0014話
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
白夜は荒れた息を何とか整えようと、深く深呼吸をする。
自分の武器の金属の棍だけであればまだしも、自分より小さい子供一人を担いで道もろくにない山の中を、それも背後からゴブリンの群れに追われながら移動したのだ。
緊張や疲れで息が切れるのは当然だった。
ましてや、今ここにいるのは白夜と、音也、そしてノーラの二人と一匹のみだ。
魔法使いの杏と、ナイフを手にしている弓奈の二人とははぐれてしまっている。
いや、正確には白夜が意図的に杏や弓奈から離れた方に逃げたというのが正しい。
弓奈はともかく、ローブを着て杖を持っている杏は山の中を逃げるのにはとてもではないが向いていない。
もしゴブリンに追われながら杏たちと合流していれば、間違いなくゴブリンの群れと戦いになっただろう。
そうなれば消耗戦となり、人数の少ない白夜たちが圧倒的に不利だった。
ましてや、まともに戦力として数えることが出来るのは白夜と杏、ノーラの二人と一匹だけだったのだから。
ゴブリンを憎んでいる弓奈は、戦意はともかく武器がナイフしかない。
音也にいたっては、まともな戦闘力を期待出来ないだろう。そして杏が魔法を使うにも魔力が必用で、その魔力も無限ではない。
そんな二人……もしくは杏が魔力切れになってしまえば三人を庇いながら戦うのであれば……と、白夜は二人とは違う方に逃げたのだ。
七色の髪を風で靡かせながら走っていた白夜だったが、木々に紛れたことにより、その目立つ髪をゴブリンの目から隠すことに成功する。
それを確認すると、周囲の様子を警戒しながら、白夜は腰のポシェットから水筒を取り出す。
そこまで大きな水筒ではないが、それでもある程度の水を入れておくことが出来るという点で非常に便利なものだった。
「んぐ、んぐ……ぷはぁ。飲むか?」
「いえ、大丈夫です」
水筒を差し出して尋ねる白夜だったが、音也はそんな白夜に言葉に首を横に振る。
走った訳ではなく、ただ白夜に持たれて運ばれてきた音也だけに、喉は渇いていなかった。
白夜も、無理に水を飲ませようとは思っていなかったのだろう。
それ以上は特に何も言わず、周囲には沈黙が満ちる。
もっとも、沈黙していたのはあくまでも白夜、音也、ノーラの二人と一匹だけで、風が木々を揺らす音、鳥の鳴き声、獣の鳴き声、虫の鳴き声といった風に、様々な自然の音が聞こえてくるのだが。
遠くの方からは、白夜たちを探しているのだろう。ゴブリンたちが騒いでいる声も風に乗って流れてくる。
(そう簡単に動くことは出来ないな。……出来れば早めに杏たちと合流したいんだけど)
追われているときはともかく、今の状況なら杏と合流しても大丈夫だろうとそう考える。
闇という能力しかない白夜と違い、魔法使いの杏は魔力を様々な現象に変えることが出来た。
この状況で、杏のような仲間がいるというのは非常に心強い。
そう思った白夜はポシェットの中から通信機を取り出してみるが、魔力による障害で通信は繋がらない。
(東京はともかく、杏たちになら繋がってもおかしくないんだけど……どうなってるんだ?)
ここが普通の山であれば、本来なら通信機は普通に繋がるはずだった。
街中で使えるようなPDAの類が使えないのはともかく、この通信機はギルドから貸し出されている物であり……それだけに、依頼中にもお互いに連絡を取り合うことを前提とした作りのはずだった。
だが、その通信機も今のところは繋がる様子がない。
「……それで、音也は何でゴブリンに捕まってたんだ?」
これ以上通信機を弄っていても時間を無駄にするだけだと判断した白夜は、通信機をポシェットに戻しながら隣の音也に尋ねる。
白夜が音也と出会ったのは、東京にある学園都市の中でのことだ。
そのときも色々と何かありそうな様子は示していたのだが、それでもまさかこんな場所で音也と遭遇するとは思っていなかった。
「えっと……その……実は、ちょっと探し物があって」
「探し物って……本気か、お前? こんな山の中に、それも一人で」
いくら自分の腕に自信があっても、それこそ音也のような子供が一人で山の中に入るというのは自殺行為以外のなにものでもない。
音也より強い白夜であっても、一人で山の中に行こうなどとは考えない。
実際、今回の依頼も白夜は杏と共に行動していたのだから。
……途中で弓奈というお荷物を拾いはしたが。
「これが無謀な行為だというのは、自分でも分かっています。ですけど、それでも僕はやらなきゃならなかったんです」
真剣な視線を向けて告げてくる音也は、中途半端な気持ちで言っているのではないというのは白夜にも分かった。
だが、分かったからといってそれを許容出来るのかといえば、答えは否だろう。
「お前が本気なのは理解した。……けど、それでもお前だけで来る必要はなかったんじゃないか? それこそ、誰が護衛を雇うとか。……五十鈴も心配してるだろ」
白夜の脳裏を、ハンバーガー店で出会った五十鈴の姿が過ぎる。
もっとも、五十鈴はサングラスをしていたので、その顔が具体的にどういうものなのかは分からない。
それでも音也の姉である以上、美人なのは間違いなかった。
(美形は爆発しろ)
白夜の顔立ちも、決して醜いという訳ではない。
全体的に見れば、それなりに整っている方ではあるだろう。
だがそれでも、音也のようにこれぞ美少年と呼ぶに相応しい相手を前にすれば、将来的に間違いなくモテるだろうと思ってしまい、爆発しろと考えてしまう。
……白夜が女にモテないのは、実際のところ顔立ちよりも普段の性格に原因があるのだが。
女に対してがっつくというか、胸や腰、足といった場所を凝視することが多いというのは、異性関係として考えれば致命的……とまではいかないが、大きなマイナスなのは間違いなかった。
男のチラ見は女のガン見。
そんな言葉があるが、それだけに白夜が凝視するというのは、女にとって思うところがあるのだろう。
もっとも、それでも白夜が嫌われている訳でもないのは、こちらもまた白夜の性格のおかげというのもあるのだろうが。
「えっと、その……白夜さん? どうしました?」
「ん? ああ、いや。何でもない。それより、これからどうするかだが……どうしたんもんだろうな?」
「みゃー」
呟く白夜の言葉に、ノーラは短く返事をする。
偵察という意味では、ノーラがいるので杏や弓奈たちより白夜たちの方が有利だ。
だが……だからこそ、早く合流した方がいいと思うのも事実だった。
魔法使いと、前衛職ではあっても今はナイフしか武器のない弓奈。
ゴブリンの集団に襲われれば、どのような結果になるのかは火を見るより明らかなのだから。
(それでも、結局どうやって合流するかって話に戻るんだよな)
周囲の状況を眺めつつ、白夜は溜息を吐く。
そして杏と弓奈を手っ取り早く見つける手段は結局一つしかないと考え、改めて自分の近くに浮かんでいるノーラに声をかける。
「ノーラ、杏と弓奈を探してきてくれないか? そして、出来ればこっちに連れてきて欲しい。今の状況で二手に分かれているのは、かなり不味いからな」
「みゃー?」
ノーラから放たれた鳴き声は、疑問の混じったもの。
自分がいなくても大丈夫? と、そう言っているのだ。
音也はそこまで詳しいことは分からなかったが、それでもノーラが素直に白夜の言うことを聞いていないというのは分かったのだろう。
どこか心配そうに白夜とノーラに視線を向ける。
そんな視線を向けられている白夜だったが、それには気が付かずノーラに向かって頷きを返す。
「ああ、それに俺が動き回ると見つかる可能性が高いし」
うんざりとしたように、白夜は十分の髪の毛に触れる。
七色に輝くという、特殊な髪。
見るからに目立つその髪は、非常に美しい髪だと言えるだろう。
だが、大変革後の世界においても、赤や青といった髪は珍しくもないが白夜のように七色……虹色の髪ともなれば、話は別だ。
今でこそ折り合いは付けているのだが、以前の白夜は自分の髪を決して好きではなかった。
この髪のせいで、色々と面白くない目に遭ってきたのだから当然だろう。
それでもこの虹色の髪が闇を使うのに重要な位置を占めている以上、迂闊に切ることも染めることも出来なかったのだが。
「みゃー!」
そんな白夜の気持ちを理解したのか、少し渋っていたノーラはやがて小さく鳴き声を上げると、そのまま白夜から離れていく。
「悪いな、頼む」
離れていくノーラに向かって小さく呟く白夜の声に、ノーラは少しだけ身体を揺らす。
自分に任せておけと、そう言っているかのように。
「白夜さん、いいんですか? その、ノーラに任せて……」
「ああ。ノーラは……そうだな、こう言ってはなんだけど、ぶっちゃけ俺よりもしっかりしてる」
「……従魔、なんですよね?」
「そうだな」
白夜の言葉に、音也は信じられないといった様子で呟く。
だが、白夜はその言葉にいっそ呆気ないと表現出来るほど簡単に許容の言葉を発する。
「この場合、ノーラを褒めればいいんでしょうか? それとも、白夜さんに呆れればいいんでしょうか?」
「俺としては、是非前者を薦めたいところだな」
「でしょうね」
白夜の言葉に、音也は小さく笑う。
そうして初めて、自分がゴブリンに連れ去られてから笑っていることに気が付く。
「うん? どうしたんだ?」
「いえ、何でもないです。……それより、白夜さん凄かったですね」
急に話が変わったことを疑問に思う白夜だったが、それでも音也の表情が先程よりも若干穏やかになっていることに気が付く。
「何がだ?」
「いえ、だって僕を持って、それでゴブリンから逃げ切ったんですから」
「……そうだな。おかげでかなり疲れたけど」
子供ではあっても、その重量は十キロ程度ではすまない。
それだけの重量物を持って……それも道らしい道のない場所を走ったのだから、白夜にとってもその消耗は大きい。
鍛えてはいるのだが、それでも白夜はまだネクストの生徒でしかない。
(これでトワイライトの人なら、普通に音也を連れたまま山を降りたりも出来るんだけど……今の俺にそんなことは出来ないしな。出来るとすれば、それこそ杏達と合流してからゴブリン達に見つからないようにしながら山を下りるしかない)
自分の愛用の武器……正確には闇を使う以上は何故かこれしか使えない金属の棍を握りながら、白夜はこれからのことを考える。
何をするにしても、魔法を使える杏と合流するのが最優先だった。
白夜は基本的に近接攻撃しか出来ないし、音也にいたっては完全に足手纏いでしかない。
ノーラも今はいない。
「ん? ……風が出て来たな」
「え? あ、そう言えば……これって、いいことなんですか?」
「どうだろうな。臭いを消してくれるって意味だといいけど、逆にこっちが風上にいれば臭いがゴブリンたちに届くかもしれないし。ま、それでもゴブリンはそこまで嗅覚が鋭い訳でもないから、そんなに心配しなくてもいいだろうけど」
地面に生えている草を適当に抜きながら、白夜は呟く。
そんな白夜の様子に、音也は少し戸惑う。
音也の知っている白夜というのは、絡まれていた自分を助けてくれた……いわば、ヒーローのようなものだった。
それこそ、白夜がいればゴブリンくらいは苦戦することなく倒せるのではないかと、そう思ってしまうくらいには白夜の強さを思い込んでいたのだ。
その強さの片鱗は、音也が絡まれて助けられたときに見せて貰っているのだから。
「とにかく、俺たちはノーラや杏、弓奈が戻ってくるまではここで一旦待機だ。下手に動いたら、それこそ行き違いになる可能性もあるし」
「……分かりました」
少しだけ不満を感じながらも、音也は白夜の言葉に頷きを返す。
そんな音也の様子に少し疑問を感じた白夜だったが、白夜が口を開くよりも前に、不意に白夜たちが隠れている場所の近くにある茂みが揺れる音がする。
「っ!?」
もしかしてゴブリンか。
そう考え、金属の棍を構える白夜。
一匹や二匹のゴブリンであれば、それこそ白夜でも楽に倒すことが出来る。
問題は、それこそ数十匹単位でゴブリンが襲ってきた場合だ。
とてもではないが、そうなったら音也を守りながらゴブリンと戦うのは難しい。
(こういうとき、杏たちが援軍としてやって来てくれればいいんだけどな)
緊張する心臓を落ち着かせるように、それでいて音也や……ましてや茂みを鳴らした相手に聞こえないように、白夜は深呼吸をする。
そうして待つこと数分……やがて茂みから出て来たのは、小さな猪型のモンスターだった。




