六話 人間には絶対必要だと思う
「なんか、納得いかないなぁ……」
ファロンの件が一応の解決を見せた翌日。朝食の席で、リーレがもやもやした様子でそう零した。リーレが愚痴を言うなんて、ものすごく珍しい。
「私のことのはずよね? なのになんで私をおいてきぼりで話が終わってたの? そりゃあ助けてくれて嬉しかったし、マナトすごいなーって思ったけど。マナトはずーっと裸のファロンちゃんと普通に会話してるし、ライラさんはライラさんでなぜか絡んで来るし。ぜーんぶ私関係ないまま終わっちゃった」
「なんかごめん……」
確かに昨日、リーレは消化不良な顔のまま村に帰って来た。村人達は喜んだけど、ファロンのことを聞いたらそっちに驚いてリーレに対する態度が微妙におざなりだったし。リーレがしていた覚悟とかの行き先が、見当たらないのだろう。でも最初とは違ってこうして不満をぶつけてくれているのだから、多少は心を許してくれたのかもしれない。
だったら、嬉しいんだけど。
俺の謝罪を聞いたリーレは、ハッとした顔になった。
「わ、私こそごめんなさい。助けてもらっておいて愚痴なんて……」
「いやまあ、昨日のあれは二人で会話しすぎたなって」
「それでもマナトのおかげでなにも起こらずに済んだのだもの。感謝は、すごくしてるの。でもなんかもやもやして……」
「そりゃ、あんな風に解決したらそうだよね……」
完全にファロンの気まぐれだったしな、昨日のあれ。ていうか元を辿れば、子供に不適切な言葉を教えたというか聞かれたファロンの父親が悪いんじゃないか? もし会ったとしても、ものすごく敬いにくいな……
「と、とにかく! 解決したから万々歳ってことでいいじゃん? これでもうなにも問題はなくなったわけだし!!」
「マナト、それは昨日誰かさんと一緒の布団で寝た子のことは無視してのことかな?」
「ごめんなさい……」
そう。昨日ファロンはどうしても俺と寝ると言って聞かず、仕方なく二人で寝ることになったのだ。物置にあった古い布団で二人で寝たのだが、ファロンの方はまだ起きて来る気配がない。
「真面目な話、どうしましょう。いくら村のみんながファロンちゃんのことを敬って色々くれたとしても、限度があるわ。私達二人だけじゃ、ファロンちゃんを養うのは難しいと思うの。なんとか説得して、せめて食事が必要ないように龍の姿に戻ってもらえないかな?」
「それな……」
龍神と言うのはやはり神なので、あの姿では食事や風呂の必要はないそうなのだ。全部空間内に存在している生命力《マナ》で、まかなうことが可能らしい。
だが人間の姿では、そうもいかない。今のファロンは半分以上人間なので、食事もお風呂も普通に必要だ。
でもファロンは、『人の姿でなければ人と結婚はできぬじゃろう!!』と人間の姿でいたがったのだ。おかげで、今日の朝もマズいパン粥である。
「とりあえず、ファロンには人間のことについて理解してもらうところからかな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ってわけで、ファロン。今日は人間について学びたいと思います」
目を覚ましたファロンに食事を与えた後|(マズいと散々文句を言われた)、俺とファロンは物置で人間についの勉強会を開くことになった。
リーレのお古である白いワンピースを着たファロンは、黙ってさえいれば普通に人間の女の子だ。人間社会に馴染むのに、見た目は問題ない。中身の方も人間に寄せていかないと、これからどんなことになるかわからないので、とてつもなく不安なのだ。
「それ勉強したら、マナトは婿になってくれるのかの?」
こうも真剣な顔で訊かれると、適当なことを言いにくいんだよなぁ……
「えー、あー……約束はできないけど、近づくのは間違いない」
「ならばやってやってもよいのじゃ」
どうにか了承してもらえたので、まず手始めにファロンがどれだけ人間のことを知っているのか訊いてみることにした。
「ファロン、人間がご飯を食べないと死んじゃう生き物だってのはわかるよね?」
「わかるぞ。人間には空気中のマナを直接摂取することができぬから、間接的に食事という方法を採っていると、昔父様が言っていたからのー。龍も食べることはできるし、しこーひん? として食事をする者も多いと言っていたのじゃ」
よかった。父親が、案外まともなことも教えていて。ただの変態じゃなかったみたいだ。
「じゃあ、他に知っていることは?」
「うーむ……人間は窮屈にも、この服とやらを着ねばならんということは知っておるぞ。不便じゃの。こんな動きにくいものを着ておらねば、寒さに負けるわ攻撃を防ぎにくいわ。我はこんなものなくても、全部大丈夫なのじゃがのー……脱いでよいかの?」
「ダメ。絶対ダメ」
「ケチじゃのー。じゃのじゃのー」
ぷうっと頬を膨らませて言われるが、なんと言われようとダメなものはダメだ。昨日裸のファロンに抱き付かれていたという事実だけで、俺がどれだけ冷ややかな目で見られたことか! だって話ぶった切ってまで服着せるとかムリだったし!!
俺が盛大に嘆息するなか、ファロンはもう話に飽きてしまったのかその場でくるくる回り始めてしまった。こういうこところは龍とか神とか関係なく、普通に子供だ。
「人間めんどいのー。いっそ今ここでマナトを殺して、さっさと婿にしてしまおうかの。うむ、我ながらいいアイデアなのじゃ」
「よくないからね!? もうこれからは、人殺すの禁止!! 殺して解決しようとか、そういう発想も全面的に禁止で!! いくら面倒でも殺す時は、俺に許可を取りなさい!!」
これならファロンが人をどうこうすることはないだろう。俺が許可を出さなければいいだけの話なのだから。
「むう、ますます面倒じゃ」
更に頬を膨らませつぶやくファロンは、回るのに飽きたのか今度は飛び跳ね出した。女の子なんだから、もう少し恥じらいというものを持った方がいいと思う。後々えらいことになりそうだ。そんなことをすれば、スカートなんだからパンツが丸見えに――
ならなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「り、リーレ!」
「どうしたのマナト。そんなに血相変えて」
とんでもない事実に気づいてしまった俺は、全速力でリーレのいる母屋に飛び込んだ。あまりに急いで行ったからか、薬草を煎じていたリーレに驚いた顔をされてしまう。
「あ、裸の幼女抱きしめてたマナトくんじゃん」
「間違ってないけど間違ってる!!」
確かにそうだけど、別にあの状況を望んでそうしたわけじゃなくて、つーかなんでライラがいるんだよ!! 人んちでなに呑気にビスケット食ってんの!?
ライラの悪意まみれの解釈にツッコミを入れていると、不思議そうな顔のリーレがわざわざ手を止めて来てくれた。
「ファロンちゃんになにかあったの? お腹が空いたと言うのなら、さっきライラさんがくれたビスケットがあるわよ」
「いや違うよりっちゃん。これはビスケットじゃなくてクッキー。クッキーとビスケットって混同されがちだけど、実は明確に違うんだぜー? 脂肪と糖分量で決まってるんだけど、多いのがクッキー、少ないのがビスケット。これは多いからクッキーだね。まあ国によっても違うから、一概にそうだとは――」
「今はそんなうんちく聞いてる暇ないんだよ!!」
んなどうでもいいことよく知ってるな!? 美味しければどっちでもいいだろ‼
そんなことよりも、今はもっと大事なことがある。
「じゃ、いったいなにしに来たのさ?」
「リーレ、パンツって余ってない!?」
ピシリと、二人が凍ったように動きを止める。こんな大変な時に、固まるのはやめてほしかった。
先に再起動したのはリーレで、ぎこちないながらも笑みを浮かべていた。
「え……っと、ま、前にあげたのが破れちゃったとか? だったらまずは繕って――」
「俺のじゃなくて、女物の!! 今すぐ必要なんだよ!!」
ビシビシィッ! と先ほどよりも硬直具合が上がる二人。サビついているのではないかと疑いたくなるほど、鈍い動きでリーレがよくわからないことを訊いて来た。
「な、何に使うの?」
「もちろん履くためだろ‼ 他に使い道ないし!!」
「見損なったわマナト」
「なんで!?」
「いやぁ、マナトくんもちゃんと若い男の子だったんだねぇ」
「だからなんで!?」
な、なんでだろう。なにか致命的な誤解をされているような気が――
「普通、パンツが欲しいだなんて、思っても本人に直接言えないよなー。さすがはマナトくんだ。うん。よしじゃあその気概に免じて、おねーさんが特別に脱ぎたてほやほやを――」
「ちっげえよ!! ああもうどんな誤解されてるかやっとわかったよ!! 俺が履くんじゃなくて、ファロンが履くためのだっ!!」
道理で二人共変なリアクションだったわけだ。そりゃ男がいきなり女物のパンツを寄越せだなんて言って来たら、こういう反応になるよな。俺の言い方が悪かった。
やっと誤解が解けたと安堵する俺だったが、二人の様子はまだおかしい。
「ねえマナト。一つ訊きたいんだけど」
「な、なに?」
「マナトがどうしてパンツを欲しがったかはわかったわ。でも、どうしてそれが必要なのかしら」
「そりゃあ、ファロンが履いてなかったから――」
「ということはマナト、わざわざスカートの中確かめたってことよね?」
「ちっがーう!!」
そっか、普通履いてるかどうかなんてわかるわけないか!! あーもうファロンのせいで面倒なことにっ!!
これ以上誤解されると困るので、なにがあったのかを手短に説明した。
「ご、ごめんなさい。あまりにもマナトが変なテンションだったから、てっきりなにか問題があったのかと……」
「いやまあ今になって思えば、あそこまで慌てる話じゃなかったよな……」
「最初何事かと思ったよ。ファロンちゃんがいきなり暴走して、マナトくん押し倒してうんぬんまで覚悟したよねー。あーよかった、マナトくんがロリコンじゃなくて」
今度こそ誤解が解け、二人共わかってくれた。リーレなんか平謝りする始末だ。まあ今回のことに関しては、二人に言った通り俺の言い方に問題があった。
「人間とは、本当によくわからぬのー」
当のファロンと言えば、これまでの経緯なんか知ったこっちゃないとクッキーを頬張っていた。
なんにせよ無事に履いてくれたし、パンツの必要性についてもリーレが説明してくれたみたいなので、これで一件落着だ。
急がば回れということわざの意味を、身をもって知った俺だった。