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そもそもリシェルは、侍女になりたいという自分の夢を叶えるために、祖母からの紹介状を手に、王都に向かったのだ。
ここまでは、何の問題もないはずだった。
紹介状で、侍女の登録を済ませ、見習い期間を経て試験を受け、しかるべき場所に登用されるという流れのはずだった。
それが、どこでどう間違えて騎士見習いになったのかといえば、4日ほど前の王都までの移動中のトラブルのせいだ。
4日前。
リシェルの乗る乗合馬車は、どこまでも順調に進んでいた。四頭立ての馬に、大きな幌付きの客車のついた馬車は乗り心地がいいとは言えないが、文句を言っても仕方がない。移動手段は徒歩を除けば馬か乗合馬車のみだ。
最近は大分治安も良くなってきているが、未だに野盗の類が狼藉を働いているという噂も聞く。しかしここはもう王都から近い街道沿い、そう危険なこともなかろうと思っていたのが間違いだった。
がたんと馬車が大きくかしいで、止まってしまった。
大方、車輪が石にでも乗り上げたのだろうと最初は思った。
しかし、御者台の方からくぐもった悲鳴が漏れ聞こえれば、車内にさっと緊張の色が走る。
8人ほどいた乗客は皆、護身用の武器を用意しだす。もちろん、リシェルも例外ではない。
「おう、中の奴ら!出てこい!」
しゃがれた怒鳴り声が、外から聞こえる。
言われたままに外に出た途端、ばっさりやられることもあるだろうと皆躊躇し、動けない。息をのんでただ無言のまま、それぞれの武器を握りしめる。
やがてなかなか出てこない乗客にしびれを切らしたのか、野盗が馬車の扉を大きく開け放す。
「いつまでぐずぐずしてるんだ!ブッ殺すぞ!!」
刹那、きらりと刃が一閃し、肉を裂く鈍い音が響いた。
「一体私たちが何をしたっていうの? ふざけるな」
低い声で、血濡れた愛剣を手に、扉のそばに立つリシェルが言う。
馬車の扉を開け放った男は荷台の下ででうめき声をあげながら地面にうずくまっている。男の武器がすぐ横に転がっていたが、既にそれを手に戦えるような状態ではなかった。
何かあったら困るから持って行かなきゃダメよ、と語尾にハートマークをつけて母が持たせてくれた剣を手に、リシェルはうんざりしていた。
もう、使わなくてもいいと思っていたのに……!
「ねぇ、剣士さんはもちろん手伝ってくれるんでしょう?」
リシェルが馬車の外からの攻撃に備えながら外に降りると、荷台の後方にいた剣士も下りてくる。
「いい太刀筋だなぁ。俺、久々に感動したよ。とりあえず手伝うわ」
「…後ろを、お願いしますね」
「了解♪」
襲われて、動揺もない剣士だ。それなりに腕もたつのだろうとリシェルは推察する。
馬車を取り囲む賊は6人だ。単純に考えて一人で3人の相手はきついかも。
リシェルはふんわりと可愛らしく膨らんだスカートを、邪魔とばかりに思い切りよくベルトにたくしあげながら考える。
晒された白く滑らかな足に、野盗たちは下卑た笑いをもらし、口笛を吹く。
「最近、ろくな獲物がかからなかったが、これは上玉だなぁ」
こんな奴らに捕まったら、自分の未来は無い。
覚悟を決め、思い切りよく地面をけって、リシェルは剣を閃かせた。
結論から言えば、あっという間に決着はついた。
どうも、ろくに訓練もされていない野盗だったようで、奴らの持っていたロープで全員をぐるぐる巻きに拘束するまでいくらもかからなかった。
「大活躍だったね。期待はしてたけど、正直びっくりしたよ」
相変わらずのんびりとした口調で話しかける剣士に、リシェルの眉がピクリと上がる。
「手、抜きましたね? 思いっきり!」
くだんの剣士らしき男は、リシェルが立ち回る間、彼女に近づく賊の足止めをしただけでほとんど戦った様子はなかった。
ひょうひょうと、賊の攻撃をかわしながら、リシェルの戦いの様子を眺めていたようだった。
「君の手際が良すぎただけでしょ? 俺が加勢しなくても全く問題ない様だったし。大体、殺らずに倒してふんじばって置いとくだけなんて俺からすれば生ぬるいけどねー。君がやられたらどうなるかはわかってるんでしょ?」
皮肉を含んだ言葉に、一瞬たじろぐ。
「それとも、これからが本番なのかな? 指とか鼻とか耳とか。目っていうのもありだね~」
剣士はどこからともなく非常によく切れそうなナイフを出して、縛られた賊の目の前をちらつかせながら時折つついている。
「別に優しくないよ。ここは私の住む土地じゃないから、罰則を知らないの。勝手に殺して私に罰が下されるのはごめんだもの」
野盗の顔が紙のように白くなるを見て、ため息をつきながらリシェルが答えると、剣士はにやりと笑う。
「じゃあ、奴らはこのまま引き渡しか。お前ら、良かったなぁ。処分が延びて」
剣士は、縛られて青い顔をした野盗たちに呟くと、あくびをしながら馬車に乗り込んだ。
そういえば、御者は大丈夫だったのかと馬車の中を覗き込むと、運よく乗り合わせた商人が薬を持っていたらしく、急所を外して命拾いをした御者が処置をしてもらっていた。
「あんた、強いんだねえ、最初はどうなるかと思ったけど、命拾いしたよ。ありがとね」
「本当に。あんた王都に行くんだろ?王都で困ったことがあったら、今度は俺が助けてやるから、遠慮なく来いよ」
リシェルが剣士に続いて馬車に乗り込むと、乗り合わせた人々から次々と礼を言われる。
くすぐったい思いでリシェルも礼を返すと、御者の代わりを名乗り出てくれる人もいて、無事に馬車は走り出した。
野盗の処理は近くの街の警備隊に任せることにした。
「ねぇ君、王都まで行くのか?出稼ぎ?」
リシェルは急に後ろから声を掛けられ、先ほどの剣士が意外にも近くに座っていたことに気付いた。
「はい。紹介状があるので、王城の侍女見習いに」
剣士はぽかんと口を開けた。
「は?」
「……えっと、王城の侍女見習いに」
「侍女?」
「侍女です」
「なんで? なんで侍女?」
「――紹介状があるんです。王宮に勤めてみたくて」
剣士の質問の意図がよくわからずに、リシェルは答える。
「貴族のお屋敷のつてもあることはあったんですけど、個人のお屋敷はいろんなしがらみがあるから、王城の方がいいんじゃないかって」
おばあさまが。
無理を言って、書いてもらった紹介状。王城勤めの、大事な切符だ。
「あんたさぁ・・・」
いつの間にか、君からあんたに呼び名が変更されている。
「あれだけ剣ができるなら、騎士とかの方が向いてるとか思わなかった?」
「えぇぇ~! そんなわけないじゃないですか。あの程度じゃ、見習い騎士の試験だって通りませんよ――えっと?」
「あ、すまん、名乗ってなかったな。俺、ジェイリアス。ジェイって呼んで」
「私、リシェルです」
「リシェルちゃんか~。それで、あの程度って?」
「大して訓練してる様子もない野盗でしたよね? 普段はきっと脅す程度で金品を奪ってたんでしょう。私ごときにやられるなんて、きっと鍛錬をさぼっていたか、ほとんど剣を扱ったことがないんだと思います」
「そ、そう…」
「そうですよ。私、仲間内じゃ一番弱いんですから」
「一番弱いの?」
「兄様と、弟と、幼馴染の中でですけど」
「…………」
なんとなく押し黙ったジェイに、リシェルは小首をかしげる。
「あのさぁ、あんまり言いたくないんだけど」
「は、はい」
急に真面目な顔で、言いにくそうにするジェイに、思わず居住まいを正すと、ジェイは爆弾発言を落とした。
「王城侍女の公募、5日前に終わったよ?」
「え!? ちょ…どういうこと!」
思わずジェイの胸倉をつかんでリシェルは叫んだ。