二話 問題だらけ
さて、今ここが異世界なのは間違いない。樹が動いて襲いかかって来て、念じただけで手のひらから火が出て来るんだから、そこに疑う余地はない。それはいい。だけどこの世界で生きていくにあたって、いくつか確認しないといけないことがある。
リーレから話を聞いた結果、ヴァラ村は人口二十人くらいの小さな村のようだ。ただしこの世界で一番権力のあるキャルラ王国の外れなので、兵士などの戦える人はほぼいない。
魔物が森から湧いて来るような土地なのにそれを退治出来る人達は近くにいないだなんて、効率が悪い。けどまあ、この世界の住民は全員もれなく魔法が使えるらしいから、そこまで困っていないみたいだけど。
そう。魔法が使えるのだ、この世界にいる人間は。威力や精度に個人差はあれど、全員が使えるらしいのだ。さっき樹の魔物に使えたので、この世界にくれば使えるようになるんだろう。ただ後で冷静になってみると、アルコール被った状態で火を使うとか、どうぞ引火してくださいと言っているようなものだった。気づいた時にはゾッとしたものだ。
必要な情報は聞き終えた。が、問題があるリーレはどちらかと言えば貧乏な部類のようなのだ。しかも両親の顔を見た事すらない孤児である彼女は、頼れる人もいない。そんなリーレが、俺みたいな見ず知らずの男を養う理由もお金も持っているはずもなく。
「ごめんなさい、こんなものしか出せなくて……」
申し訳なさそうなリーレが朝食として持って来たのは、固くなったパンを牛乳らしき液体で煮たおかゆだった。正直、おいしくはない。ていうかまずい。ハーブと砂糖で強引に誤魔化している感じだ。でも居候の身で贅沢は言ってられないので、大人しく食べるしかない。
こんな状態で、よくリーレは俺を家に連れて来ようと思ったもんだ。自分の生活が大変なのに。お人好しだから……かな。けどそれにしたって、優しすぎるよな。俺みたいなやつ拾ったところで、肉体労働だってできるかどうか怪しいぞ? まさか売り飛ばされて奴隷に……な、わけないか。だったらあそこで暢気に拍手なんてせずに、後ろから殴りかかればよかったんだし。相手が女の子でも、不意打ちなら簡単にやられていただろう。
「いいよいいよ。俺が転がり込んだのが悪いんだし」
味はともかく、お腹は膨れたんだから問題はない。でも三食これってのは、さすがにキツイよな……ああ、ラーメン食べたい。
基準が飽食日本なので、どうしても感覚が贅沢になってしまう。でもせめて、もっと栄養のあるものを食べたい。もう少しまともな物が食べられるように、努力しないと。努力とか、あんま好きじゃないけど。
「ねえリーレ、この辺でお金を稼げるところってないかな。ほら、どこに行くにしてもお金は必要だし」
お金そのものは持っているのだけど、残念ながらこの世界では使えない。リーレに見せたが硬貨もお札も見た事がないと言われたので、全然違う貨幣が出回っているのだろう。多分、金貨とか銀貨とか銅貨とかが。
リーレはしばらく目を閉じて考える素振りを見せていたが、困った顔で首を横に振る。
「……ごめんなさい。直接お金を稼げるような仕事は、この辺にはないと思う。私がしている薬師も、手伝ってもらうような仕事は今ないの。どこかの畑とかお仕事を手伝えば、お礼は現物で貰えると思うけど……」
マジか。困ったな……鞄の中を見たけど、ろくなものはなかったし。
一万円ほどが入った財布、筆箱、スマホ、国語の教科書にそれぞれの教科ごとのノート、それからラノベとハードカバーが一冊ずつ。それにどこの会社かもよくわからない国語辞典が一冊なんだから、これでどうにかするしかない。
「じゃあその、近所を案内してくれないかな」
直接見て回れば、何かわかることもあるかもしれないし。百聞は一見に如かずだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわぁ……」
外に出て最初に目に入ったのは、一面の畑。東京ドーム二つ三つ分はあるだろう。RPGに出て来る村、というイメージまんまの、自然だらけの場所だ。
近くに森と畑しかないここの辺じゃ、本当に仕事なんてなさそうだ。精々畑仕事くらいだろう。お隣さんなんて、百メートルは先じゃないといないんじゃないか?
「見ての通り田舎で……ごめんなさいね、何もなくて」
「いやそんなことないぞ? 俺がいたところは建物ばっかで自然なんて全然なかったから、すごく新鮮だし」
「へぇ、そんなところがあるのね……なんてところ?」
「え、えぇっと……」
ど、どうしよう。大宮、って言ってもわかんないよな……だからって埼玉、とか、日本、って言ったところでわからないだろうし……この世界の国名じゃないから、違和感半端ないだろうし。なんて答えれば……
俺がなかなか答えないのを不思議そうに見ていたリーレだったが、ふと何かに思い至ったような顔になった。
「そう、よね。ごめんなさい。追い出された場所のこと、話したくないわよね」
「あ、ああうん。あははは……」
本気で悲しそうな顔で言われ、とても良心が痛む。嘘なんて吐かない方がよかったか? いやでも、馬鹿正直に俺は異世界から来た人間です! だなんて言ったところで、ここは異世界かと訊いた時のリーレの反応を見れば信じて貰えないのは確実だ。だったら少しでもやりやすい状況にするしかない。
俺の乾いた笑いを更にネガティブに受け取ったのか、悲しそうな顔で諦めた様子のリーレはそれ以上何も訊かなかった。ありがたいと言えばありがたいのだけど、本気で申し訳ない。
とりあえずここにいてもどうしようもないので、村のみんなを紹介してくれることになった。
それから村人達を一通り紹介されたのだけど、全員の顔と名前は覚えられなかった。まあ村人なので、また会うこともあるだろう。その時にちゃんと覚えよう。
大体の人の紹介は終わったのだが、最後に一人残っている。この村の長を務める、ジェーアさんだ。
「ほう、村を追いだされて。それは災難ですなぁ」
のったりと喋るジェーアさんは、驚くべきことに普通の人間ではない。いわゆる亜人なのだ。頭のてっぺんからちょこんと生えている長い耳はウサギのものなので、獣人だと思う。ジェーアさん以外にも、ここに来る前に何人か見た。この村はそういう亜人達との軋轢なんかはないらしく、仲良く暮らしているようだ。村人の数が少ない、ってのもあるだろうけど。
着ているのは、綿のシャツにズボンとラフな格好。村のみんなもそんな感じで、おおむね異世界と聞いて頭に浮かんで来るような世界と見て間違いないようだ。亜人とかもいるし。ただ大きな街とかは見ていないので、全然違うかもしれないけど。
どうしよう、高層ビルが建ち並んでいたら。イメージめっちゃ壊れるんだけど。
そんな思いなど知る由もなく、ジェーアさんはズズッと甘い紅茶みたいな飲み物を飲んだ。
「して、仕事が欲しい、とのことでしたねぇ。困ったことに、お給料を出せるような仕事は、この辺りにはないですなぁ。みな近くの街まで、出稼ぎに行ってしまうのですよ。畑仕事や家畜を育てる仕事ならありますが、それも結局は街で売ってお金に代えます。村の中は物々交換で成り立っているようなものですしねぇ」
「そうですか……」
もういっそ、ここで畑耕してスローライフでも送ろうかな。魔法は問題なく使えるし、真面目に働けば食い扶持には困らないだろ。働くの好きじゃないけど。
「じゃあどこか、手伝えるような畑とかってありますか?」
「それなら心配ご無用。リーレの家の前の畑があるでしょう。あそこの持ち主は儂なのですよ。お手伝いしていただけるなら、出来たものを少々お譲りしましょう。儂もこの通り老体ですからねぇ。若者の手があれば、とても助かります」
そのままとんとん拍子に話はまとまり、俺はジェーアさんの畑を手伝うことになった。
の、だけど。畑仕事しんどっ!? あれ、俺あんま向いてない!?
交渉成立の翌日から手伝わせてもらったのだが、もうめちゃめちゃ大変だ。慣れない作業ばかりだし除草とかマジめんどい。害虫は大体がより住みやすい森に行くからまだいい方だけど、地味な作業ばかりなのがホントにしんどかった。それになんか、全体的に作物の元気がない気がする。
その中でも最もやばそうなのが、稲だ。この世界は普通に稲作をしている。高く売れるから、村人はあんまり食べないらしいけど。
今の季節は夏なのだが、稲の葉の色が薄いしなんだか小さい気がするのだ。
「何が問題なんだろうなぁ……」
稲の出来が、俺の今後の人生左右しそうなのに。主に食事面で。寿司食べたい……あ、カツ丼もいいな。親子丼とか天丼もいい。もういっそ、おにぎりでいい。
弱々しい稲を見ながら、問題点を考えた時だった。
『問題点:窒素不足』
「へ?」
突然視界の中央、稲の上の辺りにそんな文字が現れたのだ。まるでゲームステータス画面みたいな……
「あ、これもしかしてスキル的なやつ!?」
よく異世界転移を果たした登場人物が、様々なスキルを発動させる。これはもしかすると、俺にもその恩恵が……!!
大喜びで他に何か起こらないか待ってみたが、何も起こらない。しかも、説明ウィンドウに相当するものも現れない。
「なに、この不親切設計」
この世界に来れたこと自体が嬉しくて放っておいたが、俺なんでこの世界来たんだろう? 誰かに召喚されたわけでもないし。元の世界、っつーかクソババアがいないところならどこでもよかったっちゃあよかったけど。でも召喚じゃないとしたら、まさか死んだのかなぁ……それにしては、神様とか見てない。普通、なんか言いに現れるだろ。いや二次元の普通であって三次元の普通じゃないかもだけど。
どっちみち、死んでいてもいなくても、この現象の説明はつかないことに変わりはなかった。
ただ一つわかったことと言えば、どうも俺には物の問題が見えるってことだけだ。その後もあちこち見たから、間違いない。居候させてもらったままのリーレの家|(ただし物置)の問題点は『老朽化』だったし、水面に映る自分の顔を見てみたら『器用貧乏』だったし|(大きなお世話だ!)。
つまり稲に話を戻すと、元気がないのは窒素不足ってことになる。だからなに? って感じだけど。
「不親切だよホント。問題点わかったところで、解決方法は提示してくれないんだから」
これで解決方法もわかるなら、いやいっそ解決方法だけでもわかるのなら、チート能力を名乗ってもよさそうなものなのに。これじゃただの欠陥能力じゃないか。
「でも前にテレビで言ってたような……なんだっけ、三大肥料がうんぬん……」
窒素とカリウムと……リンとかだったっけ? 多分不足してる窒素を補えばいいんだろうけど、そもそも窒素ってどうやって補うんだ? 空気中には山ほどあるけど、それでいいなら窒素が不足するだなんてありえないだろうし……
「どっかで窒素の話見たな……違う、読んだのか。前に読んだ本のどっかにそんな話……」
必死に過去の記憶をたどる。勉強は暗記科目だけはよかったから、記憶力自体はいいのだ。冷静になれば思い出せるはず。窒素、植物……
「あ!?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ありがとうございますマナトさん!! お蔭で、今年は例年よりも豊作になりそうですよ!!」
「いえ、そんなことは……」
あれからしばらくして。とても元気になった田んぼを前に、大喜びするジェーアさん他、リーレを含めた数人の村人の姿があった。
「まさか、あんなことで稲が元気になるだなんて、思ってもみませんでしたよ」
あまりの喜びようにいつもよりハキハキ喋るジェーアさんの言うあんなこと、とは。
ズバリ、魔法を使って雷を起こすことである。
リーレに訊いてみたところ、魔法は決まったいくつかの呪文以外はイメージ力が鍵なんだそうだ。イメージだけでキツイのなら、自分なりに呪文を作ると魔法が発動しやすいのだとか。『いでよ地獄の業火』と唱えれば大規模な炎が出るし、逆に小さい火でいいなら『灯火よ』とかで毎回イメージを固定させるのがコツらしい。魔法の詠唱ってただのカッコつけかと思いきや、ちゃんと魔法を使いやすくするって作用があったんだと驚いた。なくても発動しちゃったし。
それにより魔法をある程度自由に使えるようになった俺は、雷魔法を発動させた。雷の放電により窒素と酸素が化学反応を起こし、それが溶けた雨が地上に降って来ることで窒素不足を補うことに成功した。
ずいぶんと前に読んだ、何かの本にそんなことが書いてあったのを思い出したのだ。やはり、本は偉大である。ちなみにこれだけだど雷があっちこっちの高い樹に落ちて危ないので、避雷針も設置済みだ。材料はよく知らない金属だったが、そこ目掛けて雷が落ちるのは実験したので問題ない。けっこうもつみたいだし、なんかすごい金属なのはふわっとわかったけど。
「この方法を来年からの稲作に取り入れたいのですが、よろしいですかな?」
「どうぞどうぞ。ただ、やり過ぎるとよくないと思います。数回くらいにした方がいいかと」
詳しい話は覚えていないが、何か影響はあった気がする。なんだっけ、地球温暖化が進むんだっけ? それとも酸性雨だったか……まあ、どちらもそれほど問題ないだろう。雷が深刻に環境破壊するなら、地球はとっくに滅んでいるし。
それにしても、便利なのかそうなのか、とてもコメントに困るスキルを手に入れた。いや、それともこれも魔法なのかな? 固有魔法的な。ウィンドウとか出ればわからるんだけど、そういうのは一切ない。まあなんかカッコいいから、固有魔法ってことにしておこう。
とりあえず、村に馴染むことには成功したらしい。