十三話 襲い来る災厄
「マナトくんっ!!」
冬も深まって来た、ある寒い日の昼下がり。この世界では十一月の始めからが冬なので、十二月になった今はもうずいぶんと寒く、雪もちらつく季節だ。いつもとは明らかに違う真剣な顔をしたライラが、突然扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んで来た。昼食時だからか、俺が寝床にしている物置ではなく母屋に直接来たようだ。
こんなライラを見るのは、初めてだ。
それだけで、むくむくと不安が湧き上がって来る。どう考えたって、尋常じゃないことが起こっているのは明らかだった。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
完全にマジトーンのライラに嫌な予感を覚えつつも、努めて冷静に尋ねた。ここで俺まで慌てては、話にならない。向かいで一緒に昼食を取っていたリーレは固まっているし、隣のファロンに至ってはどうでもよさそうなのだからなおさらだ。
俺の努力が実ったのか幾分落ち着きを取り戻したライラが、それでも真剣な顔のままで告げた。
「りっちゃんもファロちゃんも、落ち着いて聞いて。一刻も早く荷物をまとめた方がいい。溶解スライムの大群が来る」
ガタンッと大きな音がしたので向かいを見れば、真っ青な顔色のリーレが椅子を蹴飛ばすように立ち上がっていた。
「今、どの辺りに?」
そう尋ねた声はあからさまに震えていて、それが余計に不安をかき立てる。答えたライラのどこまでも真面目な声音が、その不安が気のせいなんかじゃないことを物語っていた。
「ロットンの街の中心に、バカでかい時計塔があるでしょ? そこから見て北西、あいつらの移動スピードだと三時間でこの村をかすめる位置にいる、だって」
ロットンから見てヴァラ村は北北西。その溶解スライムとやらが通る恐れが、かなりあるらしい。
「そもそも、その溶解スライム? ってなんだ? 響きからして、触ったら溶けるタイプのスライムとかか?」
スライムと言うくらいだから、そんなに強くないだろう。というか、弱くあってくれ。
そんな願いは、あっさりと打ち砕かれた。
「だいたい合ってるわ。正確に言うと、向こうが触れたものをほぼ全部溶かして飲みこんじゃう恐ろしいスライムってこと。樹も石も家も、もちろん人間だって簡単に溶かしちゃうの」
「そんなのが大群で来たってことは……」
「下手をすれば、この村どころか周辺の森もロットンも、まとめて飲み込まれるでしょうね」
つまり遭遇した時点で詰んでるレベルの、超弩級災害ってことだ。
「ってちょっと待て。そんなのがいたら、人類とっくに滅んでるだろ。何か対処法とかないのか?」
普通に考えて、そんなのがポンポン生まれるようならこの世界は終わっている。なんでも飲み込めるんだから。でもそうなっていないってことは、対処法なり明確な弱点なりがないとおかしい。
そう思って訊いたのだが、返って来たのは実に歯切れの悪い回答だった。
「あると言えばあるけど……溶解スライムは身体のほとんどが、水でできているの。だから乾燥に弱いくて、水分を蒸発させれば死ぬ、のだけど……」
「じゃあ、強力な火の魔法をみんなで使って、スライムの水分を全部飛ばしちゃえばいいんじゃないか?」
真っ先に思いついた方法は、悲しげな目で首を横に振るリーレに否定される。
「生半可な火じゃ、何匹か集まって飲み込んじゃうの」
「マナトくんにわかりやすく言うと、一軒家が全焼するような火災クラスの炎でも十匹いれば飲み込めるんだよ。もちろん、家ごと」
「そんなの相手に、よく生き残ったな人類……」
大群と表現されている以上、百や二百ではないと思われる。そんなとんでも魔物相手に、どうしろって言うんだ。
「だから普通は、そこまで増える前に個別に駆除するの。でも、それがされなかったってことは……」
リーレの目が、魔物を退治するのも仕事であるはずの騎士に向かう。ライラはその視線から目を背けず、まっすぐに答えた。
「わかってる。これは、騎士の仕事の怠慢。ちゃんと駆除したつもりだったんだけどね……言い訳にしかならないけど。今回は、ロットンの東にある洞窟で大増殖したんだと。あそこ夏でも涼しいし湿気多いから。しかも今年は、例年よりもかなり奥深くで増えてたみたい」
ライラの口ぶりからすると、毎年その溶解スライムとやらは発生していたらしい。ただ、ここまで大量に発生しなかったってだけで。
重たい沈黙が下りる。だがそれも数秒のこと。すぐにリーレは、あちこちをひっくり返しながら荷造りを始めた。
「マナト、急いで必要最低限のものだけまとめて。ファロンちゃんのは私がまとめるから。それと、できるかぎり大勢の人に今のことを伝えて。大急ぎで逃げないと」
「逃げるって……どこへ?」
『……』
答えを持っていないのか、二人共黙り込んでしまう。
ヴァラ村だけでなく、ロットンまで呑み込むような災厄級の魔物が相手なら。どこへ逃げたって、いつかは追いつかれてしまうんじゃないだろうか。
再び下りた沈黙を破ったのは、それまで黙っていたファロンだった。
「相手が溶解スライム程度ならば、火山にでも放り込めばよかろう。あやつら金属が好きじゃから、それで釣ればのこのこ火口に飛び込むぞ。バカじゃからの」
そうか、その手が――いや待て、この辺りに火山なんてあったか!?
「リーレ、ここから一番近い火山ってどこだ!?」
「……ロットンから南の方角にある、カテラ火山だと思う。ただ、ここからだと人間の足で一か月かかるわ。溶解スライム達なら、半月から三週間くらいかな」
「それじゃ意味ない……!!」
そんなに遠いところでは、そこにたどり着く前に追いつかれてしまう。しかもそれだと、溶解スライム達が通った場所全てを犠牲にすることになる。
「ファロン、お前どうにかできないか!? 俺達なら無理でも、お前なら!!」
純粋な戦闘力なら、この中でファロンが一番高い。なら、俺達がどうにかできなくても、ファロンなら。
だがその希望も、あっさりと打ち砕かれる。
「うーむ……不可能ではないじゃろうが、我は父様ほど強くないからのー。そのうえ我は植物系の龍神でな。桜の精とか、そんなのに近いのじゃ。じゃからそいつらとは、相性が悪いかのー。森の植物全部使ってもいいなら、話は別じゃが」
それでも確約はできんと、ファロンは困り顔で締めくくった。
もし溶解スライムを全滅させられたとしても、森がなくなったんじゃ生活がままならない。森がなくなれば土壌が流れやすくなり、栄養のある土がなくなってしまう。それに、あまり狩りに行くことはないとは言え、魔物だって貴重な資源なのだ。森がなくなれば、そこに住んでいた魔物だっていなくなるだろう。そんなことになれば、この村にはどっちみち未来なんてない。
「だ、だったら、そのファロンの親父さんに頼むってのは!?」
「父様なら、今は遠いお空の向こうじゃよ。母様を追いかけて、ずいぶんと前に行ってしまったのじゃ」
い、いない……? ファロンの父親である龍神は、もう死んでいる? 母親を追いかけてってことは、自殺なんだろうか。
状況はもはや詰んでいた。何も手立てがない。襲って来られた時点で、諦めるしかない。これは、そういう類の話だったというだけだ。
結局俺達は、荷物をまとめて逃げることしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「簡単に逃げられると思ったら、大間違いだよな……」
俺が今いるのは、なんと溶解スライムが進軍する森の真っただ中。それも、たった一人で、だ。
なぜそんなことになっているかと言うと、荷物をまとめて逃げる最中、俺があることを思いついたからである。それは、俺の固有魔法。名付けて『問題視』を使ってみる、というものだ。
俺の魔法は、あらゆるものの問題点を視ることができる。そして、応用すれば弱点だって。使い方次第で、色々な側面からの問題点が見えることもわかった。ならこれを使って、他に溶解スライムの弱点を暴き出せないかと思ったのだ。
当然、リーレ達のことは撒いた。もし知らせれば、確実に止められるからだ。
『問題視』の有効範囲は、だいたい肉眼で見える範囲と同じだ。もしかすると、望遠鏡でも使えばもっと遠くまで見えるのかもしれない。だがあいにくと、すぐに持ち出せるような場所にそんなものはなかった。なので、裸眼で行くしかない。
とりあえずなるべく遠くが見渡せるよう、俺は手近な樹に登っていた。
「さーて、噂のスライムちゃんはーっと……」
バクバクとうるさく鳴る心臓の音を誤魔化すように、ついつい独り言が多くなってしまう。俺だって怖い。伊達や酔狂で、一人残ったわけではないのだ。
この世界に来た俺に、居場所を与えてくれたリーレ。彼女に、まだ俺はその恩を返し切っていない。
「意地なんて張ったところで、損するだけだってわかってるんだけどなぁ……」
わかってはいても、男には通さなきゃいけない意地がある。
「ま、死んだらその時だ。潔く諦めよう」
もしかしたら、この世界に来た時点でもう死んでいたのかもしれないけど。だとしても、今こうして俺は存在している。だったら、最期の時が来るまで全力で足掻くだけだ。
そうやって恐怖から目を逸らしていると――見えた。ウワサの、溶解スライムが。




