表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
18/67

1 - 18 向き合うとき



 ※



 衣服が汚れるのもかまわずに少女をかかえて、青年は脇を流れる小川によった。自分を呼びにきたノンをみやり、その視線から逃れるために茂みのなかに十歩ほど入った。

 少女を地面に座らせると、みずからの外套を肩から外して脇に落とした。重そうな音をたてたそれを少女はぼんやりと目で追った。


「顔と手足を洗って、服を脱げ。かわりにこれを着ろ」


 そういうといま来た道を引きかえし、ノンに水を汲んで先にもどれと指示をだした。それから、しばらくそこで立ちつくす。ころあいを見計らってもどったつもりだったが、少女は着替えるようすもなく、降ろしたままの姿勢でへたりこんでいた。


「おい、乾いたら落ちにくくなる」


 声をかけるが、反応は皆無だ。青年はもはや悩まなかった。少女のうしろにまわる。

 上着を脱がしてやり、それを丸めて、顔を無理やり拭った。てのひらも同様にする。その刺激で覚醒したのか、少女はびっくりしたように彼を見た。

 気にせずにそのからだに外套を巻きつけて、指を突きつけながら命令した。


「下は自分で脱げよ。脱いだら持ってこい」


 いって、汚れた服をたずさえ、川辺に歩んだ。少女を運んだときに汚れた自分の服も脱ぎ捨てた。水辺で衣服を洗っていると、少女が近くに膝をついた。どうにも覇気がない。

 青年は服を絞って、その辺の木の枝にかけた。そして、空いた両手で水を掬い、動きの鈍い少女の顔に浴びせかける。


「何、ぬぼーっと座ってる。水に放りこむぞ」


 色の白いのはアス人の特徴でもあるが、青白く見えるほどに顔色が悪い。その頬をつぅっと水が滴った。そのしずくが肌に残っていた血を溶かして、薄紅に染まる。


「死んだのはおまえじゃないだろう。いいかげん、顔ぐらい洗え」


 いわれて、やっとのことでからだにこびりついた血を落としたが、それが限界だった。


「あの兵士を、殺しました」


 口にしたら事実が明確に認識できるかと思ったが、何も変わりはしない。息が抜けていく音と痙攣のびくつきのほうがよほど生々しい。少女は音を消そうと耳元を手ではらった。


「私が殺したこの手で私が」


 青年は慰めもしない。少女が錯乱してわめいたりつぶやいたりするのをただ見守っている。

 はじめて人を殺した日のことなど、彼はもうおぼえてもいない。いつごろのことだったかも記憶が定かではない。おそらくあの日だという見当はつけられるが、それはもう封印したむかしだ。いまさら掘り起こしたところで当時の感情などがこぼれてくるわけもない。

 自分は立ちなおった。少女と同年代の少年兵たちも通りぬけてきた。シィネはあやういが、たぶん持ちこたえるだろう。最前線で戦に関わる傭兵の彼にとって、人を殺すことでこんなにも取り乱す人間はかえって新鮮だった。

 少女は黙りこくる青年の襟首をつかんだ。


「私は殺してしまった。救えなかった!」


 初体験の感覚は思いだせないが、訴える少女の苦悩自体はわからないでもなかった。

 人を死なせてしまうのはおそろしい。たとえ敵であっても、だ。

 目の前で斃れられれば、自分が直接手を下したのでなくても自分が殺したのだと感じるし、まして仲間が死んだときには誰よりも自分を責めてしまう。

 それは幾度も経験したことだ。ダビドゥムも彼もたくさんのそういった場面に遭遇した。だからこそ、戦いなれない者を一線にはだしたくはない。

 死なれるのは後味が悪い。それゆえに、じかに敵と戦うことのない弓兵へと少女をまわした、はずだった。

 青年は少女の頭を胸に引きよせた。ぽすぽすと頭をなぜる。


「助けたさ。ノンもお嬢さん自身も、お嬢さんが助けたんだろ」


 少女は、はじめて人前で泣いた。

 つかれも気持ちも涙にしてしまったのだろう。力が抜けたのか、うつらうつらしだす少女をかかえて、青年はその場に座りつづけていた。

 この手を一度とってしまったら、手放せなくなった。彼は自分を頼る手を突き放すことができない。どうしてもだ。生き甲斐というのとはまた違う。こわいのだ。誰にも頼られないことを彼は恐れていた。

 自分はむかしから、ちっとも変わっていない。できるだけ多くの人と関わって、認められて頼られて、さまざまな呼び名を得た。そうすることでも、すっかり安心することはできない。自分が意味を持つ存在であることをたしかにはできない。

 彼はいま、少女らを利用して自身の安寧を得ようとしている。

 青年は完全に寝入ってしまった少女を横抱きにして立ちあがった。みずからの外套が膝下まで届いているのを目にして、少女の小ささをあらためて認識する。世間的には十五ともなれば成人とみなされるかもしれないが、十五歳など、まだほんの子どもだ。

 だが、ほんのすこしこつを教えただけで、こうもたやすく人を死にいたらしめることのできる子どもが、他にどこにいるだろう。


「おまえは生きのこるよ。こんなところで死にはしない」


 腕のなかで眠る少女に話しかけて、不謹慎にも、彼の目は笑っていた。



   ※



 少女は、真っ暗な虚空をまっすぐ見た。

 北の兵士の件についてはダビドゥムがうえに報告したと、青年が教えてくれた。

 偵察されたところでこちらには大きな隠し玉もない。別働隊にしても、あの険しいゲバルを大人数が越えられるとはやはり考えにくいので、たいして問題視されないだろう。

 みなが眠りについたのか、夜の天幕のなかに浅い寝息が何重にもきこえる。

 明日から、ふたたび弓弦を引くことになる。

 少女は自分の手を目の前にかざした。手の甲でまぶたを覆う。深く考えこみそうになって、思考を断ち切るように目を閉じた。そうしてみずからも眠ろうとした背のむこうで、動く気配がした。

 クラスノと、小さく呼び声が耳に届いた。青年が入り口から外へと消える。

 あの閲兵のときの役人だろうか。何の用なのだろう、こんな夜更けに。

 いぶかしく思うあいだに影がひとつ、少女のすぐそばに迫っていた。

 ききゅっという擦れる音を間近で耳にして、少女は毛布がわりに身体にかけていた外套を跳ねあげた。その裾でたたくようにして、影をはらう。

 小刀を抜いたのだ。木製の鞘と鉄の刃が擦れる音である。矢の作りかたを習っているあいだ、何度も鳴った音だけに、こうして言いあてられてしまうほど耳に残っていた。


「何の真似だ」


 少女はいつもより数段声を低くした。床に座ったままで相手の気配との距離をとった少女に、腕が数度ふりおろされる。

 彼はしきりにつぶやいていた。


「どうせ自分で殺したんじゃないんだろ兄貴が殺したんだあんたに殺せるわけないおれはできないのに、たすけてもらえなかったのに」


 耳をすませてぞっとし、少女は身をすくませた。ひゅんと空が裂かれる音が声に混じる。


「やめないか、シィネ」


 同じ動きを繰りかえしていた影の手首をつかんで、とめる。指から小刀を取りあげて、鞘におさめて筒状にもどした。


「これは、このようなことをするための道具ではないだろう?」


 いって、筒を示す。影はそれを見て、ぺたっと腰を落とした。少女は小刀についた紐をシィネの首にかけてやる。


「かあさんかあさん」


 筒を両手につつんでいう彼に、少女はなんと声をかけたものかと固まった。

 本心では、逃げろといいたかった。そんなにこわいのならば、夜のうちに逃げてしまえ。明日からはまた戦わねばならないのだ。抜けるなら、いまが最後の機会だと。


「……もう寝たほうがいい」


 でてきたのはあたりさわりのないことばだった。逃げるか否かを決めるのは、彼自身だ。

 少女は彼が寝床にもどるのを見送って、みずからも外套を引きよせた。そうして、眠りに入った。






 二回目ともなると、少年らの顔つきからは幾分か緊張が抜けてくる。心配していたシィネもふつうの顔をして食事をとっていたので、少女はほっとした。自分の判断はまちがっていない。

 それぞれと手を打ちあわせ、肩をたたき、またあとでと声をかけてでかける。迷いはない。三日、四日すれば、ふたたび会える。そう信じて疑わなかった。

 だが、四日後に幕屋に帰ったとき、頭数は足りなくなっていた。

 イサクがいない。クアがいない。シィネがいない。

 たった三人。だが、人数の少ないこの隊では三人少ないだけで、二割ほどが欠けた計算になる。一気に天幕のなかがすかすかになったような気がして落ち着かず、少女は席を立った。ノンも少女について外にでた。

 何をするわけでもない。

 少女はノンとともに天幕の外で待った。彼らが帰ってくるのをひたすら待ちつづけた。風になびいてノンのやわらかい髪がゆれる。動きは長いことそれだけで、進展はなかった。

 青年も少年らも、ノンと少女の行動を敢えてとめはしなかった。しかし、ほぼ確実にむだだとは知っているのだ。新入りにとって、はじめての仲間の喪失であるから、好きにさせていた。

 じりじりと日が山の峰に近づいていく。交代の時間からはもう半日過ぎようとしていた。あきらめかけた少女らの目に、人影が映った。よろよろとした遅い歩みではあるが、見慣れた体つきである。


「クアっ!」


 思わず叫んで立ちあがると、クアはつかれたようすで手をあげてこたえる。ただいまということばはなかった。彼はゆったりと、少女らを越えたむこうを見て、小さく会釈した。

 少女の声に気がついて幕屋をでてきた青年に、クアは手に握っていたものを渡した。赤茶色が染みこんだ麻紐が目に入った。その紐でぐるぐる巻きにされているのは、てのひらにおさまる大きさの木筒だ。

 少女は息が喉の奥で詰まったのを感じた。

 部隊ごと交代したあとも、戦いが行われているさなかを半日も歩きまわったのだという。姿の見えない仲間を探し、そして、探し当てて、形見を持ち帰ってきた。


「なんて、危険なことを」


 死地からもどった彼の目元の返り血はすでに流れていた。目尻から顎にかけて白く筋ができていた。彼が何を見たのかを考えると、それ以上は責めることばもでなかった。

 クアは槍も二本かかえていた。一本はイサクのものらしい。それもまた青年に手渡す。青年は切れた麻紐を結びなおして、みずからの首にかけた。外套の裾で槍の刃を拭う。


「おかえり、クア。よく帰ったな」


 青年はそういって少年を労って、片手で彼の肩をたたいた。形見のことにもシィネたちのことにもふれずに、顔を洗ってこいと送りだす。青年は見送りもせずにさっさときびすを返し、クアも黙って小川のほうへとむかう。

 とめればよかったと思った。あの晩、シィネを逃がしてやっていたら、あるいは。


「ブランどの」


 少女は幕屋に入りかけた青年の背に呼びかけた。彼はほとんど無感情な顔でふりかえる。そこに、押し切るような口調でたたみかけた。


「その槍を私にくださいませんか?」


 青年はしばし沈黙した。その目をきっとして見つめる。


「でる気か?」

「はい」


 体格がどうだなどとはいわず、彼は手にしていたイサクの槍を少女にさしだした。


「死ぬなよ」

「はい」


 長さゆえに重量のある槍をうけとって、少女はぐっと柄を握った。以前、家でふれたときよりもずっと、その感触はてのひらになじんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ご感想やコメントをお寄せください!
(匿名で送れます)
マシュマロを送る!

次作や連載再開のための燃料をください!

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ