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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
19/67

1 - 19 戦いの果てに

 乾いた風が山脈をのぼっていく。

 前からまともに強風をうけて、足元がぐらつく。少女の足で踏みしめられた地面はぐちゃりと音をたてた。

 元は乾いていた土が吸いこんだ血で紅く染まり、ぬかるみになっている。目に刺さりそうな血臭にまぶたをしばたたかせ、少女は知らず、くちびるを噛んだ。

 ゲバル山脈をひとつ越えると、大地の色は様変わりする。話にはきいていたが、目にしたのはひと月前がはじめてだった。

 まばらにしか生えていなかった草はすでに連日の戦闘で踏み荒らされ、すっかり一面の荒野原と化したそこに立って、イェオールの豊かな水面のむこうにアダルの寒冷なる地を垣間見た。

 この野原はすでにアダルと大差ない気候である。冬に戦をするのは、兵糧の供給面で圧倒的にアダル側の不利が決まっている。きっともうすぐこのよせる波も引くと、兵士が希望をこめて話しているのを耳にはさんだ。

 どうだかと、少女はひとりごちる。

 荒野に残っているのは何も鉄に似た臭気とぬかるみだけではない。これほどの兵力を費やしておいて、そうかんたんに引くものだとは、少女には思えないのだった。


「お嬢さん、こっちはすこし乾いてる」


 クアに呼ばれて、アダルから目を離し、少女はからだのむきをかえた。返事のかわりに淡く表情をゆるめて、彼のとなりに腰をおろす。

 武器は手放さずに肩に抱いて、鞄から食べ物をだした。麺麭を手で千切りもせずにかじる少女のさまに、クアはあきれたような笑みをもらす。


「行儀が悪くなったものだなぁ」

「この手でちぎってみろ、他人の血まで食べるはめになるではないか」


 ふだんなら笑えない冗談も、この場なら笑い飛ばせる。少女は残りわずかになった麺麭を大事にしまいこむと、後方へは今日あたり帰還であろうとあたりをつけた。

 日を指折り数えても、戦ううちに忘れてしまう。いま何日目であるかは実のところはっきりとはわからないが、少女はいつでも等分しか食べ物を口にしないので、麺麭と乾肉の残量で推し量ることができた。

 そんなことがわかるくらいには、戦場になじんでしまっていた。

 休んでいるうちにむこうで旗が振られる。東アダル帝国の紋章が織り込まれた軍旗である。

 出撃の合図だ。

 それを目にして、少女は立ちあがり、膝のうえのくずをはらうこともなく、槍と腰にさげた短剣を確認する。クアも同様に腰をあげ、急いで陣を立てなおしにむかった。

 それは奇襲に近い所業であった。方々でシラの兵も急いで迎え撃つ準備にかかる。度重なる戦闘で両陣営の距離は詰まっていた。

 シラ王国側に残された時間はそう多くはない。だが、兵士らの働きは目覚ましく、また迅速だった。

 こういうことが起こりうるからこそ、少女は食事中にもかかわらず、得物を手放さないでいたわけである。

 右手にゲバルを負って、少女とクアの属する近衛大隊はすぐにかたちをととのえた。左手には相も変わらず猛将たるカンド伯の一群が堅固たる護りを築き上げている。

 その彼らの脇を護るのが少女らの大隊の役目だった。陣というものは得てして横からの攻撃に弱いものであるからだ。

 しかしながら、今回の突撃にはすさまじいまでの迫力があった。

 (とき)の声の響きようといい、足並みのすばやさといい、ノンが傍にいたら震え上がったことだろうと、少女はちらりと思った。

 が、少女自身に怯えるようすはない。たとえ、怯えていたとしても、それを表にだす少女ではなかったし、前衛では気後れした者が即座に命を落とす。

 いずれもひと月以上も続いた戦いをたえ抜いてきた者たちである。血に浸りきった荒野で、明日は我が身と毎晩のように覚悟を決めてきたのだ。もはやこの程度で恐怖心をあおられるような弱気ではいられない。

 一瞬のうちに、場は轟音でつつまれた。

 槍を突きだしては引きぬき、近くの者は柄で薙ぎはらう。無我夢中というのが何よりも正しい表現だった。我に返るひまなどなかった。

 雄雄しいまでの叫び声をあげて突進して、革鎧のうえから容赦なく一突きする。誰よりも小柄な少女が成し得ることとはとうてい思えなかった。鬼神のごとき振る舞いだと、シラの兵士でさえ恐れる者がいた。

 少女はどういわれようと気にせずに、槍でアダル兵を打ち倒していた。そうした戦いのさなかだった。

 踏みしめた土に足をとられて、少女の手元が狂った。

 鎧の隙間を狙って繰りだした切っ先は、大きくそれる。刃先は胸に吸いこまれ、臓腑をえぐる。即死にはいたらない傷を与えられた敵兵の絶叫が、耳を突く。

 その声が、高揚のなかにいた少女をにわかに現実へと引き戻した。

 自分は何をしているのだろう。少女はふっとよぎった疑問への答えをすぐに見いだせない。

 これは、アダル兵を殺したときとは違う。誰かを助けるために手を下しているのではない。ただ、殺している。

 自分が戦場でなしたかったのは、このようなことだったか。いや、戦場にでたかったのは家の者として……?

 では、家督を継がない自分がここにいるのは何のためであったか。

 少女は我に返ったとたんに混乱へと陥った。手が完全にとまる。意識が散漫になる。その隙を、よもや突かれないはずがなかった。

 冷たいと思った。

 ひんやりとした感覚が左目の縁を襲い、縦にかきあげるように目のうえを切り裂いた。体中から、虫のよるように熱が集まってくる。

 何がおきたのかわからずに、少女は単純に目をおさえ、あとからわきあがってきた痛みに悲鳴をあげた。

 敵兵は少女の左目を突き、さらにもう一撃を胸にくわえた。

 死んだと思った。

 がつん、とひどい衝撃があって、少女は突きとばされて転げた。すぐ近くで敵と対峙していたクアが駆けつけてくる。なおも襲いかかる敵兵の槍を自分の槍の柄ではねあげる。

 少女とクアを護るようにまわりから仲間が集まった。数瞬のあいだ、壁ができる。

 その隙にクアは倒れた少女を担ぎあげ、急いで後方へとむかったのである。



   ※



 アダルの猛攻撃を最後に、戦闘はやんだ。

 冬場であるせいで決定的に兵糧が不足していたのは、ほんとうのことだ。その点においてはシラ兵士のあのことばは戯言ではなかった。

 東アダル帝国はクロエとシラ王国北部で収穫された豊富な麦や野菜があることで冬を越すことができるといわれるほど、食糧危機と常にとなりあわせの土地だった。

 なにしろ自国のやせて乾いた土ではよくて芋類がすこしばかりとれる程度である。他にとれるものといったら、柑橘系の果物だ。それすらも、比較的温暖な南東の海側のみである。それしきの実りでは、四百万を越す帝国民を養うことは不可能であった。

 対するシラ王国はせまい国土でありながら、帝国の五分の一ほどの国民に分け与えて余りある穀物などのたくわえがある。冬季でも金銭さえ持てば、そう食糧にかつえることはない。

 ふだんであれば、冬ごもりの時期にあわせてアダルへと運ばれてくるはずの食糧が今年はなかった。シラがとめたわけではない。戦が起こるとわかっていながら、シラからアダルへ渡ろうと考えた農民や隊商がなかったのである。

 商人のなかにはシラの傭兵隊や近衛兵団の輜重隊についていく者も多かった。そこでひと稼ぎしようというわけだ。

 アダルの食糧供給源は冬のはじめより、クロエに限定された。そのクロエからの経路もイェオール河をくだる船便が主である。その他に道があるとすれば、西アダルを通る陸路ぐらいのものだった。

 もとよりアダルが東西に分かれたきっかけはアスへの態度如何である。それを思えば、戦争をおこそうという東へ、西が援助することなどありはしない。

 戦がはじまるとともに船便もめっきり少なくなり、東アダルへの補給線はほぼ断たれてしまったのである。

 アダル国内での食糧不足は一挙に厳しくなり、国民の日々の糧以外に兵糧を捻出することが困難になっていった。

 そうして、帝国政府は決断を下した。

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