喫茶「がらくた館」
カラカラカラン
乾いた鈴の音とともに扉が開き、爽やかな風が舞い込んできた。風と一緒に飛び込んできたのはユカ、ノースリーブの白いシャツにデニムの青いキュロットスカート、夏の陽差しに焼けた肌が眩しい。
「マスターこんにちは! 」
「いらっしゃい、ユカちゃん、学校は?」
「なに言ってるの、今日からな・つ・や・す・み」
「そうか、そりゃおめでとう、健全な小学六年生よ」
「ありがと。これ『ハハ』からの差し入れ、田舎から送ってきたモモだって」
「おお、これはまたかたじけない」
マスターは舞台役者のように深くお辞儀をしてみせた。
「いえいえ、どういたしまして」
「何にする?」
「オレンジジュース」
「そうか・・通信簿悪かったんだ」
「えっ、どうして分かったの? ポーカーフェイスに自信あったのに」
「そりゃあ分かるさ、ユカちゃんが機嫌のいい時はレモンティー、落ち込んでる時はオレンジジュース」
「うぬ、やるなおぬし、さすがプロ」
「お褒め頂き光栄です、なにしろ小学生の常連さんはユカちゃんだけですからね」
喫茶「がらくた館」は小さな港を見下ろす山の麓から10分程登った所にある。坂道だらけの小さな港町は石畳が連なり旅行く人の心を懐かしい気持ちにさせてくれる。店のすぐ隣には観光用のロープウェイ、山の頂上から見下ろせばそこには青い海と緑の島々、眼下の港はまるでミニチュアセットのようだ。
開店は喫茶店にしては少し遅めの朝九時、閉店は夜の十時半だ。夜景を楽しんだ観光客を乗せたロープウェイの最終便が夜の九時半に駅に到着する、夢見心地で降りてくる恋人達をがらくた館は優しく迎え入れる。大人限定の「ナイトセット」は洋酒がたっぷり染み込んだサバランとカプチーノがワンコイン五百円で楽しめる、この店の名物。
カウンターに座ったユカはオレンジジュースを一口飲むと、マスターの顔を見上げて目を合わせた。昼下がりの店には他にお客もいない。マスターはコップを拭く手を休めると、優しげな顔を向けた。
「ね、マスター、ちょっと相談があるんだけど」
おもむろにユカ。
「うーん、どうしようかな、まぁ、タダって訳には・・」
マスターがわざと難しそうな顔をしてみせた。
「もう、意地悪 ! 」
ユカは少し口を尖らせてみせる。
「じゃあ、相談料として後でリムーまで買い物頼もうかな」
マスターは意味ありげな笑顔でユカの返事を促した。
「リムー」はがらくた館から坂道を三分程下った所にあるフルーツショップ。この店のレモンの味は格別、酸味と苦みと甘味のバランスが絶妙だ。がらくた館のレモンティーやレモンスカッシュ、それにナイトセットのサバランのシロップにもこのレモンがたっぷり使われている。
ちなみに「リムー」はペルシャ語で「レモン」。店の主人はアラビアマニア、果物のPOPがすべてアラビア語だ。「なんて書いてあるか教えて! 」と頼むと機嫌がよくなりおまけしてくれたりする。
「了解」
「よし、交渉成立!で、何なの相談って?」
「うーん 信じてもらえるかわからないけど・・ちょっと不思議な事があってね・・」
「・・・」
「誰にも言わないって約束してくれる?」
「ふむふむ」
「マスターなら人生とっても長く生きてるし、今までいろんなお客さんの相談にも乗ってきたでしょ?信頼しての相談なの」
「ありがと、でもユカちゃんは一つ大きな勘違いをしている」
「何?」
「この店ができてからどれ位?」
「あたしが六年生になってからだから・・四か月!」
「だから僕もマスター四か月」
「うそっ!ほかの場所でずっとお店やってたんじゃないの?」
「いや、初めてだよ」
「だって、注文で私の気持ちを言い当てたり、お客さんとの話だって上手だし」
「ユカちゃん、開店してから二日に一度は来てくれるだろ、ウチの最初の常連さんてわけ、気持ちだってわかるようになるさ」
「常連さんて言われると嬉しいけど家が近いからだよ、ほとんど隣だもん、それに私のお小遣いじゃ週に一度しか注文できないし」
「いいんだよ、毎日の様に顔を見せてくれればそれで常連さん、今日だってモモもらっちゃったし、お母さんやおじいちゃんも時々来てくれる、ユカちゃんはがらくた館にとって大切な常連さんです!」
マスターは「気をつけ」の姿勢をした後でぺこりとお辞儀をしてみせた。
黒縁眼鏡にあごひげを蓄えたその姿はけっこうなダンディー、中肉中背だが髪の毛は黒くつやがあって見た目は三十代後半と言っても信じてもらえそう、毎朝ジョギングと筋トレを欠かさないという噂がまことしやかにささやかれている。
ユカは初めてマスターに会った時から不思議な魅力を感じていた、何か困った時に相談したらきっと親身に相談にのってくれるんじゃないかって、なぜって聞かれたら特に理由はないんだけど・・直感。
常連さんと言われて、ユカは素直に嬉しくなった、何だかちょっぴり大人になったような、そう、一人前に扱われて少しくすぐったい気持ちだ。
「そっか、わたし常連さんなんだ、ちょっと恥ずかしいけど嬉しいです、で、マスター、がらくた館始める前はどこで何やってたの?」
「サラリーマン」
「へー、そうなんだ、何で辞めちゃったの?」
「五十歳になった記念に」
「ずっとサラリーマン?」
「違うよ」
「その前は?」
「学校の先生」
「うっそー ちょっとだけ衝撃」
「何で、見えない?」
「うん、見えない」
「どうして」
「見た目もヒゲ面だし、イメージ合わない!」
オレンジジュースの氷が溶けカランと音を立てる、窓の外から船の汽笛の声が緩やかに忍び込み二人の会話を少しの間止めてみせた。ユカはふっと小さく深呼吸をするとあらためてマスターを見た。
「ところで何だっけ、不思議な出来事って」
「うん・・自分でお願いしといて何だけど、話そうかどうかちょっと迷ってる」
「どうしてだい?」
「夢みたいな話だし、それにちょっぴり怖い・・」
「怖い・・お化けにでも出会ったのかな」
マスターが幽霊の真似をして低い声を出してみせる。
「マスター、全然怖くないよ、第一昼間だし」
「そうか」
「あっ、ごめんなさい、こういう時は怖がってあげなくちゃね、キャー」
マスターが今度は声を上げて笑ってみせた。
「僕も少し興味がわいてきた、話す気持ちが固まってからじっくり聞くよ」
「ありがと、じゃ、買い物行ってくる」
「OK!頼んだよ、夏の太陽をいっぱい浴びておいで」