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第四章 移ろい 1

 侑希の新しい謎を抱え込んでしまった次の日、裕貴はいつもよりも遅い時間に電車に乗っていた。二日も学校を休むわけにはいかず、慣れない空間で苦痛の時間を耐えしのぐ。


 時間を遅らせてしまったため、電車の中はいつもの何倍もの人口密度になっている。裕貴はあらゆる方向から足を踏まれて肘鉄を受ける。自分の登校時間が遅れたことが悪かったものの、周囲に対して心の中で悪態をついた。


 電車の中から解放されると、裕貴は比較的落ち着いた空間を歩く。裕貴がいつも歩いている時間に他の生徒の姿はほとんどない。しかし、今日はあらゆる学年の生徒が同じ方向に歩いている。裕貴は、孤独を感じずに済んで新鮮な気分になった。


 朝練はすでに終わっているようで、校舎の中は生徒で溢れかえっている。裕貴は他の生徒にぶつからないようにして、自分の在籍しているクラスに到着した。昨日、裕貴は学校を休んでしまった。たったそれだけで、久しぶりに学校へ来た感覚に陥った。


 「お、今日は来たのか」


 裕貴がクラスに入ると、すぐに小森が話しかけてくる。裕貴はそんな小森の対応をしながら自分の座席まで歩いた。


 「まあね」


 裕貴は多くを語らないようにする。侑希のことは、たとえ小森に対してでも話すつもりはない。そのため、裕貴は自分が休んだ理由を聞かれないように尽力した。しかし、裕貴のそんな考えを読み取ることもせず、小森は事情を尋ねてきた。


 「昨日はどうして休んだんだよ?担任が連絡ないって困ってたぞ?」


 小森は昨日の状況を裕貴に伝える。そのために、裕貴は考えていた仮病という嘘をつけなくなった。


 「まあ、色々あって」


 裕貴は言葉を濁して追及を逃れようとする。しかし、それは全くの逆効果だった。


 「怪しいな。隠してくるあたり何か変な臭いを感じる。……家にいなかったんだろ?」


 小森は確信を持っているような雰囲気を醸し出す。裕貴のいない間に誰かが自宅を訪れていた可能性があり、そんな中で嘘をつくと余計に怪しまれるのは確実である。そのように考えた裕貴は単純に肯定した。


 「そうだけど場所は聞くな」


 裕貴は先に釘を刺しておく。小森はそんな裕貴の態度に驚いたようだったが、それでも嫌な表情をしないで裕貴に迫ってきた。


 「そんなことを聞くと、どこに行っていたのか気になるな。……一緒に住んでる親はいつも忙しくしているって前に聞いてたから、一人で行ったのか?それとも誰か違う人と一緒に?」


 小森は推理を楽しむ。しかし、裕貴としては小森が案外正しいことを推理していたため、気が気ではなかった。別段、本当に知られたくないというわけでもない。しかし、ここまで隠して裕貴は引くに引けなくなってしまっていた。


 「……さあ」


 裕貴は冷静を装って素っ気ない態度を取る。すると、小森は別の方法で情報を掴もうと動き出した。


 「……実は昨日の学校で、あることがあったんだけどな」


 小森はそう言って意味深な表情を裕貴に向ける。裕貴はそれを聞いて嫌な雰囲気を感じる。それでも、すぐに話に乗っかかるようなことはしなかった。小森がどのような理由でそんなことを言い出したのか、理解できていないわけではなかったのだ。


 「ま、他の奴に聞けばいい話か」


 裕貴が反応を示さないと、小森は笑って引き下がっていこうとする。小森は裕貴のことを良く理解している。裕貴が小森以外にあてにできる人がいないことを武器にしていた。


 「待て」


 裕貴は小森のことを呼び止める。小森はそれを待っていたようで、裕貴の方へ大きく傾けてくる。


 「理由は聞くなよ?」


 「分かったって」


 「群馬だ」


 裕貴は短く呟く。理由を聞かないように言っても、それが守られないことは承知している。案の定、小森は何か質問をしたがっているような表情をした。


 「……なんだよ。何か言いたいことでもあるのか?」


 裕貴は小森に催促してみる。聞かれても理由を答えるつもりはない。固まられると、かえって裕貴の方が困って仕方がなかった。


 「……群馬のどこだよ?」


 「さあ?よく分からないけど、南の方」


 裕貴はおおざっぱに答える。地名を言っても問題ないように思われたが、どこかで繋がって情報が漏れるリスクはある。小森も裕貴の意図を把握して、場所に関してさらに追及してくることはしなかった。


 「一人でか?」


 「……まあな。理由は絶対に言わないけど、それでもたいした理由じゃない。今じゃ、あんなことしなければ良かったって思ってる」


 裕貴は感想として事実を告げる。裕貴が後悔していたことは本当だった。


 裕貴は侑希のことについて異常な考え方をしていた。同時に、一時の感情に大きく流されてしまった。後悔して正常に戻った裕貴は冷静にそう分析している。そのことは裕貴が反省するべきことであった。


 「……何もなかっただろ?行った理由が何も考えられないくらい、群馬で目的を作ることは難しい」


 「それはさすがに言い過ぎだろ」


 裕貴は一応群馬の肩を持つ。裕貴の訪れた桐生市に関しても、確かに小森の言っていることが当てはまっているかもしれない。それでも、裕貴はそれを目的にしていたわけではない。探せば何かあるのではないかと裕貴は考えていた。


 「まあ、変なことで時間を潰してたってことなんだな?……担任に報告しておけよ。大村は掴み所がないから心配していたみたいだ」


 「そうかもな」


 裕貴はそれを聞いて、担任に申し訳なさを感じる。裕貴が考えを働かせて連絡していれば良かっただけの話である。しかし、侑希のことを追っていた裕貴はそんなことを考える余裕もなかった。


 「……それで昨日何があったんだよ?」


 裕貴は約束通り、昨日の学校での出来事を質問する。小森も裕貴の話題について一段落したようで、ゆっくり話し始めた。


 「実は昨日面倒なことがあった。……あいつの関係でだ」


 小森は声を小さくする。そんな小森が示していたのは、教室の中で一人の時間を過ごしている男子学生であった。その生徒はこのクラスで爪弾きに遭っている学生である。


 「どうやら担任がこのクラスのことに気がついたみたいだ。それが誰かの情報提供があったのか、それともその現場を見たのかは分からない。……それで、昨日は緊急の話し合いがあった」


 裕貴は話を聞いて、特に自分が気にする内容ではないと率直に感じる。しかし、このクラスに在籍するに当たって、クラスの状況は把握しておく必要があった。


 「それで、その話し合いでどんなことを?」


 裕貴は爪弾きに遭っている男子学生から、視線を窓のそばに場所に移動させる。そこには問題の原因が集まって馬鹿笑いをしていた。


 「詳しいことは忘れたけど、とにかく担任はあいつらが首謀していることを突き止めた。……雰囲気的には元々気がついていたみたいだったけどな」


 「まあそうだろうな」


 担任が何の情報も持たないまま、そんな話し合いをするわけがない。内密に女子学生に尋ねていたとすれば、情報を得ることは容易いことのように思われた。直接的に荷担していない裕貴らクラスの人間は、わざわざ聞かれて隠すことはないのだ。


 「それであいつらは指導室行きだ。それが良かったのか分からないけどな」


 小森は難しい顔をして唸る。確かに裕貴もその対応が良い結果を生むような気はしていない。小森もそのことを懸念していた。


 そもそも、首謀している男子生徒が口頭注意で態度を改善させるのであれば、もともとこんなことは起こっていない。彼らが反省しないことと、気に食わない態度を取った人間には攻撃する性格から、クラスの中では問題の解決が図られていなかったのである。


 「結局、こんな話し合いをして被害を受けるのはあいつの方だ。それくらいなら元々なにもしなければ良いものを」


 小森は今後に起こることを予想しているようで、爪弾きに遭っている男子生徒に同情する。裕貴はあくまでも、他人として接する上で小森の対応が一般的な考え方に沿っていないことを理解している。しかし、裕貴は自分のことも考慮して、小森のように考えるしかないと感じた。


 「……どうなったら解決する?少なくとも今のままじゃダメか」


 裕貴は小森に確認してみる。小森はそれを聞いて、少し黙って考えた。そんな時、クラスに予鈴が鳴り響く。時間がほとんどなくなった中で、小森は口を開いた。


 「解決なんてできないだろ。できることは悪くしないようにするくらい。……今のままだとあいつが暴力を振るわれることはないだろうけど、むやみに干渉してあいつらの気分を悪くさせたら終わりだ。教師はそういうことを分かっていない」


 「そんなもんか」


 裕貴は小森の言葉を考えてみる。小森の話した内容は、案外難しいことで理解しにくかったのである。すると、小森はそんな裕貴を見て一つの忠告をした。


 「大村もそんなに関わらない方が良い。ニュースのコメンテーターとか評論家は、傍観することは荷担していることに等しいってよく言っているけど、俺はそうは思わない。あいつらのしていることが良くないことは間違いないけど、俺たちは自分のことを守ることでなんとかしのいでおけば良い。傍観者が多数なら、荷担したことにはならないんだから」


 「………」


 小森は言い終えて裕貴の顔を見る。しかし、いきなり小森がらしくないことを口にしていたため、裕貴は驚いて反応ができなかった。小森はそんな裕貴に言葉を求める。


 「なんとか言ってくれよ。俺が悪いことを言ってるみたいだ」


 「……いや、らしくないことを言っていたからびっくりした。否定するつもりはない」


 裕貴も小森と似たような考え方を持っている。小森が社会的に認められていない対応を正しいと言ったとしても、裕貴にそれを否定する権利はなかったのである。裕貴も小森の言う多数に入っているのだ。


 「ま、変な本の受け売りだ。気にしないでくれ」


 小森は一言そう言うと、自分の座席に戻っていった。それと同時に、一時限目の科目の担当教師が入ってくる。裕貴はその教科の用意をしながら、小森と話したことについて考えた。


 小森の言っていることが正しいことではないにしても、間違っているわけではない。綺麗事を言うことは簡単である。たいした犠牲を払うことなく、周りからの自分の評価を上げることができる。


 しかし、そのことを実行するときには、たいてい大きな代償を払う必要がある。そしてそれを払うのは、綺麗事を言っている人間とは違う者になる。


 小森はそのことを考えて対応を話していた。中途半端な行動はかえって逆効果になりかねない。それを爪弾きに遭っている男子生徒が求めているのかは分からないことである。裕貴や小森ができることは、傍観だったのである。


 その男子生徒は、今日も変わった様子を見せないで登校してきている。裕貴はそのことが純粋に素晴らしいことのように感じている。そして、できるものなら何か環境を良い方向に変化させてあげたいと考えていた。


 しかし、裕貴が実際にそんなことをできない理由は、小森の話の通りである。自分が同じ存在になってはいけない。強く警告してくる意識に、裕貴は完全に動きを封じ込められているのである。そしてそんな考え方は、受動的ではなく能動的である。


 裕貴はこのことを考えている中で、自分がよく見る夢について思い出した。また同時に、ここ最近になってその夢を見なくなっていることにも気がつく。何年も裕貴はそれを見ていたため、内容を忘れてしまっていることはない。自分が、知らない誰かに手を差し伸べようとしていたことも覚えている。


 しかし、今の裕貴はそんなことをできない。


 昔の裕貴は何も考えていなかった。自分がたいした人間関係を持っていなかったため、そんなことができたのかもしれない。それとも単純に、考えが浅はかだったとも考えられる。今の裕貴は、昔の自分の行動を馬鹿だったと評価していた。


 昔の裕貴は何度も引っ越しを経験して、人付き合いはかなり希薄なものだった。それは、失うものがないくらいにである。しかし今の裕貴は、そんな考えになるわけにはいかない。年齢を重ねて失うことを恐れるようになってしまっていた裕貴が、誰かを助けるために自分を犠牲にすることなどできるはずがなかったのだ。


 決して現在の裕貴の人間関係が濃厚なものかと言えばそういうわけでもない。しかし、それでも失うわけにはいかない。裕貴の思考はそんな考え方に包まれていた。そのことに関して罪悪感を感じるようなこともない。心境的には小森の話していた内容に近いものがあった。


 解決が図られることはない。結局、裕貴はそう判断して授業に耳を傾けた。


 授業は一日を通して退屈なまま終了した。その後はいつもの通りの時間が訪れる。小森は部活動のため、足早に教室から出て行ってしまう。話し相手を失った裕貴は、特に学校に用事があるわけでもない人間であったためそのまま帰ろうとした。


 しかし、そんな裕貴のことを呼び止める声があった。


 「大村君、ちょっと待ってください」


 裕貴に声をかけてきたのは、担任だった。裕貴はそんな姿を見て、小森が話していたことを思い出した。


 「……昨日はすみません。連絡もしないで休んでしまって」


 「本当ですよ。何かあったんですか?」


 担任は心配そうな表情をして尋ねてくる。裕貴はそれを聞いて頭をかく。


 「たいしたことじゃないんです。ちょっと色々あったので」


 「何か困ったことがあるなら、先生や保護者の方に話すようにしてください。……スクールカウンセラーの人もいるんですから」


 担任は裕貴が何かを抱え込んでしまっていると本気で考えているようで、色々な解決方法を提示してくる。裕貴はそんな性格をしている担任であるからこそ、クラスのことも真剣に取り組もうとしているのだろうと考えた。


 「大丈夫です。すみませんでした」


 裕貴は担任から変なことを聞かれる前に、立ち去ることを考える。担任も裕貴のそんな様子を見て、制止させるようなことはしなかった。


 裕貴は考えなければいけないことがある。それはこの学校で起きていることではなく、裕貴がはっきりとした感情を持っている侑希についてである。


 裕貴は侑希の新しいことを知った。しかし、知った以上の謎を見つけることになった。裕貴はそんな状況を目の前にして、次に侑希と会ったときにどんな顔をすれば良いのか分からなくなっていた。


 侑希が群馬にまで向かったことは、単純に考えて都内に住んでいると言っていた侑希の言葉と矛盾している。仮に侑希が裕貴に嘘を伝えていたとして、その理由は裕貴の知るところではない。それは嘘をついていなかったとしても同じである。ただ確かなことは、侑希が何かしらの事情を抱えているということだった。


 裕貴はそれを認識する上で、そのことを侑希に質問するべきか判断に苦しんだ。侑希に尋ねるということは、ストーカーのような行為を自供することになる。それがどんなことを引き起こしてしまうかなど、容易に想像ができることだった。


 ただ、何も見なかったことにしていつものように侑希と接することは、裕貴には到底できそうにないことだった。裕貴が侑希のことを追った理由は、侑希のことを知りたいと思ったからである。その潜在的な考え方は、今の裕貴の中にも残っている。


 そんな自分の欲求をどこまで抑え込むことができるのか。裕貴はそれを考えると、自分のことを信頼できそうになかった。自分でもそのような判断をしてしまうほど、裕貴は侑希のことが頭から離れなくなっていたのだ。


 最終的に、裕貴は考えることを放棄した。侑希と次に顔を合わしたときにどうするべきかを判断する。そのように考えて、結論を先延ばしにする。裕貴にはそうするしかなかったのである。

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