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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 14 母神讃歌と白の君

 日没からはじまった宴には、実に気さくな者ばかりが集まった。アス人の国であるシラを背に戦おうという人々だ。南のアスと北のエレブ、どちらの出身なのかが重要視されるはずもない。むしろ、シィネをはじめとする少年たちのほうが萎縮して、中心に据えられた焚き火から遠いところで円陣を組んでいた。

 少女も当初はそちらにくわわるつもりだった。だが、貴族であることが予想外に広く知られていて、ずいぶんとめずらしがられてしまった。そのせいで、ダビドゥムと共に、青年の古い知りあいのもとに招かれているのだった。

 少女はふるまわれた強い酒で舌先を刺激しながら、静かに時間を過ごしていた。頭上では相変わらず、彼女にはわからない昔話や戦の話が続いている。どれもアダル語に限らず外国語まじりだった。

 政治や歴史ならば、会話にくわわることができるだろうが、このような場でそうした方向にはなしが変わるとは思えない。少女は手持ちぶさたになっていた。

 そんな折である。青年がふいにとなりにいる少女に目をむけた。


「いい色だよな。明るいところで見るより、こうして炎の光で見るほうがよっぽどいい」


 髪にふれられて、やっと髪の色のことをいわれたのだとわかる。しかし、話の腰を折ってまで誉めることだろうかと、少女はいたたまれないこころもちになった。少女自身はこの色を好かないので、なおさらだ。

 瞳と同じ、黒に近い黒檀色をした髪は、家族の誰とも似ていなかった。両親や姉たちの髪はもっと淡い色をしている。暗い色を持つ者は領地にも少なくて、幼いころから目立ってしかたなかったのだ。せめて、日に透かしたときのような琥珀色であればいいのにとさえ思っていた。

 自分への反発を感じとったのだろう。青年はとなりに座る男に意見を求めた。さきほどの浅黒い肌をした、声の大きな男である。青年の問いかけに、彼も迷うことなくうなずいた。


「ああ、とてもいい色だ。恵みの色だ」

「恵みの色?」


 少女がたずねかえすと、男の発言をうけて、青年がことばを補った。


「南の豊かな土の色だ。北の大地は乾いた白や赤の砂礫だから、黒や焦げ茶の地面はこちらに来るまで見たことがなかった」

「そう。北ではな、南のことを祝福の地だっていうもんさ。だから、嬢ちゃんの髪の色や、黒はよろこばれるよ。み母の恵みをうけたって」


 祝福をうけるのか、この色が?

 それがどうにも納得がいかなくて、少女はよく考えもせずにことばを紡いだ。


「土の色はともかくとして、シラでは黒は忌むべき色といいますが」


 青年と男は一瞬、口をつぐんだ。不自然な沈黙に少女は首をかしげる。もしかしたら、気分を害してしまったのか。そこで、感づいた。

 いまの発言は、黒髪黒目を持つ者の多いエレブの民にきかせるには適切ではなかった。彼らがあまりにそれらしくない風貌のせいで、配慮を忘れてしまっていた。

 てのひらで口をおさえる。何かいわなければと思えば思うほど、頭は空回りしてしまう。思わずダビドゥムを流し見るが、彼は知らん顔で酒を呑みつづけているばかりだ。助けてくれるようすはどこにもない。

 少女は本格的に困りはてている。

 青年たちはちらっと目を見交わした。男が青年の脇腹を肘でつつく。そうされる前から予想していたのだろう。青年は男が口をひらくより先に首肯した。

 それを見るなり、男は立ちあがり、仲間にむかって叫んだ。


「鼓と笛はあるかっ?」


 輜重隊(しちょうたい)の娘が、あるよと、短くこたえる。幾人かが腰をあげた。娘が荷物のほうに取ってかえすのについて、座を抜けていく。


「あまりやりたくはないんだけれどもな」


 彼らのうしろすがたを見ながら、青年は浅く嘆息した。少女を軽くにらむ。彼女は何が起こるのかと、見つめかえした。視線をうけ、肩を落とし、青年は少女に説いてやる。


「黒を忌むのは南の人間だけだ。特に、耕作から隔たれた金持ち連中は、祝福の地にいるくせに、恵みをもたらす土をさけ、雨を厭う。すべては母の恩恵なのに、な」


 小声で淡々と述べ、青年は少女らの傍を離れた。広場の中央に煌々と燃える炎により、それを背にあぐらをかいて座る。羽根帽子を脱ぎ、脇に伏せた。羽根飾りが熱気にそよぐ。

 長い髪は火の赤みを浴びて染まった。炎の色になった青年の髪のさまに、少女は見入った。少女だけではない。あちらにいた少年たちも、歓談していた男たちも、ダビドゥムも、目を彼のほうにむけはじめていた。

 口がうすくひらかれる。力の抜けた瞳が一歩ぶん先の地面の奥を見透かすような光を帯びる。

 青年に見つめられた地面が、うなった。

 そのとき本気で、少女はそう思った。

 地を這う低い音が場を席巻していた。どこからきこえてくるのかわからない。音を聞きとれるようになったとたんに、からだがしびれるように動かなくなった。

 少女はそっと目だけをすべらせる。あたりの者はみな、吸いよせられるように青年に注視していた。顔色がそれほど変化していないのは、ダビドゥムくらいのものだった。

 青年のくちびるは、かすかにうごめいていた。その姿を見るまで、響いているのが彼の声なのだとは気がつかなかった。それと知ると、音はより鮮明に少女の耳に届いてくる。

 音階がある。これは歌だ。アダルの古語だ。

 荘厳な空気が満ちはじめていた。青年はうたう。からだはほとんど微動だにせず、くちびると喉だけが音を弾きだす。

 音の淡いに閉じこめられながら、少女はその歌が単純な音律の繰りかえしだと気づいた。しかも、聞き覚えがある。うたう声が、音に乗せることばが違うだけで、響きは記憶のなかのそれと印象を異にしていた。

 労働歌だ。窓辺に調べが届くことがあった。きこえるときはいつも、窓辺に椅子をよせて読書をした。

 ゆったりと牧歌的だと感じていたあの歌が、青年の口から放たれると、祈りにきこえる。

 思ううちに、歌はいったんやんだ。青年は楽器を手に腰をおろした男らに目配せをする。いたずらめいた顔に、少女のからだの力が一気に抜けた。

 次の曲に入った。今度は、なだらかな山を滑り降りていくような音の流れ。青年の声のうえに、笛の者だけが加わった。

 彼らは思うままに場の雰囲気をつかんでいた。気分の乗ってきた奏者が鼓で拍を打つと、青年が応じ、笛が色をそえる。青年がうたいだすと、ふたりがあとから追ってくる。

 見れば、人々は身を揺らし、唱和していた。いまにも踊りだしそうな者までいる。彼らにとっても、ごくふつうに親しんだ音楽なのだ。

 同じ隊の少年たちの頬もほころんできていた。少女自身もすでに、よく知る曲では自分のおぼえている詞で音をなぞりだしている。

 また一曲が終わり、青年がふいに立ちあがった。つられて少女の近くでも多くが立つ。

 高くすばやく、手が打ち鳴らされた。



  打ち鳴らせ 恵みたたえ その身のかぎり

  ()ぎ歌は 響きわたる この血のなかに

  遙かに隔たれし 我らの母なる地よ

  果てなく慕いまつる 追憶のうちに



 母神讃歌が古アダル語ではなくて古シラ語で響いたときには、少女はもう、おかしいとも思わなかった。

 こちらでうたう歌があちらでもうたわれ、あちらでうたわれた歌をこちらでもうたう。それをこの場の誰もが身体で理解している。

 歌はいつしか、やんでいた。

 青年がこちらにもどってきた。口の端に笑みをそえて、感傷に浸りかけている少女の額を小突く。


「エレブの民は『黒』のせいで、アスを追われた。豊かな南にもどりたいし、アスに住むことを広く世の中に認められたい。そうでなければ、宣戦布告をする意味なんてないだろう? ただ欲しければ、急襲して攻めとればいい。でも、それでは満たされないんだ」

「布告して、手順を踏んで、堂々と戦って、何になるのです。元はおなじ民だからこそ、こちらにもどりたいのでしょう? それなのに、話しあいにも応じずに戦うなんて、」


 野蛮な人間のすることだと、少女は学んできていた。

 黒を忌むこころは祖先のありようのまま、かわらずに少女のなかにも潜んでいる。小さいころから何遍となく聞かされた話が、よみがえる。

 黒は闇、残忍なる冥界神のまとう色。母なる神は光のもとに闇を封じられた──

 少女のいらだちをも容認して、青年は軽妙な口調で話をそらした。


「お嬢さんは、王都に行ったことがあるか?」


 毒気を抜かれて、青年を見つめる。相手の目は子どものやんちゃをたしなめるときのような光をうかべていた。


「はい。幼いころに一、二度だけ。王都にも家があったものですから」


 青年の意図するところをはかりかね、少女はことばを待った。青年は穏やかに告げる。


「俺は、正面からじゃ王都の城壁のなかにも入れてもらえなかった」

「……。」

「南の人間は、北の民がアスに来るのをぜんぶ、侵略のためだという。帰りたかっただけだといっても、多くは信じやしない」


 青年は肩をすくめて、広場の中央のほうに顔をむける。

 『帰りたい』ということばが、胸にせまった。アスとエレブが分かたれたのは、青年が生まれてくるよりも、ずっとずっとむかしのことだ。それでも、彼は帰りたいという。

 そして、帰ってきたのだ。


「私は信じます」


 短くいうと、青年は朗らかな笑みを見せる。


「隊長もそういった。だから、いまはシラのために戦う」

「それだけで、ですか?」


 少女はあっけにとられた。青年は視線で、何がおかしい、とたずねかける。


「じゅうぶんだろう。アダルにはもう、護りたいものもない。シラにそれがあるのなら、こちら側に立つさ」


 飄々(ひょうひょう)と言った青年に、むこうから呼び声がかかった。

 青年の背が遠ざかったのをみて、ダビドゥムが口をひらいた。それまで黙って飲み食いを続けていたらしく、いまだに杯を手にしている。


「あいつに頼りすぎるなよ。ブランは流れ者だ。すがったところで、助かりゃしない」

「ほんとうに『帰ってきた』のなら、他に行くことはないだろう。行ったとしても、それは旅で、本拠地はアスではないのか」


 けっと、ダビドゥムはあざけるような音をたてた。


「ひとりは支えられる流木も、四人、五人と乗っかれば、見る間に沈んじまうんだよ。ブランは溺れてる奴ぁみーんな、自分につかまらせてやるからな。しまいにゃ、てめぇで泳げる奴までよってきやがる」


 少女は顔がひきつるのを感じた。ダビドゥムの前に立ち、できるかぎり平静を装う。


「私も、そのひとりだと?」

「おう、そうだとも」


 ダビドゥムは杯の酒で、くちびるを濡らした。


「嬢ちゃんはたちが悪い。うちのぼうずどもと違って、金で奴を縛った」

「私がいつ、そのようなことをしたのだ」


 自分を見下ろして詰問する少女に、ダビドゥムはじっと目をむけた。


「依頼もこなしてねぇのに剣をやった。価値を知らずに渡したんじゃあ、あるまいな?」


 知らなかった。誤解をとくには、すぐにそういうべきだった。しかし、たとえ嘘でもいわねばならないときに、少女のくちびるは凍りついてしまった。

 もらいすぎだと言って、青年は短剣をくれた。釣りのかわりだと思った。それで、精算されたのだと、思いこんでいた。

 ダビドゥムがあの長剣の価値を数カランから数十カランと評したと、シィネからきいた。でも、一カランの重みもわからなかったからこそ、やすやすと手放してしまったのだ。

 ただの親切だと、お節介なのだと考えていた自分の迂闊さに、思わず歯噛みしたくなる気分だった。


「……ご忠告、痛み入る」


 礼をいって、草に腰を沈ませた。ぐっとこぶしを握る。爪がてのひらに食いこむ痛みが、ぴりぴりと胸に刺さった。

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