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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 17 深遠なる場所

 もとより三、四日程度の休みだった。後送休養といえるほどのものではない。いついかなるときに前にでろといわれても対応できるように、傭兵の多くは三日目から装備をととのえていた。自分たちが後方にもどされたのが三日目だったからである。

 少女も例外ではない。初日とほぼ同じ持ち物をそろえていた。

 どこの隊にも欠員がではじめている。だが、少女らの隊だけは少人数のこともあって、ひとりも欠けることなく、開戦から七日が経とうとしていた。

 その昼時のことである。シィネが槍で素振りのような練習をしているところを見かけて、少女は声をかけた。あてられそうなほど明るい笑みを返され、ほっとする。

 以前と変わらぬ笑顔に、すこしだけ気が晴れた。自分がここにいなければ、槍を持たずにすんだのではと考えていた。だが、青年のことばで持ちなおしたのか。そう思った。

 軽口をたたきながら、シィネは腕を振りつづけていた。少女は槍にあたらぬように距離をおいて、練習風景を観察していた。青年に習ったのだろうか、かなり使えるほうかもしれない。感心して見入っていた。

 それはとつぜんのことだった。

 シィネの槍の先が前ではなく、あちらにそれた。何ごとだろうと思って、首をのばしてみやった隙をつかれて、少女は地面に転がった。ためらうそぶりもなく渾身の力で少女を突きとばしたのは、シィネの槍だ。もちろん、刃のほうではない。柄で腹部を薙ぐように飛ばされ、少女は土のうえに両手をついた。

 ぴりっと痛む手をぱんとはらう。微小な石がてのひらにめりこんでいたらしい。傷にこそなっていないが、へこんだ跡が赤くついていた。腹部もとっさによけようと動いたお蔭で、そう深くはたたかれなかった。鈍痛はするが、けがはなさそうだ。

 少女は眉をひそめて、彼を見た。


「ふざけるのはやめてくれ」

「お嬢さんもさっさと短剣を抜けばいいだろ? そうすれば、こっちで遊べる」


 シィネは少女の胸元に切っ先をあわせて、槍をむけた。その鋭さに、少女は黙った。

 危険だ。第一、槍と短剣で戦いができると思うこと自体がおかしい。シィネの持つ槍は優に身長の二倍ある。馬上で用いるものほどの丈こそないが、少女が短剣を振りまわしたとしても、距離の差は歴然としている。

 見たところ、相手は冗談のつもりらしい。それでいて、これは冗談ではすまない話だった。自分がここで短剣を抜いたら、事態はあやうくなる。立ちあがりはしたものの、少女はにじるように退がった。

 いっこうに短剣を抜かず、自分を凝視する少女に、シィネはさきほどから一様に変わらぬ明朗な調子で声をかけた。


「嘘だよ、お嬢さん。本気でやるわけないじゃないか」


 そういうなり、槍を引き、垂直にして自身の体側に立てた。それでも、少女は信じられないという面持ちで彼の槍に注視していた。

 何なのか、この違和感は。

 少女はうろたえていた。

 シィネが、おかしい。さきおとといの夜には、取り乱してはいたが、ふつうだった。おとといも、昨日も別段おかしな行動はとらなかった。しかし、これは何だ。あきらかに常軌を逸している。青年の教えに忠実に従っていた彼とも思えない所業だった。


「おれはあっちの小川で水浴びてくるけど、お嬢さんは?」

「天幕にもどる」

「そう、じゃあ、気をつけな」


 どうやって幕屋にもどったのか、少女はおぼえていなかった。その場から逃げるように小走りに立ちさって、気づけば、そこに帰ってきていた。

 残りわずかと思われる休日を、みな思い思いに過ごしていた。外にでる者も多い。しかし、所在がすぐにわかるようにであろうか、ダビドゥムと青年はほとんどの時間を幕屋のうちで過ごしていた。

 ノンもクアも、シィネと同様に外へでてしまっている。うちに入って、もしダビドゥムと青年しかいなかったら、居心地はさほどよくはないだろう。そうは考えるものの、他に行く場所もない。少女はしぶしぶ足を踏み入れた。

 案の定、奥のほうからこちらに青年の目がむけられた。あたりまえのように手招きされる。ダビドゥムに近づくのはできれば遠慮したいと思いながらも、しかたなしに少女はそちらに歩みよった。青年のそばに腰をおろす。


「おい、どうした。顔が青いぞ」


 先に話しかけてきたのは、青年ではなくダビドゥムだった。少女は驚いて身を引いてしまった。そのようすを笑われて、むっと顔をしかめる。


「関係ないだろう。放っておいてくれ」

「こら、そんな顔をするんじゃない。もっとかわいい顔ができただろ?」


 青年がふざけて、メッとしかりつけるしぐさをする。不味い煙草でも噛みしめてしまったような表情で見ていたダビドゥムも、あきらめたのだろう。ちっと舌打ちをしていったものだ。


「嬢ちゃん、死ぬなよ」


 じゃれあいをとめて、少女は首をかしげる。何をいきなりと、わけもわからないながら、こたえた。


「そのことば、そのままお返しする。私が死ぬとしたら、前衛のあなたがたのあとだからな」


 年齢相応の生意気な顔を見せた少女に、青年もダビドゥムも一瞬、お? と驚いた。少女自身はそれに気がつかない。彼らの一拍遅れた反応に疑問がかすめはするが、追究はしなかった。


「な、んだと、このヤロッ」


 たのしそうに語尾をあげ、青年が少女の頭を小突く。ダビドゥムもついにはあの街で見せたような豪胆な笑い声をたてた。

 そこへ、天幕を捲り上げる音がした。少女の見知らぬ軍服の男が立っている。ダビドゥムは彼を見て、硬い表情でその場から立ち、幕屋の入り口にむかった。何ごとかを小声で話して、男は足早に立ちさる。ダビドゥムは何もいわずに青年に目をやった。青年はうなずいて、白い髪をまとめあげた。

 束の間の休息に荒々しく踏みこんできたのは、うえからの伝達であった。






 少女は青年に指示されて、同じ隊の少年たちを呼びもどしに走った。

 シィネは自分からもどってきていたし、クアもそう遠くには行っていなかった。他の少年らもすぐに見つかったが、ノンはどこにもいなかった。いまさら弓の練習でもしているのかと、人のいない草原のほうまで足をのばして、やっとつかまった。

 少女は大声をはりあげた。彼はゲバル山に近づこうとしているところだったが、少女の声に気づいてこちらをかえりみて、立ちどまった。

 ノンはなかなかそこを離れようとはしない。何が気にかかるのか、ゲバル山脈の西方を見ていた。

 ゲバルのむこうには、イェオール河がシラの北部をくるむように流れている。西方といっても、西の国クロエのほうをみやるほど、極端に西をむいているわけではない。どうも、東アダルとクロエ、そしてシラの三国の境目あたりを見ているようだった。

 ノンがあまりむずかしい顔でそちらを見るので、少女がたずねようとすると、彼は自分から説明してくれた。


「昨日の晩、山のなかに灯りを見たんだ」

「たったひとりでたしかめに?」


 ノンは細い肩をすくめる。


「大騒ぎして何もなかったら、大まぬけだと思わない?」

「それは、まぁ、そうだが」


 山中に灯りとは、穏やかではない。

 ここで戦がはじまるというのに、猟にでる狩人もいるまい。第一、いまは初冬といっていい時期だ。まっとうな感覚の持ち主ならば、狩りどころか戦争だってひかえるのが順当というものだ。

 戦地がシラだからまだましだが、他の北方の国であれば、野営で凍え死ぬ兵がでそうである。

 アダルの偵察部隊なら、火をともすはずもなかった。別働隊があるのだとしても、この険しい山脈を越えて大人数が動けるものか、はなはだ謎だ。

 少女はこのとき自分の考えを信じて、ノンのいいぶんを退けた。だが。

 しかして、それはアダル兵だったのである。






 小川に水を汲みに行くことは日ごとの務めになっていた。皮袋をさげて、少女とノンはいつもの道のりをたどった。

 なれた道である。ふだんは他の隊の水汲みに出会うことも多いのだが、その日はたまたま遅くなったせいで、誰ともすれちがうことがなかった。

 日暮れまであと一刻もなさそうだった。急がなければと思いながら、少女は先に川辺にしゃがみこんだ。

 と、うしろで葉ずれの音がした。何かと思ってふりむくと、ノンが藪のなかを覗きこんでいる。彼がたてた音かと、川に目をもどしかけて、少女は固まった。

 ノンの頭のうえにまさに刃がふりおろされようとしていた。気づいたノンはあわててむこうに転げた。しゅっと空振った刃の軌跡が白く空中に残って。

 肌も髪も真っ黒な印象しかうけなかった。ああ、これが北の人なのだと、少女はひとめで理解した。背が高い。青年やシィネよりも高かった。手足も長い。長い手の先には、ひとふりの刀がさがっている。

 軍服のように見える服はよれて、肌になれていた。襟と肩の位置もずれている。たぶん、わざと着崩したのではない。元はきちんとして清潔だったものが、ここまでの道行きでこうなったに違いない。

 ひとりきりだった。仲間とはぐれたか何かして藪のなかに隠れていたのを、ノンがたまたま見つけてしまったのだろう。

 兵士の息は浅い。呼気を吸いこむたびに肩は大きく上下にゆれている。怯えているのだと、すぐさま少女はわかってしまった。怯えで視野がせまくなっているのか、こちらには気がむいていない。

 きっと、この兵も水を目当てにここに。

 そう考えると、少女は容易には動けなくなった。ただ敵だと思えば楽であったのに、水だの、怯えているのと、人間としてうけとめてしまったのがまちがいだった。

 どうすればいい。声をあげて、こちらに注意をひきつける? しかし、その隙に彼は逃げてくれるだろうか。少女には確信が持てない。それに、兵の関心を惹いたが最後、自分は死ぬだろう。

 少女は逡巡した。

 転がったノンは地面に手をついてうしろをふりかえる。みずからを凝視するノンを、兵士は視界にとらえた。その背を見た瞬間に、少女の世界から音という音がすべて消えさった。

 かがんだままの体勢で水辺の土を蹴った。兵士の背中にむかって足を大きくのばした。ふりかえるひまも与えず飛びつくように兵士の背にぶつかっていく。

 そして、衝撃が腕に、肩に、全身に、走った。少女はそのときになって、自分が叫んでいたのを知った。耳が利かなくなるほどの声をあげていることに、兵士の背からこもった自分の声が返ってきて気がついた。

 意識して絶叫をとめると、手がぬるっとした。


「……え?」


 密着したからだをすこし離す。兵士の背と自分とのあいだに、青年からもらった短剣があった。手が教えられたとおりのかたちで短剣を握って、兵士の背に押しつけていた。

 では、このてのひらであたたかくぬめっているのは。

 肩越しにうめき声が響いた。びくびくっと兵士は痙攣した。その細かいゆれが握りしめた短剣に伝わる。ふぅっと掠れた音を耳元できいた。最期の息が兵士からもれたのだ。背中が前にかしぎ、倒れた。その拍子に、短剣がずるりと肉から抜けた。

 少女は目を見開いたまま、立ちつくしていたが、やがて、腰が抜けたように地面に座りこんだ。

 短剣の抜けた痕から血が湧きでてくる。むせるような臭いがする。錆びた鉄の臭いが生あたたかくたちのぼっている。膝元に、骸から溢れた血が流れてくる。

 青年のいっていたことの意味が、いまにしてわかった。


「悪かった」


 先刻まで生きていたものの臭いを肺に吸いこんで、少女は吐いた。吐きもどしては謝った。小さな声で謝罪しつづけた。

 何も殺すことはなかった。

 くやしくて地面にたたきつけたこぶしのまわりで、早くも固まりはじめた血がびちゃっとはねる。夕暮れで赤も黒も黄昏に飲まれて判別がつかなくなっていく。そのなかに白い色があらわれた。

 既視感につつまれて、少女は顔をあげた。吐瀉物と血糊にまみれた少女を厭いもせずに抱きあげて、彼はいった。


「だから、短剣は抜くなっていっただろう」


 あきれといたわりをふくんだことばだった。

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