回想
「という訳なの、マスターどう思う?」
「これはまた不思議な話だね」
「でしょ」
ユカは昨日の出来事を思い出せる限り丁寧に説明してみせた。実はこうしてマスターに話すまでは自分でも夢でも見ていたような気がしていたのだ、だが、ゆっくりと自分の口で事の顛末を話していくうちに、やはりあれは現実にあったことなんだという実感と確信が芽生えてきた。
昼下がりの優しい風が窓ガラスの外の木々を揺らす、マスターはしばらくの間目をつむり考えたのちにユカに問いかけた。
「お母さんには?」
「話してない」
「その方が賢明かな」
「信じてくれる訳ないしね、話したところできっと危ないから行くなって止められるのがオチだし」
マスターはふと何かを思い出した様に。
「その子はどんな子だった?」
「どんな子って・・あたし達と同じ位に見えた」
「実はちょっと思い出した事があるんだ」
マスターは遠い目をして言った。
「思い出した事って?」
「僕もこの町に五十年以上住んでるんだけど、昔、似たような事があってね」
「本当?」
「うん」
「いつ頃?誰の話?」
マスターは再び遠い目をした、それは遥か昔の記憶をゆっくりとたぐり寄せているように見えた。
「実は、僕の小さい頃・・」
学校からの帰り道、空は夕焼けに染まり遠くに見える煙突の長い影が町に足を伸ばしてまるで大きな影絵みたいだ。
ふいに、背中から声がした。
「ねえ、君」
僕は振り返る、そこには見知らぬ少年が立っていた。
「君、誰?」
「僕かい、さあ、誰でもいいじゃないか」
夕日を背に受け、少年はシルエットのように佇んでいる。
「君は将来何になりたいの?」
「えっ、僕・・」
「そう、君」
「まだ、わからないよ」
「知りたくない?」
「えっ何を?」
「君の未来さ」
「未来?そんなのが分かるのかい?」
「分かるよ」
僕は一瞬戸惑う、どう答えようか、いや、からかわれているのかな、でも、本当だったらどうする・・。
「どうする、知りたければ教えてあげる」
「というお話さ」
「嘘、何だか夢物語みたい、でなければSF小説ね、でも、昨日のあたし達とちょっと似てるかも」
ユカは身を乗り出してマスターの話に聞き入った。
「それで、マスターはどうしたの」
「うん・・」
僕はじっと考えた、時間すればほんの数秒に過ぎなかったかもしれない、でも僕にはそれこそ何分もに思えた。
「いや、知りたくないよ」
少年は僕の顔をじっと見つめる。
「そう・・わかった」
僕も少年の顔をじっと見つめ返した。
「ごめんね」
「どうして謝るの」
「何となく・・」
「謝る事ないよ、それが正しいかもしれない」
「どうして?」
「未来がわかったらつまらないじゃないか」
「じゃあ、どうして君は僕の前に現れたの?」
「君がどう答えるのか知りたかったんだ」
「君は・・誰なんだい?」
「僕かい・・僕はね・・」
少年はニコッと笑ってみせた。
僕は一瞬足元に目をやった、そして、目を上げると・・
「あっ・・」
少年の姿は消えていた。
「うん、確かに昨日のあたし達と似てる」
「うん、僕の記憶ではもうおぼろげでね、実はユカちゃんの話を聞くまでは遠い昔に見た夢か幻かって思ってたんだ、何しろ四十年以上前の記憶だもの」
「ふーん」
「でも、ユカちゃんの話を聞いていたらこんな風に思ったんだ、もしかしたらあれは夢じゃなくて実際にあった事だったのかもってね」
「本当にあったのかな?」
「冷静に考えればありえないよね、でも、今ユカちゃんに教えられた気がするよ、この世の中には科学では説明できない出来事がある、僕らは自分では気づいていないだけで広い校庭のわずかな片隅で生きているのかもしれない、校庭の外には見た事もない世界があるかもしれないんだろ」
「うん」
ユカは何となく嬉しくなって思い切りうなずいてみせた。
「マスターはどうして自分の未来を聞かなかったの?」
「怖かったんだろうね、だって幸せな未来ならいいけどそうとは限らないだろ、とんでもない未来を聞かされたら絶望しちゃうよ」
「うん」
「聞く勇気がなかったんだな」
「一生独身なんて言われたらショックだもんね」
「それ、当たってるし」
マスターの見せた少しいたずらっぽいしかめっ面にユカは思わず大声を出して笑ってしまった、でも・・話してよかった・・心の中のソワソワした気持ちが治まったような気がする。
「マスターが出会ったその子、誰だったんだろうね」
「さあ」
大人には誰にでも一つや二つ幼い頃の不思議な体験が記憶の奥にしまわれている。それは今となればありえない体験ばかり。でも、誰かが言ってた、子供にしか見えないものがある。僕らが夜見る夢も脳波を調べ科学的に解明すれば、見終わって八分を過ぎると全て忘れてしまうらしい、だが、毎晩何度も夢を見ている事は紛れもない事実なのだ。小さい頃の体験も、大人は単にそれを忘れてしまっているだけなのかもしれない。