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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 02 箱庭の守り手

 庭で、ふたりの姉が談笑している。サラとそのうえの姉だ。彼女らはもう縁談がまとまっているが、まだしばらくは屋敷にいる。

 このシラ王国では、嫁ぐまでに一定の期間をおく慣習がある。そのあいだに花嫁となる者は礼儀作法を学び、花婿となる者は支度金を用意する。嫁ぐ娘には金を持たせるものだが、持参金の一割ほどを花婿が結婚相手の実家へ返すしきたりなのだ。元は花婿の財力を証明する手立てだったのだろう。


 ──まったく。晩秋だというのに、酔狂なことだ。


 肌寒くないようにとはからって、肩掛けまで持ちだしている。そうまでして外で茶を飲むことに、いったい何の意味があるのだろうか。

 文机に頬杖をついて、ルキウスは華やかな茶会のさまをながめた。卓には彼女らが手慰みに編んだ白いレースが敷かれ、ふたりでは食べきれない量の菓子やくだものが皿にならんでいる。小さめのシトルがふたつ割りになって転がっているところを見るに、輪切りを茶にうかべているのかもしれない。

 ルキウスはシトルの甘酸っぱい味を思いだし、すこしだけ目を伏せ気味にした。

 シトルは夏の果実である。こんな時期にとつぜん思いたって、手に入る品ではない。南の隣国サフィラから、わざわざ取りよせたに違いない。


 ──なんて惜しげもなくぜいたくを楽しむひとたちなんだろう。


 この家の財政を、ルキウスは知っている。帳簿を自分の目でたしかめた。ルキウスにはとうていあんな真似はできない。娘ばかり四人も輿入れが続けば、持参金の額も莫迦にならないのだ。あのひとたちがでていったあと、アシェルバーグは自分が必ず建てなおす。そう、ルキウスに決意させたほどである。

 女性らしいふわふわひらひらした服につつまれて、何の悩みもなさそうにほほえむ別世界のひとたち。もし、兄弟がひとりでも生まれていたら、自分もあのようにふやけた世界に住んでいたのだろうか。

 来る日も来る日も、考えるのは流行の服の意匠、化粧のしかた、髪の結いかたばかり。馬には必ず横乗りで、またがることはしない。あの繊手では、剣も支えられないのだろう。

 姉たちはシラ王国以外の国の存在も知らないかもしれない。知らなくても生きていける。たとえサフィラ産だと知らなくても、シトルはシトルだ。どうやってこのシトルが茶会の席に運ばれてくるのかしらと、考えをめぐらせて何になろう。姉たちの世界は屋敷の塀の内側だけで充足する。嫁いでも、やはり嫁ぎ先の屋敷のなかで生きるのだ。

 そのような生活にはたえられないなと、ルキウスは手元に視線を落とした。

 机のうえに広げてあるのは、アスの史書だった。大陸は南北に分かれている。北の国々がエレブで、南がアスだ。史書には、こちら側半分の動静について、ことこまかに記述されていた。地名と年号ばかりで、すこしおもしろみに欠けるのが難点だ。

 家庭教師のプリスキラ女史は歴史や地理学を中心に学院で研究を重ねてきた才女である。もう五十近い年齢で、未婚ではないが、夫君を放って、シラの南方の片田舎へ家庭教師の職を求めてやってきた。

 めずらしいひとだと思う。

 専門分野であるためか、いつもよりも熱の入った師の声が間断なく部屋に響く。姉たちのたのしげなさまがちらついて、どうにも気が散る。困惑しながらも、ルキウスはもう一度、窓の外へ視線をすべらせる。

 縁談を勧められたせいだ。そうに決まっている。

 物思いにふけりがちな意識を、プリスキラ女史の声が一息に現実へ呼びもどした。


「ルキウスさま、きいておいでですか?」


 鼓動がはねた。身体が緊張する。ルキウスはすかさず顔をもどして、女史に謝った。勉学の最中には身分の差など関係ない。仮にも相手は師である。心底反省して、ルキウスは深く頭をさげた。女史はいつでも平気で自分をしかる。講義中にかぎり、それが許されている。注意をうけてから見せたような誠意などでこころを動かされるひとではない。

 案の定、今日も女史は腰に手をあて、ルキウスをしかりつけようとした。思わず目をすがめて机の端を見つめ、ルキウスも大声にそなえた。声は、なかなか飛んでこない。

 いぶかしんで目をあげると、女史は外を見ていた。ルキウスの見ていたものが何なのか気づいたのだろう。物言いたげにしばらくこちらを見下ろして、首を振った。


「本日はここまでにいたしましょう」

「しかし」

「身が入らないのに強いて学ぼうとしても、何も得られません。明日はこのようなことのないように」


 女史は手早く教本をまとめた。ひきとめる間もなく、きびきびとした動きで部屋をでていってしまう。

 呆然としていると、女史と入れ替わりにミカルが入ってくる。講義中も、外にひかえていたものらしい。

 こちらのようすをうかがって、ミカルは心配そうな声音でたずねた。


「ご講義がずいぶん短かったようですけれど、おかげんでも?」


 ミカルの発したことばをとっさに解することができない。ルキウスは眉をよせた。


「女史はいたってお元気でいらしたが」

「ルキウスさまのことですわ!」


 声を荒げて、ミカルははっと口元をおさえる。ルキウスはきかなかったことにして、手を振った。


「私がよそ見をしてしまったのが女史のお気にさわったのだ。体調が悪いのではない」


 自分でいうと、力が抜けた。行儀が悪いと思いながら、文机につっぷしてしまう。

 姉たちを見ていたと知られてしまった。うらやましそうだったと吹聴されたら、どうしよう。それが父の耳に入ったら。いや、女史はそうしたことを口外なさるかたではない。

 どちらかといえば、尊敬してやまない師に蔑むような視線をむけられたらと、気が気でなかった。女史は自分の意志をつらぬいて生きている。そのせいか、姉たちのような生きかたを認めないのだ。


「……甘いものでも、ご用意いたしますわ」


 主人を気遣って、ミカルは急いで外へと取ってかえした。

 ミカルが、飲みものと皿に山盛りの甘菓子を手にもどったときには、ルキウスもいくらか気分を持ちなおしていた。

 ふだんから、落ちこんださまをひとには見せぬようにしている。貴族に生まれついた者として、当然のことだ。継嗣ならば、いついかなる場合にも冷静沈着であれと求められる。だが、ミカルは例外だった。

 ミカルの母親はルキウスの乳母である。世話係ではなく、実際に乳を与えるほうの乳母だ。ミカルとルキウスは幼いころより、ともに遊び、ともに学んだ。十近くなるまで、なぜ彼女が自分を『さま』付けで呼ぶのか、ルキウスは知らなかった。女ばかりの兄弟のせいで、ミカルも姉妹のひとりだと思いこんでいたのである。

 身分に隔たりはあるが、ミカルはルキウスのひとりきりの友人であり、理解者であるといっても過言ではない。実の姉よりもよくことばを交わすのだから、当然かもしれない。

 身分や誇りが邪魔して思うように話せないこともあるが、それでもたがいに尊重しあえる相手だと感じている。

 はにかんだ視線を投げると、ミカルは安堵したようだった。机の史書やら教本やらを本棚にもどし、かわりに菓子の皿をおいた。湯気の立つ飲みものの陶杯を両手でさしだす。

 ルキウスはすなおに杯をうけとり、器の縁に口をつけた。強い果実酒入りの茶だ。ミラ酒のさわやかな香りがする。

 それに気づいたとたん、ルキウスは自分を笑ってやりたい心地になった。どんなにおさえこんでいても、長年仕えているミカルにはルキウスのこころの動きなど、手にとるようにわかってしまうらしい。

 その茶は、ルキウスが落ちこむときに必ずといっていいほどだされる気付けだった。

 器のなかでゆれる水面を見つめていたら、くちびるは自然と動いていた。とどまることなく、不安がするすると口からすべりでていってしまう。


「ミカル。私は、おかしいだろうか」


 ミカルは何もいわない。

 自分でも、らしくないと思った。こんな弱気なことをいっていては、笑われてしまう。ルキウスは発言をごまかしてほほえみ、皿の焼き菓子をつまみとった。淡々とした口調でいいつなぐ。


「プリスキラ女史はよくおっしゃる。女の身でありながらこうして勉学に励み、知識を得られることは、この上なくしあわせなことなのだと。女史は姉上たちのような典型的な貴族女性の生きかたがお気に召さないらしい」


 そのときの言い種といったらなかった。そう、たしか、『ふらりふらりと流れに身を任せて。川底の藻でもあるまいし!』。思いだして、ルキウスは小さく吹きだした。

 つまみあげたままの菓子を口へ運ぶ途中で、ふたたび動きをとめる。茫洋とした視線は消えかかる湯気ばかりをとらえている。


「でも、私はときどき、姉上たちがうらやましくなる。あのように生まれつきたかったと感じてしまう」


 兄か、弟か。さもなければ、妹がいれば、あるいは。

 腕はあがりきらずに、膝まで落ちた。

 アシェルバーグ家は古くよりシラの南方、カナンの地を治めてきた豪族の家柄だ。カナンはシラ王国全土から見れば、小さな領地だが、それなりに富裕な土地だった。数代前からシラ王国の一部となって爵位を賜り、子爵家となっていた。

 いまの子爵である父は、跡継ぎたる男子に恵まれなかった。親類にも養子としてひきとるべき男子はいなかった。シラはもとより小国の集まりだ。土地によって慣習は異なる。王都に近い北のほうでは長子相続が主だが、カナンの近辺では末子相続も廃れてはいない。父はひとつの選択を迫られることとなった。

 長女に婿を迎えるか、末子に家を継がせるか。ルキウスが母の胎に宿ったとき、姉はすでに婚約を決め、結婚まで日がなかった。ルキウスが生まれ落ちるまで、父は悩みぬいたらしい。男子であればと願い、不安に揺れたことは、ルキウスにも想像がつく。

 末娘が生まれ、父は苦渋の決断をした。ルキウスを継嗣とし、男子として育てたのだ。

 ルキウスの脇に立ちつくし、ミカルはしきりと手を動かしている。どうやら、ことばを選びかねているらしい。生まれた沈黙を非難とうけとって、ルキウスは自嘲気味に続けた。


「いまごろになって縁談を勧められるとは思いもよらなかったな。このあたりの領主との縁組ですらない。王都の家だなんて、追いだされるようなものだ。どうやら、私は父上のご期待にそえていないようだ」


 このように切り捨てられるのならば、いっそはじめから。

 最後まではことばにするまいと、無理に茶を口にふくむ。何を察したものか、ミカルはきっぱりとかぶりを振った。


「そのようなことを軽々しくおっしゃってはなりません。ルキウスさまはお館さまのご期待どおりの立派な継嗣でいらっしゃいます。どうか、ご自分を卑下なさいませぬように」


 さきほどとは違って、敢然と諌めてくれるのが頼もしい。ミカルは目の前に膝を折った。うつむいたルキウスの顔を見上げ、明るい笑みをうかべる。


「お館さまはルキウスさまにとっての幸福をお探しになられているのですわ。あのようにご抗議なさったのですから、もう縁談をお持ちになることはないと思います」

「そう、だろうか」


 不安がにじんだ返答に、ミカルはここぞとばかりに大きくうなずいた。


「もちろんです。さ、冷めないうちにお茶を召しあがってくださいませ。ミカルが淹れたんですのよ」


 懸命に励まそうとするミカルの姿に、瞳がうるむ。ルキウスはあわててまばたきし、涙を奥へ押しこんだ。手にしたままだった菓子をかじり、無作法と知りつつ、茶で流しこむ。

 果実酒の熱が喉の奥から胸におりて、ぽっとあたたかくともる。ただそれだけのことで、暗い気持ちが晴れていく。

 ミカルは立ちあがり、服の裾を手ではらった。かがんだ拍子に襟元のブローチがひかる。以前、ルキウスが捨てようとした品だ。はめ込まれた石は紺碧をしている。

 ほんとうは、はじめからミカルに似合うと思って買った。贈りものにしてしまっては、ミカルは受けとらない。だから、新しく買ったものをつけてみて、似合わないからと捨てるふりをしたのだ。


 ──つけてくれているのか。


 ブローチに目をとめ、杯を両手でつつむ。しばし、目を閉じた。


「いつもすまない、ミカル」


 ひと段落ついて声をかけると、ミカルはわざとらしく小首をかしげてみせる。


「わたくし、何かいたしまして?」


 とぼけたミカルに、ルキウスは感謝をこめて、笑みを贈った。






 その夜、戦争の火種が生まれた。

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