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この血に響け、祝ぎ歌よ  作者: 零-rei-
この血に響け、祝ぎ歌よ
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1 - 01 箱庭の中で

『母神讃歌と白の君』(作・神崎 現)の改題・改稿ver.です。






 紅い絨毯を踏むごとに気持ちがかきたてられていた。廊下の壁は窓からの日にさらされて白く光っている。先刻から目が痛むのは、そのせいか。気づいたが、それしきのことで足取りをゆるめる気はない。

 届けられたばかりの手紙をてのひらに握りこみ、ルキウスは正面を睨みすえた。

 父の居室だ。いまの時間なら、父がそこにいることをルキウスは知っている。訪ねるのははじめてだった。父は領主だ。自室にいるからといって、ひまなわけではない。

 にじんだ汗を吸い、手紙はしおれてしまっている。届けてよこしたのは父だ。ルキウスは一瞬だけひるんだが、すぐに思いなおした。

 父の直筆ではない。こんなもの、しわになったところで構うものか。父に仔細をたしかめたら、さっさと焼き捨ててしまえばいい。

 数歩うしろを侍女が小走りで追いかけてきている。いまにも袖に取りついてきそうだ。けっして手の届かぬ距離ではない。だが、ルキウスは気にも留めなかった。どうせ、侍女には自分をとめる勇気などない。こういうときに主を諫めてこそ『側付き』なのだろうが、自分と同い年の娘にそれを求めるのはいささか酷な気もする。

 部屋までは残りいくらもない。分厚い居室の扉を目にして決心がついたのか、侍女はようやくルキウスの前におどりでた。


「お待ちくださいませ!」


 両手を大きく広げて立ちふさがる。形ばかりだ。通りぬけることもできたが、ルキウスは足をとめ、背の低い侍女を一瞥した。


「どきなさい、ミカル」

「い、いいえっ、どきません!」


 一歩も引かないというそぶりをみせる。虚勢をはっているのは一目瞭然だ。噛みしめられたくちびるが赤く鬱血している。顎などは、小刻みにふるえて。


 ──そんなにおそろしい顔をしてしまっただろうか。


 どうやら、鍛錬が足りなかったようだと思いつつ、ルキウスはミカルへと手をのばした。ミカルの顔がさらに強ばる。ルキウスは自嘲気味に笑み、頬に手をそえてやった。親指で、つつっと真っ赤なくちびるをなぞる。


「やめなさい、切れてしまう」

「ルキウスさま……!」


 見上げてくる目はうるんでさえいる。ルキウスはミカルの頬にあてていた手を肩に移した。軽くたたくようにして、なだめすかす。


「こわがらせてしまったようだな。何も殴りこみに行くのではない。安心なさい」


 ルキウスのことばを信じこんで、ミカルは両腕をそろそろとおろした。無条件の信頼に、多少の罪悪感をおぼえる。

 あとで、何かうめあわせを考えてやらねば。


「では、何のためにいらっしゃいますの」


 たずねる声を耳にして、ルキウスはミカルのためのほほえみを脱ぎ捨てた。


「事実関係の確認だ」


 低く言いはなち、足早にミカルの横をすりぬける。磨かれてつややかにひかる扉を数度、こぶしでたたく。答えは返らない。無礼を承知で取っ手を引いて、逃げこむようにして、ルキウスは父の居室に身を滑りこませた。

 窓掛けの白紗がやさしい色に染まっている。窓を背にして、初老の紳士が机についていた。陽光が紳士の双肩に威厳をそえている。なかばうつむいた顔は真剣で、いまだ書類に集中していることがうかがえた。部屋に入ってきたのがルキウスだと気づいていないのだろう。小間使いだとでも思っているのかもしれない。

 机までの距離をルキウスは大股につめた。ほんの三歩だ。そのあいだに、紳士は顔をあげた。間をおかず、相好をくずす。


「おぉ、ルキウスか」


 やせた頬が笑みにふくらんだ。手を休め、筆をおき、より近くにと、ルキウスを招きよせる。机ごしではなく、脇に来いというのだろう。だが、ルキウスは指示に従わなかった。

 身を乗りだして、よれた手紙を机にたたきつける。書類のうえに載った手紙は音も立てなかった。もはや原型をとどめていない。くしゃくしゃのおひねりになっている。


「どういうことでしょうか」


 ルキウスはうなるように問うた。紳士は机に肘をつき、手を組んだ。つきかえされた手紙に目だけを落とす。


「良縁だと思うのだが。年上では不満か?」


 冗談ではなかった。

 会ったこともなければ、名すらきいたことのない相手からの恋文である。文章の端々に、結婚を前提としたようすさえあった。当然、怖気も立とうし、怒りもする。そうでなければルキウスも、よもや他人からの手紙を握りつぶしたり、執務中の父の邪魔をしたりすることはなかっただろう。


「不満も何も! 私には結婚する気などっ」

「まったく?」

「ええ、小指の爪の甘皮ほども……!」

「そうか」


 徹底した否定にも穏やかに返されて、ルキウスはふっと落ち着きを取りもどした。憤りのあまりひねりつぶしてしまった手紙を、父がひらこうとしている。代わりにうけとり、机の端を借りる。手紙の相手への謝罪がわりにてのひらで押しのばす。

 ためいきがきこえた。目をあげると、父は苦笑いをうかべる。


「乗馬服もいいが、流行の服にも袖を通したらどうだ。先日、サラが仕立屋を呼んだろう。おまえは何か頼まなかったのか」


 他の三人の姉に比べて、二歳上のサラは何かとルキウスの世話を焼きたがる。自分が婚約を決めて、気持ちに余裕がでているのだろう。あのときも、なんとかルキウスの採寸をしようと躍起になっていた。

 ルキウスはよれた手紙を父のほうへおいて、首を振った。


「私には、女物など似合いません」

「せっかく髪をのばしているのだから、鏝をあてて、かんざしをさして、装ってみればいいだろう」

「父上。私は母上からの受け売りを聞きにきたのではありません」


 ぴしりというと、父はあきらめたような顔で、手紙を手にとった。ルキウスは一筋頬にはりついた髪をうしろへなでつけた。

 乗馬服は動きやすさを重視しているから、貴族男子の平服よりも肩幅がせまい。他の女よりはいくらか背が高いといっても、ルキウスは男にしては小柄だ。ゆったりとつくってある男物は、女物よりももっと似合わないことをルキウスは知っている。母がやれ巻いてみろ、女らしくリボンでも編み込んでみろという黒檀色の長髪も、まっすぐで固い毛をしている。姉や母のようなやわらかく淡い色の髪ならば映える髪型も、きっとすぐ巻きがゆるんだりリボンが解けたりして、みっともないことになる。

 比べられるのなんて、まっぴらだった。


「縁談はお断りいたしますと、お伝えいただけますか」

「──当人が望まぬならば、しかたあるまい」


 父は実にあっさりと手紙を脇へのけた。断ったルキウスのほうが呆気にとられてしまった。だが、しつこく食いさがられるよりよほどありがたい。長居は無用だ。ルキウスは父に軽い礼をして、話を蒸しかえされる前にと、急いで部屋をあとにすることにした。

 自分が息子であれば、父もきっと縁談などに悩まされはしなかった。馬術に剣術、槍も弓も、いずれ劣らず使いこなせる自信がある。政治をはじめとする諸学も、家庭教師の口ぶりでは悪くない出来だ。弁論や宮廷風の芸事には弱い面があることはルキウス自身も認めるが、それでもじゅうぶん文武両道に秀でていると思う。少なくとも、同じ年頃の男子には勝っているはずだ。

 だが、ルキウスは女だった。

 女の身ではどれほど才があろうとも、宮廷での出世はかなわない。学問も武術も男並みにたしなむとあっては、貴婦人としてあたりまえのしあわせも望めそうにない。

 地位と身分に恵まれた男が妻にと欲するのは、得てして彼自身よりもすこし頭の足りぬうつくしい女だ。残念なことにというべきか、そうしたこともルキウスは知っている。


「あら。もう帰ってしまうの、ルキア?」


 扉をあけると、母がミカルを従えてそこまで来ていた。部屋に迎え入れようと二歩ほどさがって道を譲り、扉をおさえる。


「お父さまとルキアといっしょにお茶を、と思ったのだけれど」

「もうしわけありません、母上。午後の講義がまだ残っておりますので。また、後日」

「まぁ、ルキア。女がそんなに根をつめて学ぶものではなくてよ」


 ルキアルキアとうるさく呼ばれて、ルキウスははりついた笑顔で会釈した。これ以上、口をひらくまい。反論してしまいそうだ。父にはたやすく勝てたとしても、母に口で勝つのは弁士でなければ無理というものである。

 ルキアもルキウスも同じ語源の名だ。前者は女性名で、後者は男性名だ。真実をいえば、母の呼びかたのほうが正式な名だった。いまだに出たことはないが、宮廷の舞踏会などに招かれる際にはルキアと呼ばれるだろう。さきほどの「恋文」にあった呼びかけもルキアだ。そのことが少なからず癪にさわったのも事実だった。


「縁談はどうしたの」


 見かねたのだろう。父がかわりにこたえた。


「断っておく。アシェルバーグ家はルキウスに継がせる。他家になどやらぬ」

「では、なぜ持ってお帰りになりましたの? あなたがその場で断ってくだされば、先方も手間と時間が省けたことでしょうに」


 辛辣な母の声をさえぎるように、ルキウスはぱたんと扉を閉じた。

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