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黒鉄の愛し人  作者: @za
第一章 帝国の証
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出会い


 快晴の空が風に煽られ雲を何処かに運んでいく。穏やかな昼下がりを黒と白のメイド服を着こなした少女は歩いていた。辺りは木々に囲まれていて、時折木漏れ日を少女にもたらす静かな森。


 此処は王国領地アルブレルド。かの偉大な魔法使いであるエドワード=アルブレルドの治める辺境地である。王都より西に数十キロほどの自然に囲まれた豊かな場所。大きな収益や農作物を期待できるような栄えた場所ではないが、王国にとって西の門と言われる重要地でもある。その背景には、隣国の国境という面と、エドワード伯爵の存在が関係している。ともあれ、そんな辺境地の一角であるこの森を少女は歩いていた。



 白く癖のない髪を肩に掛からぬ程度伸ばしたショートヘアーに、目に掛かる程度の前髪。瞳の色は明紫で、見透かしてしまえるほどに透き通っていた。華奢で小さな身体に豊満な胸と、キメ細やかな肌はフリルのついた愛らしいメイド服をいっそう引き立てている。短めなスカートからは僅かにガーターが見え隠れしていて、実に男心をくすぐる仕上がり。十人の男が十人とも天使と呼ぶ。それほどに少女は美しかった。


 彼女の目的は屋敷より村に向かう道のりを巡回するという日頃の従事。国境間近であるこの地では、不法入国等が後を絶たない。それを阻止するのもエドワード伯爵の務めであり、彼女の行いはそれらの裏付けからくるものだ。主であるエドワード伯爵は多忙であるため、いちいち国境警備をする暇は勿論の事ない。当然配下である彼女のような手が必要になるのだが、本来国境警備のような重要な任を一人に任せるというのは中々ない。ひとえに彼女が優秀であるのが理由なのだが、信用一言に任せてしまうエドワード伯爵の人間性も無関係とは言えないだろう。


 ともあれ彼女がそこにそうした理由を持っている以上、その表情が少しばかり険しいのも仕方のない話だった。なにより、異変に敏感な彼女の鼻には先程から吐き気を催すような濃厚で強い血の臭いが漂っている。この辺りで魔獣による被害は少ない。日頃の彼女らの働きによって、村は守られているからだ。もとより魔獣も多くないこの地ではほぼないとまで断言できる。ならばこの臭いは別の要因だ。


 例えば村人が国境を越えてきた何者かに襲われている。あるいは、もとよりアルブレルド周辺に潜む盗賊の仕業か。どちらにしろ彼女の表情が平穏に戻るのは難しいだろう。


 ふっと息を吐いてから、少女は右手を振った。呼応するように彼女の掌が淡く光って、その手には細剣が姿を表す。切り伏せるというより突き崩す為にあるような細く、鋭利な切っ先。それを馴染ませるかのように構えた少女は、血の臭いを辿るように道から外れて森の奥へと足を運んでいく。そう言えばいつもなら騒がしいほどに聞こえてくる鳥の声も今日は聞こえてこない。それは少女に違和感を与え、警戒心を強めさせていく。


 先日捕らえた男のように、帝国側の王政に耐え兼ねたいち国民の亡命ならばそれほど気負い立つこともないが、この臭いはそれほど平和的なものに思えない。彼女は頭の片隅で湧いた希望論を自分で論破しながら足を進めた。時折その綺麗な両眼を瞑り、臭いを確かめてはそれが強まる場所へ。


 何も無ければいいが。そんな彼女の期待を当然に裏切る存在が、彼女の視界を占拠する。両腕でやっとその木を抱えられるか、と言った太さのそれにもたれ掛かるようにぐったりとした男の姿。何があったかは定かでないが、上半身に一糸を纏わぬ半裸で、胸のあたりには左肩から右腰に向かって大きな生々しい傷。剣に精通する彼女にはその傷が鋭い一太刀によって出来た物だとわかってしまう。男は漆黒色の髪とこの辺りでは珍しい特徴を持っていて、項垂れるその顔から、少女と差ほど年齢差は感じない。彼女の齢が16歳であるから、恐らくその辺りだろう。


 視線を男の傍らに移すと、そこには身の丈を超えそうなほどに大きな大剣の存在がある。それは異様なほどに太く、刀身の腹に人一人隠れてしまえそうな程だ。全長は恐らく少女よりも大きいだろう。もとより彼女は150センチ程度の小柄な体型ではあるが、剣にそれを越えられた事はこれまでにない経験だ。鍔はなく刀身は包帯によりぐるぐると巻かれ剣としての存在価値を奪われた様子。さらにはその上から腕程もある太い鎖を幾重にも巻いて、封じ込めているのかと錯覚しそうである。


 争った形跡はこの辺りにはない。ないが、彼の下半身には黒鉄の鎧。その刺々しい外見も去ることながら、艶も消すような黒は彼女に不安を煽るように不気味な雰囲気を漂わせている。ところどころひび割れている様子を見るにかなりの激闘を予想させた。この黒鉄にはかなり高度の魔法が練り込まれている。彼女には一目でそれがわかった。


 その理由は簡単で、彼女がエドワード=アルブレルドのメイドであるから、だ。エドワード伯爵はおよそ人の限界とまで言われる高名な魔法使いである。日頃からそれを感じ、見て、知ってきた彼女には当たり前のようにわかる事実だった。


 彼女はそっと男に近付き、掌を男の口元に当ててみる。息はしているようだ。残念ながらそれでも、傷口から垂れてくる血の量は十分に致死性を持っている。放置すればいずれ男は死ぬだろう。此処で男を介錯するも、救護するも、彼女に決める権限はない。かといって指示を仰ぐ時間もないだろう。それをすれば男に残された時間はゼロになる。


 どうした物か、と悩む少女の視線は男の首もとに向けられた。そこには兵士が身分を証明するために身につけるネームタグがぶら下がっているのだ。すぐさまそれを手に取ると、不思議なことに男には家名がなかった。ただ一言、レイドと彫られたそれ。首を傾げながらタグを裏返してみればそこには少女にとって放置することの出来ない紋様が存在した。


 地に突き立てられた剣の紋様。


 それは男が帝国の者と断定できる証拠だった。




_______________________



「ふむ、確かに捨て置けない事例だ」


そう呟いたのはこの地を治めるエドワード伯爵その人。その容姿は実に小綺麗で整ったもの。銀の長髪にスマートな顔。目は淡い緑色で、筋の通った鼻筋。背丈も中々に大きく、すらっとしたその身に小豆色のタキシードを着こなしている。そんな彼の前で、先ほどの少女は少しだけ頭を傾けてエドワードの指示を仰いでいた。


 此処は屋敷の中であり、エドワードの書斎。普段から彼の机は書類に埋もれていて、本日もその限りだ。机を囲むように置かれた本棚には小難しい書籍が並び、小綺麗に整理されたそれらを眺めると、エドワードはふぅっと息を吐いた。


 特にめぼしい家具も無く質素な書斎で、エドワードは革の椅子をキリキリと鳴らしながら顎に手を当てて思考にふけっている。それも当然の事ではある。本来この時間でエドワードは溜まった王都への管理状況の報告や、先日からの不法入国者の報告など様々な仕事をこなす必要があったのだが、それの手を止めてまで考える事柄なのだから。


 事態は重い。男は現在王国と敵対関係にある帝国の証を持っていた。男の身分次第ではむざむざ殺してしまうわけにもいかなくなってしまう事は大いに問題と言えるだろう。敵対関係といっても戦争をしているわけではない。まだ、という段階ではあるが男を殺すことによりそれを早める事態は避けねばならない。利用価値もあるかも知れない。そう考えれば、彼女が早急に男を治療し屋敷に連れ帰ったのは良い判断だった。


 簡易的ではあるが、応急措置を済ませた後、こうして彼女はエドワードにその後の指示を仰いでいる現状。とにもかくにも男の意識が戻らない事には話の進めようもなかった。男は身分を証明するような代物はネームタグ以外になく、その存在はまだ不明瞭だ。これでは流石のエドワードも判断しようがない。


「厄介だねぇ。とりあえずリリア、君には男の意識回復に努めて欲しい。それからでなくては始まらない」


 エドワードはため息とともにその綺麗な顔を少しだけしかめて少女に言った。少女も不満は特にないようで、小さく一礼すると、書斎を後にする。エドワードはその後ろ姿に我ながら良くできたメイドだと誇らしく思いながらも事態の重さから仕事を続ける気にはなれないでいた。


 「帝国からの密偵、とも考えられるが身動きが出来ない程の傷をわざわざつけるのはおかしな話だ。ネームタグもわざわざつけさせて、帝国の人間だとわかればこちらでの処分も想像に容易いはず。実に悩ましい問題だねぇ」


 考え始めればきりはない。男が王国側に潜り込む為の密偵だとしたら、不可解な点はいくつかある。ネームタグも、その傷も。例えば傷がこちらを油断させる手立てだとして死ぬ間際までのものを用意する必要なんてないだろうし、ネームタグをつけさせる必要がない。無用に疑いを焚き付け、さらには帝国出であることを明かしてしまうだけなのだから。ならば単なる偶然か? この地には単なる偶然で迷い混んだ? それは出来すぎている。国境間近といえど迷い込むにはいささか不自然だ。あの森は国境から向かって来るには少しばかり遠い。あの重傷でその道を来るのは無理に等しい。ならばあの森の道すがら、あの傷を受けた? いや、それもない。争った形跡はなかったと聞いている。勿論辺りには、という条件だがあの傷ではそれほど動き回れたとは思えない。何らかの方法で男は傷を負ったあとあの森に『転移』したのだろう。それならば可能ではある。だとしたら不可解なのはその転移の残留魔力を感じられない事だ。


 そこでエドワードは思考を止める。やはり男の意識が戻るまで待つ方がいい。これ以上は推測の域を出ない。あまり有意義な時間の使い方とは言えないからだ。可能性の話をすれば本当にきりがないだろう。ならば当人から直接問うほうが利にかなっている。予め想定しておくことは大切な事ではあるが、徒労になりかねないそれに思考を割くほどエドワードは暇でもない。


 彼女が訪れて以来になる書類の整理に再び従事しながら、エドワードはこの件について王国への報告は伏せるべきと考えていた。勿論、本来ならばそれは許されないが、事が事だ。多少なり見極めてからでも遅くはない。場合によっては慎重さを欠くと痛い目を見かねないからだ。こういう面でエドワードは優秀であった。彼は冷静で、そして見極めるだけの目を持っている。西の門とされるこの地を何年も治めてきた彼にとってはこのくらいの独断は許される事。それくらいの仕事は今までにしてきた。


 「それよりも、問題なのはリリアかねぇ……。まだ気付いてはいないだろうけど、時間の問題だろう。あの子にとってアレは耐え難いもののはずだから」


 意味深い言葉をぽつりと漏らしたエドワード。彼はリリアが心配だった。きっと気付いた時には彼女は自制出来ない。その確信がエドワードにはある。短気を起こさなければいいが、あの子にとってそれは酷なこと。エドワードは思考の片隅にそんな言葉を追いやって再びため息を漏らすのだった。



_______________________



 少女、リリアは書斎を後にして男の眠る客室へと足を運んだ。本来なら敵国兵士かもしれない彼を客室接待などあり得はしないが、その身分がわからぬ以上下手な事を出来ないというエドワードの指示により屋敷の客扱いということになっている。リリアからしてみれば主人の指示に従うだけであるから、男の生死も在り方もさして興味はない。もてなせと言われればもてなすし、殺せと言われれば殺す。たったそれだけだった。



 彼の出で立ちから、それほど高貴なものは感じられないが、いち使用人でしかないリリア自身がその高貴なオーラというやつに心当たりがあるはずもなく、それを理由に早まるほど出来は悪くないのである。ともあれ、男の眠る客室に着くと、目覚めてはいないだろうと思いながらも二度、ノックする。勿論返事はない。そのままドアを押し開くと、ベッドと以外に何にもないその部屋へと踏み込んだ。


 元々客の類いが稀なこの屋敷では、客室などこの程度の備えしかない。きちんと掃除や手入れはリリア含むほかのメイド達の手により行き届いてはいるが、生活感なんてものはありもしないのだ。そのまま男の横に立つと、ベッドの際に腰掛け包帯にまみれた男を見下ろす。


 手当ての甲斐があってか、呼吸は整っているし、多量に血を流したわりに血色のいい顔をしていた。リリアはエドワードの指示に従い男の異常を調べていく。脈も安定している、痛みも感じている様子はない。


 ふと男の顔をじっと見下ろした。エドワードには負けるが、男のそれも中々に綺麗なものだ。無造作で荒々しい髪型も、けして悪くない。むしろ若者には好印象ではないか。そんな風にさえ思う。


 残念ながら色恋に無縁なリリアには特にこれといった感情もなく、少しばかり汗で濡れた男の額を掌で拭い、早々にと部屋を後にしようと立ち上がった。


 その時、小さく男が口を開いた。けして意識があるわけではない。それでも小さな声で、男の口は音を紡ぐのだ。


「俺は……こんなこと……したくない……」

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