1 - 11 旅の仲間
暑くもないのに、てのひらが汗でぬめるのを感じていた。長剣の柄を握りなおす。昨日、青年に渡したはずの剣をふたたび手にして、少女は青年に相対していた。
青年はといえば、やはり少女に譲った短剣を逆手に構えて、余裕の表情を見せている。
昨晩の豪雨の片鱗も残さぬ晴れやかな空の下、町の街路のまんなかで、彼らはむきあっていた。雨の翌日であるからか、それとも一行を嫌ったか、通りには人影が少ない。
石畳は乾きつつあるが、敷石のくぼみにはいまだに水が残っている。そのせいで、道はところどころ黒く染まっていた。不用意にそこに足をとられれば、まばたきする間もなく勝負はついてしまうことだろう。
少女は水たまりの位置を確認しつつ、シラの剣術の型に則って、剣を持つ手をからだの中心からすこしずらした。
真剣を人にむけるのははじめてのことだった。家で稽古をつけてもらうときは、練習用の木剣を使っていた。鋼の長剣は木剣よりもずっと重い。あたりまえのことだが、そのことに少女はひどく驚き、動揺していた。特に腕などは必要以上に緊張しているのが自分でもわかる。もしも自分のまとう服が青年の衣服のように腕をむきだしにした型であったなら、すぐにも筋の強ばりが目についたことだろう。
さきほどの背の低い少年の貸してくれた服が長袖であったことは、少女にとって、非常にありがたいことだった。からだの緊張が見えてしまったら、こころまで緊張してしまう。
からだから腕が離れるにつれ、長剣の重みが肩にかかっていく。重みを支えきれず、きっさきがふるえそうになる。少女は長剣の重量感を必死で意識の外に追いだし、長剣をぴたりと青年のほうへむけた。
これは、木剣だ。重くはない。誰も傷つけることはない。いつもどおりにすればいい。そうすれば、──勝てる。
きっさきのむこうに青年の目をとらえて、少女は何度も自分に暗示をかける。
青年との距離は長剣四、五本ぶんといったところだ。この短い距離ならば、体格差を鑑みたところで勝負は決している。腕の長さと得物の長さまで考えに入れてしまえば、圧倒的に少女に分があった。くわえて、彼は上背がある。少女のほうが身軽で機動性に優れているのは間違いないことだろうと思われた。
緊張しているのは少女ひとりだった。青年も、彼らを見守るダビドゥムや若者らも、気をはるどころか心配するそぶりもない。結果など分かりきっている。誰も傷つかない。
ならば、当事者でない者にとって、それは完全に他人ごとである。すっかり観客に徹するつもりらしい。邪魔にならぬように離れたところにたたずみ、あるいはしゃがんでふざけていた。
観戦どころか、彼らの関心事はもっぱら少女が髪を切ってしまったことだ。そうでなかったのはダビドゥムと、その脇に立つ背の高い少年だけだった。
「嬢ちゃんもおもしろいこといったよなぁ? 『いっしょに戦にでたい』なんてよ。ま、あんな条件をすなおに呑むところなんざ、世間知らずでかわいいもんだが」
ダビドゥムは腕を組んで家の壁によりかかりながら、あきらかにことをたのしんでいう。話しかけられた少年は苦笑をもらしながら、
「兄貴、見た目だけは、優男ッすからね」
『見た目だけは』をやけに強調して返した。
決着は案の定、あっさりとついた。
すぐそばでそんな会話が交わされているとはつゆしらず、少女がすばやく足を踏みきった。ほんの二歩ほどで、半分以上の距離をつめる。ふりかぶるように両腕を右に引く。きっさきを右に。長剣を横に倒す。
それを予測していたのだろうか。青年は膝から力を抜くようにひょっと身を沈めた。その姿勢から、まるでばねのように前に小さく跳んで、視界から消えた。
動きに目がついていかず、少女は長剣をふりおろす先を見失った。刹那、足をとめる。腕をあげて無防備になった左腹部に、硬い感触があった。見れば、逆手に握られた短剣がぴたりと接している。
こころのなかで三つ数えるほどのあいだ、青年は微動だにしなかった。少女の腹に刃先を押しつけたまま、勝利を見せつけるように身じろぎひとつしない。たえかねて、少女がとめてしまっていた息をふっともらす。その音をきいたのだろう。やっとからだをおこした。
くるりと手のなかで短剣をまわし、刃の部分をつまんで、少女へとさしだす。かわりに長剣を取りかえそうとする。呆然として体側にたれた腕は、されるがままに得物を手放していた。
「あきらめたほうが無難だと思うぜ、お嬢さん」
こちらを見ようともせずに言いはなち、青年は左腰につけた鞘に長剣をおさめた。その段になって、少女はやっと、青年が利き手すら使わなかったことに気がついた。
鞘が左にあるのなら、青年は右利きだ。それにも関わらず、彼は右手をずっとさげたままで、左手のみで短剣をあやつっていた。
とほうもなく手加減をくわえられたのだ。それでもなお、これほどまでに歴然とした差が生まれた。
少女はすぐに青年への認識をあらためて、短剣を剣帯にもどし、彼の背に近づいた。彼は屋内にもどろうとしていたが、少女に気づいて口をひらいた。
「その程度の腕では戦場に連れていけない」
むこうをむいたまま、ただ事実を述べるようにぞんざいな口調で突き放す。いっこうに少女はめげなかった。
「王都までは連れていっていただけるお約束ですから、そこから閲兵場へはひとりで参ります。それよりも、道行きで剣術の指南をしていただきたいのです」
青年からは見えないことなど承知している。だが、おさえきれない笑みがこぼれる。少女は彼の白髪を見つめ、頭をさげて頼みこんだ。正直にいえば、その強さに惹かれていた。頬が熱くなるのを感じる。これだ、これを求めていたのだ。
ゆるゆると頭をあげる少女を、青年は首だけで見返った。白い長髪がひゅっと音をたてて、脇へと流れた。
「なに莫迦なことをいっている! それじゃ、いっしょじゃないか!」
青年は足早にもどってきて、少女の鼻先に指を突きつける。そうして、語気をおさえつつも積極的に諭しにかかる。
「やめておけ。戦争は遊びじゃない」
少女は当然とばかりにうなずいてみせた。
「存じています。領地からも、兵をだしましたから」
「だったらわかるだろう? 女はみな何をしていた。家に残っただろうが。女は守られてあたりまえなんだよ」
「それは戦えぬ女にかぎった話でしょう。女騎士の話はきいたことがありますし、私は日ごろ武器にふれぬ男より、剣も槍も弓もたくみに使える自信があります」
この程度の問答は予想していたことである。用意していた答えをすらすらと唱えて、少女は青年の目をじっと見る。彼はやけになったようだった。はじめて声を荒げる。
「戦争は武術大会でもないっ。お嬢さんみたいな型どおりの剣でどうにかなるものじゃないんだ。あんたの戦いかたでは、次を読んでくれっていうようなものだ」
「ですから、実戦で役立つ術をあなたにご教授いただきたいのです」
「あんたはいま、長剣を持っていないんだぞ!」
双方いいたいことを言いあって、最終的にはただの睨みあいになった。少女はけっして自分からは目をそらそうとしない。くちびるをきゅっとひきむすんで、青年の紅の瞳を根気よく見上げつづけた。
青年の顔色はほとんど変わらない。だが、見つめつづけるうちに、そこに弱ったような色を見つけて、少女はふっと表情から気を抜いた。単刀直入にたずねてみる。
「あなたはもしかして、私を戦場に行かせたくないだけですか?」
少女の質問に、青年が反論しようとして口をひらきかける。そこで、ダビドゥムが盛大に吹いた。なんとも情けない顔になって青年はダビドゥムをふりかえった。低くうなる。
「隊長?」
「すまん、つい」
謝りはしたものの、いまだにそのことばの隙間から、笑いにふるえる息がきれぎれに漏れでている。
ふたりのしぐさが何よりもわかりやすい答えだった。
大きく笑ってしまったのはダビドゥムだけだったが、他の少年や若者らも、少なからず苦笑いをうかべている。
少女がいまさらになって言いあてた青年の意図など、彼らには最初からお見通しである。この隊において、青年とやりあって勝てる見込みがある者といえば、隊長のダビドゥムひとりくらいのものだからだ。
青年に勝ったら、という条件自体が、彼らにとってははじめから非常にばかげたものだったのである。
この傭兵隊に『鈍いお嬢さん』という評価をうけたことも知らずに、少女は青年に食いさがった。
「どうしてさまたげるのですかっ」
「この剣を見たら、無理だと思うさ。戦うために剣を抜いたこと、ないんだろう?」
青年は少女の持ち物であった長剣を鞘ごと腰から外し、柄を少女の目の高さに持ちあげてみせる。さまざまに彩色された糸を組んで、金属の柄を覆ってある。
「きれいに飾ってあるし、糸の表面も汚れていない。こういうのは、実戦にはむかないんだ。俺は、手になじむように布を巻く。その短剣みたいに」
いわれてじっくりと見てみれば、青年からもらった短剣の柄には、すっかり手のかたちになれた細い麻布が巻きつけられていた。
「なぁ、ブラン。オレぁ思うんだがよ、この嬢ちゃんのほうがノンよりもよっぽど使えるぞ? 体重も背丈も足りねぇから、剣や槍ってのは酷だが、長弓ならそこそこいけるんじゃないか?」
「あ、ひどいですよ、隊長っ」
巻き毛の少年の抗議を無視して、ダビドゥムは少女にたずねた。
「弓は引けるんだろう?」
少女はうなずいた。ダビドゥムはそれをうけて、青年を見る。青年は思案するように眉をひそめた。しばらく考えてから、隊長のとなりにいる背の高い少年に声をかけた。
「シィネ。俺の槍と、おまえの弓矢を交換してくれ」
「えっ、いいんすか、兄貴!」
シィネと呼ばれた少年はいまにも弓と矢筒を持ちだしてきそうなほど、浮き足立った。
傭兵稼業の場合、武器は自分たちで用意するものだ。鋼や鉄の長剣や槍先が手に入らない者は、たとえ槍を使えたとしても、持つことはかなわない。シィネはそうした金属の買えぬ貧しい層の出身だった。
青年はことばを続けた。
「それだけじゃあ、つりあわないだろうが。弓矢は一式、お嬢さんにやる。だから、矢の作りかたをお嬢さんに教えてやってくれるか。たぶん、知らないだろうから」
「いや、もう、おれがつくりますよ!」
シィネがそのように申しでるのも詮無いことだった。弓兵として雇われるよりも槍兵として雇われるほうがずっと給金が高いのである。そのぶん、前線にでることにはなるだろうが、矢をもう数十本多くつくる程度の労力など、惜しむべくもない。
はしゃぐシィネの額を、蜜色の指が軽く小突いた。先輩らしい顔つきでたしなめる。
「自分でつくるのが大事なの。一度でわからないようなら、何度でも教えてくれるか」
「はいっ」
シィネはほんとうにうれしそうに威勢よく返事をした。少女は状況を理解して、彼へと手をさしだした。シィネは一瞬とまどったが、すぐにこたえて握手する。
「よろしく、お嬢さん」
「こちらこそ、よろしく頼む」
あいさつして、目をあわせ、シィネはひとのいい笑顔を見せた。つられて少女も曖昧に笑むと、まわりの少年たちが見よう見まねで、我も我もと手をだしはじめる。
背の低い少年がいちばんに飛びついてきた。おこしに来てくれたふわふわの巻き毛の彼だ。さしだされた腕は生白く、体つきも華奢だった。背丈も少女とさして変わらない。
「僕はノンって呼ばれてる。学生なんだ」
「ああ、私は……」
名乗りかえそうとすると、ノンは握手しているのとは反対のてのひらをかざして、少女のことばを制した。
「ほんとうのなまえはきかない約束なんだ。あとで自然に呼び名がつくよ。それまで、君は名無しのお嬢さんなんだ」
先輩ぶってみせるノンを、待っていた少年のひとりがからかった。糸のように細い目の少年である。
「そうはいっても、ノンの本名はおれたちみんな知ってるけどな!」
「いわないでくださいよ! 僕だって、しきたりを知らなかったんですから」
「知らなくても気づけよ。あ、おれはイサク。よろしくね、お嬢さん」
そういうと、イサクはノンの手を引きはがして握手した。その脇から、中背の少年が肩を揺らしながら割りこんだ。
「ノンはみんなの呼び名を知ってたんだから、気づいてもよいね。学生なんだろう? オレはクア。得意なのは槍。実家は肉屋」
くるくるとしたまるい目がやさしそうに細められる。このふたりはノンよりも年上に見える。青年とダビドゥムをのぞけば、シィネが最年長で十八、九、そのあとにイサクとクアが続き、あとは軒並み自分と同い年くらいだろうと、少女は思った。
少女は名乗られるまま、手をとられるままに少年たちに目をむけた。彼らは自分とは違う。どうしてこの程度の年齢の平民が戦の場にでていくのだ。
貴族ならば、士官学校を経て、十四、五歳で少尉となる。実際、自分はそうして近々少尉となる伯爵家の次男に娶合わされるために王都にむかっていた。だが同時に、平民の同年齢の者はまだ婚姻も結ばない年なのだと、少女は知っている。
貴族や一部の上流階級の者に軍を任せきりにすべきではないという動きがあるのだと、女史に習ったが、その類の者だろうか。そのような志のある者たちには、あいにく見えないのだが。
少女はそのようなことを考え考え、握手を十数人ぶん繰りかえしていた。
しかしながら、ここにいるのは傭兵になろうという者たちである。金銭で雇われ、戦場に行くのだ。
そのあたりまえの事実を、少女はいまひとつつかみきれていなかった。経済的な事情のために戦う者のことなど、考えもしなかったのである。