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ユカ

「ねえ、ハハ」

「どうしたの、ユカ?」

「宿題が進まない」

鼻と唇の間に鉛筆を挟みながら渋い顔で台所に現れたユカは、口を尖らせながら気が重そうな声で切り出した。

「宿題って何?」

「作文・・、夏休み中に書き上げなくちゃダメなの、二学期のホームルームで発表するんだって」

「随分と先の話ね、今日が夏休みの初日じゃない」

「発表する人をくじで決めるの、もし選ばれたらと思うと今から緊張しちゃう、あたし、くじ運悪いから」

「人前で話すの得意じゃない、作文だって嫌いじゃないでしょ」

ユカは鉛筆を手に取ると、その鉛筆を縦にして左右に振ってみせた。

「今回はダメ、書く事全然思い浮かばないんだもん」

「何について書くの?」

「将来の夢だって」

「簡単、いくらでも書けるじゃない」

「簡単じゃないよ、夢って言われても、今から将来何をやりたいかなんてわかんないよ、あたしまだ小学生だよ」

「ユカにはやりたい事が山程あると思ってたわ」

 ハハは驚いたような顔でユカの顔を見つめた。

「ハハの小さい頃の夢は何だったの?」

「私?そうね、歌手に憧れてたわ、テレビのアイドルが眩しくて画面の前で毎日歌ったり踊ったり」

 母は身振りを添えてユカにウインクしてみせた。

「さっすが、ハハ、アイドルは最高」

「全くないの、夢?」

「そりゃ、やってみたい事はあるけど、例えば外国にも行ってみたいし、ピアノも弾いてみたいし」

「そういう事を素直に書けばいいじゃない」

「でも、こういうのって将来やりたい職業とか書くんじゃないの?キャビンアテンダントになりたいとか、オリンピックに出たいとか、私の夢は外国に行く事ですじゃあまりに幼稚すぎて」

 ユカはあらためて深くため息をつく。

「なるほどね、じゃあ、やってみたい仕事はないの?」

「うーん・・ない事はないけど」

「何?」

 母がユカの顔を興味深げにのぞき込んだ。

「しいて言えばアナウンサーかな」

「いいじゃない、アナウンサー!ユカは性格も明るいし喋るのも好きだし向いてると思うな、ハハ」

「そうかな・・でもすごく難しいんでしょ?テレビ局なんて倍率が百倍を超えるんだって、無理よね・・あたし勉強得意じゃないし」

 ユカは下を向いてまた口を尖らせてみせた。

「何言ってるの、今から諦めてどうするの、いい、大切な事を教えてあげる」


 ハハはユカの頭を両手でつかんでゆっくりと持ち上げ自分の顔に近づけた。距離にするとわずかに二十センチ位だ。ユカの目が驚いて丸くなる、ハハはユカの目をじっと見つめながら真剣な眼差しで言葉を渡した。


「人間はね、歳をとればとるほど可能性が減っていく、そういうものなのよ。考えてごらんなさい、五十歳になってオリンピックに出たいと思っても出られる可能性はきっと1パーセントにも満たないわ。でも、小学校六年生のユカがオリンピックの選手になりたいと思ったら、努力次第でその可能性はどんどんふくらんでいく。いいっ、夢っていうものはね、必ず叶うって願い続けていればいつか叶うものなの、逆に、自分でダメだって決めた時点でその夢はしぼんでしまうの。大切な事は夢が叶うと信じ続ける事、それができるのがあなたたち若い人達の特権なのよ、分かった?」


 ユカは目を見開いてハハの顔を見つめた。


「わ、わかった・・」

「よろしい」

「顔、近くてちょっと怖かったけど」

「じゃあ、悩んでないでがらくた館まで桃を届けてくれる?山梨のおばさんが送ってくれたとびきり上等の桃よ、マスターに届けてちょうだい」

「了解」

 ユカは台所に行くと桃の入った籠を手にし玄関へ向かった。

「ハハ、あのね・・実は、昨日・・」

「どうしたの、まだ何かあるの?」

 ハハの問いかけにしばらく考えたユカは小さく首を振った。

「ううん、何でもない、じゃ、行ってきまーす」


 

カラカラカラン 

扉を開けると真夏の陽差しが刺すように照りつけた。

ユカはポニーテールの髪を軽く揺らすとリムーへ向け駆け出していく。曲がりくねった石畳の坂道が迷路のように続く、坂道を下りきると視界が開けた。この小さな「平野」からは瀬戸内海の青い海が見渡せる、エーゲ海の建物の様に「リムー」が現れた。店先には夏の光に輝くレモン達がキラキラと笑顔でユカを迎えた。


「サラーム ユカちゃん」

「サラーム おじさん!、ペルシャ語覚えたよ、『こんにちは』でしょ」

「おっ、嬉しいね、今日は何をお求めで?」

「レモンを二十個、がらくた館のお使いなの」

「そりゃ感心、ではとっておきのエメラルドレモンを一つおまけしておこう」


 おじさんは山のように積まれたレモンの中から選りすぐるように一つずつレモンを取り出す、そして太陽の光にかざしては納得したようにうなずくとパリパリの紙袋に放り込んでゆく、嬉しそうに、嬉しそうに。やがて紙袋は二十個のレモンの香りで溢れた、そして最後に山の頂上辺りに厳かに置かれていたエメラルドにも似た緑色のレモンを誇らしげに三本の指で持つとユカにうやうやしく差し出して見せた。


「ありがと、わっ、きれい! 普通のレモンと違うの?」

「持っていると幸運が訪れる」

「本当?」

「信じる者にしか幸運は近寄らない」

「信じる!」

「お買い上げありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとうございます、じゃ、また来ます」

 

 ユカは袋いっぱいのレモンを抱えて坂道を登る。抱えた袋の中からレモンの香りがほのかに立ち上り鼻の中を微かにくすぐった。帰り道は上り坂なのに何だか下った時よりも足が軽く感じられた。往復わずか十分ほどの買い物だったが、ユカは気持ちの中のもやもやが夏の日差しの中で乾いて散っていくような気がした。


カラカラカラン

扉を思いきり開けると息せき切って店に飛び込む、床の木を叩く靴の音が軽やかに響く。

「お帰り」

「ただいまマスター、はい、レモン、おじさんおまけしてくれたよ」

「さてはペルシャ語しゃべったね?」

「ご名答!」

「こりゃすごい、エメラルドレモンだ」

「持っていると幸せになれるんだって」

「素晴らしい」

 ユカは小さく一つ深呼吸すると気をつけの姿勢をとる。

「マスター、気持ちの整理がつきました、あたしの話を聞いて下さい!」

「はい、お待ち申しておりました」





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