにたずねたいことがあるのだといったら、今日中にきいておけと、みなに勧められました。明日にはいなくなっているだろうからと」
そう明かして左どなりに座るルカごしに、こちらをうかがう少年らの目を感じて、青年はうすく笑った。
あいつらはほんとうにいい奴らだ。
「名をいただきたいのです」
「いまは、ブラン。クラスノでも、グラナダでもいい。好きに呼べよ」
ルカは青年と目を見交わせて、ほんとうの名をと、言い募った。
「ない」
無碍に切り捨てられても、ルカは食いさがる。
「傭兵になる前は?」
「……ナジール。ナジール・ブランカ」
弱ったように青年はそのことばを口にした。
「ナジールと呼んでも?」
「嫌だ」
ものすごい勢いで拒否されて、ルカは傷つくよりも虚をつかれた顔になる。青年の右横から、ダビドゥムがいった。
「ナジールってのは、アダルのことばで『祈り人』って意味だ。ナジール・ブランカで、『白の祈り人』」
「いのりびと」
口のなかで反芻して、ルカは青年を見る。余計なことをと、青年はダビドゥムをにらんでから、ルカにこと説いた。
「教会に仕える巫人みたいなものだったんだ。俺には親もいないし、なまえもない。だから、」
「では、ナギ」
ルカがとつぜん、自分を指さしていったことばに、青年は白い眉をよせる。
「それは、どういう意味のことばだ」
「意味なんてありません、私がつくったのですから。Nagileだから、Nagi。あなたは私をLuciusではなく、Lucaと呼んだ。それなら、あなたはナギ。いけませんか?」
ふざけた言い種だと、笑い飛ばすこともできただろう。だが、青年の紅い瞳は動きをやめてしまった。口も半開きになっている。
ルカは鈍感にも青年のようすを怒っているかあきれているのだと勘違いして、ことばを重ねる。
「私がただそう呼ぼうかと思っただけです。嫌なら、やめます。いままでどおりブランどのと」
「嫌じゃない!」
自分の名だ。
生まれも育ちも人種も性別も年齢も、すべて無関係な呼び名。自分という存在に与えられる名だ。
ずっと、こうして誰かに名づけられてみたかった。自分をここにつなぎとめるものがほしかった。
まさか、誰よりも関わりの短いこんなこどもがくれるとは。
「……ナギ?」
恐る恐るといった弱い声で、ルカはみずからの肩に頭を乗せている彼に声をかけた。答えはない。もう一度、今度は強く呼ぶ。
「ナギ」
「ありがとう」
つぶやくように礼をいって、ナギは目を閉じた。
祈るなんて無意味だと思っていた。祈ったって、あなたは何にも聞き入れてくださらないのだと、勝手に思いこんでいた。母なる神よ、ひさしぶりにあなたの恵みに感謝します。
ナギはルカを抱きしめた。艶めいたこともいっさいなく耳元でささやく。
「なぁ、ルカ。よろず屋にならないか?」
「よろず屋? 何ですか、それは」
「俺といっしょにお節介をしてまわるんだ」
ルカの笑い声が小さく胸に響く。腕のなかで彼女は肩を揺らしている。
「それはいい。おもしろそうですね」
傍目にはそれはそれは仲睦まじそうに見えるナギたちのようすに、少年らがいきり立ってこちらにむかってくる。
それを横目で見ながら、会話のすべてを盗み聞いているダビドゥムだけが愉快そうに腹をかかえて笑っていた。