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昼食は、クラリスに連れられて城の食堂で摂った。
寮にも食堂があるが、使えるのは朝のみだという。
「お城の食堂は寮と少し離れているから、忙しい朝の移動時間を考慮してると言う話よ?」
クラリスが教えてくれる。
城の食堂は、下働きの男女や一般の兵士たちで結構な混雑ぶりだ。
こことは別に、貴族や仕事の階級が上の方々の為の食堂もあるらしい。
「好きなものが食べられるし、美味しいからここの食事は評判がいいのよ。城勤めのものは無料だから実家に帰りたがらないものもいるくらいよ。」
無料とは素敵な言葉…と思いつつ、リシェルは香ばしく焼きあがった鳥料理を口に運ぶ。
「あ、美味しい…」
「ね?」
クラリスの女神のような微笑みで、美味しさ数倍です、とはさすがに口に出せずに頬張った肉をもぐもぐしながら目で訴えつつ首肯する。
「午後からは、城の案内と配布される備品や隊服の点検ね。ねぇ、そしてちょっと聞いてもいいかしら?」
上品ながらおよそ伯爵令嬢とは思えぬ素早さで昼食をやっつけたクラリスが、食後のお茶を片手に優雅に首をかしげる。
「なに? 答えられることなら何でも」
「どうして騎士になろうと思ったか聞いても?」
「あぁ…」
そう来ましたか。侍女のつなぎとか言っても怒られないかな。軽蔑されたりしたら悲しいかもと思ったものの、生来の隠し立てが苦手な気質でうまくごまかせるとも思えない。
「実は、侍女に応募する予定だったのが、田舎から出てきたらもう締切終わってて…。お給料もいいし、推薦していただける方がいたんで騎士に。なんか動機が不純で申し訳ないとは思うんだけど、今更田舎にも帰れなくて…」
「あぁ、侍女ね。なるほど。数年前に募集期間が変わったものね。あなたみたいに華奢な子が入隊するの珍しいから何かあるのかと思ったわ。じゃあ、侍女のお仕事もできるのかしら?それならご令嬢の傍付きの護衛任務もこなせるかもね」
クラリスは思った以上にあっさりとしている。
「私に回ってくる仕事が少し減りそうで助かるわ。正直、貴族の子女の護衛任務は好きじゃないんだもの。任務の内容によっては侍女の格好をする必要があるから、人を選ぶ仕事なのよね。良かったわ」
「そ、それと…」
今のうちに全部言ってしまった方が後々気が楽になるだろうと、リシェルは羞恥心を抑え込んでさらに告白する。
「私の祖母も母も、騎士様を夫に迎えたので私も夫となる人は騎士様がいいなぁと思ってて。私の田舎では出会いがないから王都で働いているうちに素敵な方と会えたらいいなぁ、なんて…」
ガツガツしてるわけじゃなくて、乙女の夢的表現で。
騎士様と結婚したいっていうのは、夢見る年頃の女の子たちの総意だと思うのです。
「あら…そうね、ウチの隊にはろくな男がいないのよ残念ながら」
リシェルったらロマンチストなのね、と呟いて小さく嘆息すると、クラリスは軽く首をひねった。
「品定めくらいなら、今度うちでやる園遊会にいらっしゃいな。騎士も来るしヘンな男をつかまないよう忠告くらいなら出来ると思うの」
この件も、軽くいなされリシェルはちょっと拍子抜けした。しかもご招待までされるとは。
「神聖な職場で男漁りとか思われて、正直軽蔑されるかと思った。でも園遊会って素敵ねぇ! 私、行ったことないんだけど覗いてみたい。…大丈夫かな?」
クラリスは苦笑すると、覗くんじゃなくてちゃんと参加ね? とくぎを刺してきた。
「でも多いのよね、職場結婚。ただ、騎士と結婚するのは侍女や官吏、下働きの子が多いかしら。内情知ってるよりも、夢を追う余地がある方が恋愛としては楽しいみたいね。男性側も、剣を振り回す女よりも気配り目配りのできるように見える職の子が可愛らしく思えるみたい」
「あぁ、そうかも。騎士様って女の子の憧れだから色々想像する部分が多い方がより夢が壊れないかも」
それを考えると、騎士に入隊したのは間違いだったのだろうか…
「でも、内情や本人のいつもの様子を知ってた方が結婚の失敗は少ないからものは考えようね」
クラリスは何やら達観した結婚観を語りだす。
「クラリスは気になる人とかいるの?」
つい女子モードになって聞いてしまうと、クラリスはちょっと笑ってかぶりを振った。
「私は婚約者がいるのよ。いわゆる家同士の政略で、貴族にはよくある話ね」
「…いやではないの?」
「貴族の役目でしょ。私は貴族の特権を享受してるの。家と領地領民の為に私ができることは成さねばならないのよ。私の相手が幼馴染だから偉そうに言えるのかもしれないけどね」
貴族の役目と言われて、この年頃の貴族子女の一般常識を改めて思い出す。今まで自分には縁談など来なかったが、ある程度上級の爵位を持った貴族ならば当たり前のことだった。
自分には自覚が足りないなと、反省した。
「上位貴族と言うのも大変なものなのね。田舎ではもっとゆるい感じだったわ」
「そうね、領地持ちの騎士や男爵が地元の御嬢さんを娶るというのは珍しくないみたいね」
「地方でも旧家や豪族じゃないと肩身は狭いというのはあるけどね」
なんだかやたらと現実的な話になったなぁとため息をつきつつ、昼ごはんの最後の一口を飲み下す。
とりあえず、私の夢も聞いてもらえたし園遊会にお呼ばれされたしよしとしよう。
夢にさらに近づいた気がする。
「食べ終わったかしら? そのお茶を飲み終わったら行きましょう」
食器の乗った盆を手に席を立ち、返却方法を教えてもらっていると何やら食堂の入り口がざわついている。
「エイドリアン様よ!」
「わぁ、珍しい。今日も麗しくいらっしゃって…眼福ねぇ」
そこかしこから、黄色いささやきが聞こえてくる。
誰か有名人でも現れたのかと、リシェルも入口の方に視線を向けるが人が多くてよくわからない。
「…行きましょう」
クラリスが急に焦った表情に変わって、リシェルの手をつかむと人込みを大きく回り込んで食堂の出口に向かって急ぎ始める。
「クラリシェイア! シェイ…」
もう食堂を出るという寸前に、クラリスを呼ぶ若い男性の声が聞こえて突然クラリスが止まるので、手を引かれていたリシェルは危うくクラリスの頭に衝突しそうになった。
クラリスが手を放したので、背後からひょいと様子をうかがう。
そこには輝くばかりの金の髪を首の後ろで緩く結んで背に流した、夏空のような爽やかな青色の瞳をした青年が立っていた。
柔和な顔立ちを喜びに輝かせて、クラリスを見つめている。
わぁ、品の良い美青年!クラリスのお知り合いだしきっと上位貴族様ね。
「ここで会えるなんて、わたしは運がいいな!」
にこにこと両手を広げて、クラリスを抱擁しようとする青年に、クラリスは両手をぐいぐい出してけん制する。
「エディ…! こんなところでやめて。ここはあなたの家じゃなくってよ?」
「うん、知ってる。だからだよ。君はわたしのものだってみんなに見せつけておかないと」
わぁ、もしかして彼はあれですか、例の幼馴染婚約者様ですか。でもすごい積極的ですね。
幼馴染婚約者の彼は、クラリスが出した両手首をつかむと、あっという間に自らの胸元に引き寄せてその指先に愛しそうにくちづけする。さらにクラリスが真っ赤になって固まっているのをいいことに、口元にその麗しい顔を寄せて唇にまでくちづけた。しかも長い。うん、長い。
そこかしこで、黄色い悲鳴と吐息が聞こえる。
公衆の面前でなんと大胆な。
「シェイを補充できたから、午後からまた仕事頑張れそうだ」
甘くとろけるような視線と微笑みを送って、固まったままのクラリスを今度こそ抱きしめる彼と目があった。
「…君がシェイのルームメイトだね。わたしは見ての通り、彼女の婚約者、エイドリアン・ラングフォードだ。もしかしてもう彼女から聞いてるかな」
エイドリアン様がクラリスを抱きしめたまま言う。
「お初にお目にかかります、リシェル・アイルザードです。はい。それにクラリスと同室になれてとても幸運でした」
騎士の略式の礼をとって挨拶すると、一瞬柔和な顔に冷たい微笑が浮かんでぞくっとする。
「そうだね、君はとても幸運だ」
「クラリス様はとてもかわいらしくいらして、傍にいるだけで目が幸せです」
「ああ、そっちの意味ね」
他にどんな意味があるのかわからず首をかしげると、我に返ったらしいクラリスが暴れてエイドリアン様が抱擁を解く。
「シェイのルームメイトが素敵な御嬢さんでよかったね。わたしも一安心だよ。じゃあね」
クラリスが抗議の言葉を浴びせるいとまも与えず、エイドリアン様は艶やかに微笑んで黒髪の一筋に口づけを落とすと、踵を返して食堂を出て行った。
ご飯食べに来たんじゃなかったのかな?
あれ? しかもなんでもう私がルームメイトだって知ってたの?
首をかしげていると、食堂中の視線を集めていることに気付いたクラリスが、慌ててリシェルの手を引いて食堂から逃げるように出ていった。
「もうっ! 恥ずかしいったら! しばらく食堂に行けないじゃない!」
ずんずん歩くクラリスに小走りで追いついて並ぶと、真っ赤な顔で涙目になりながらクラリスが毒づいている。赤面する美少女とか眼福です。
「クラリス、愛されてるのねぇ」
ステキ、羨ましい!!
家同士の政略とはいえ、ゆくゆくは旦那さまとなる人に、今からあれだけ熱烈に愛情を注がれるなんて憧れちゃう。
恋愛小説の一ページみたいだったなぁと頬を緩めて伝えると、クラリスは苦い表情をする。
「あの人は……女の人には誰にでも優しいのよ。私は婚約者だから、周りから大事にしてるように見えるよう振る舞ってるだけなの。公爵家の跡取り息子だもの」
あんなにとろけそうな表情だったというのに、あれは演技だとクラリスは感じているようだ。
「えぇぇぇ……求められた役割を演じているようには見えなかったけど」
クラリスに向けた笑顔と、私に向けた笑顔は明らかに全然違う温度差だったけどなーと思っていると
クラリスがぽつりとつぶやいた。
「あの人が公爵家を継ぐには私が必要だから」
意味が分からず、思わず無言になると、もうこの話題はおしまいね、とちょっと無理した感じの笑みを口元に刷いてクラリスが言った。