09
思いっきり泣いてすっきりした。いや、目が覚めたといったほうがいいのかもしれない。何かに追い立てられるようにわたしは焦っていた。何に、と自問自答してもその答えは得られないけど、周りのことが一切合切見られないほどに我慢ができなかった。
次男の肩を叩く。もういいよ、ありがとう、という意味を込めて。
「ふんっ、ひどい顔だな」
それを言うか。自分でもある程度、想像できるけど人に言われるのは正直傷つく。
でも、今は言い返したくても嗚咽が残っていて上手く文句一つ言えない。悔しいけど、ここは我慢だ。
「まったく……令嬢だというのに活溌なんだな。それに――汚い」
「……?」
わたしの結んだ髪を眉間に皺を寄せ掴む。何を考えているのか上に持ち上げたようで、腰まで伸びた髪は草のように四方に広がり、わたしの視界の邪魔をする。なんの嫌がらせだ。
睨んでいると次男はわたしの背後に回り髪紐を解いたのか衣擦れの音がする。何をするのかと顔を横に向けると両手で前に向けられ、動くなと端的にご指示を頂いた。
ちゃんと説明をしてくれ。
不安を察したのか三男が説明がてら次男に質問をしてくれた。
「セラ兄、髪なんて縛れるのか?」
「まあな」
実の弟に対してもぶっきらぼうに返す。わたしが嫌い、とかではなく性格なのだろう。
指で髪を梳かれるのは初めてだったけど心地よくて、安心したせいか、目頭に涙が浮かびそうになる。慌てて袖で拭うと「顔が不細工になる」と注意が飛ぶ。
次男、どうやってわたしの行動を読んだ。
「ルティは大人しくしてろってことだな」
そう笑いながら三男がわたしの前に来て腰を下ろす。どうしたんだ、と思わず声をかけそうになる。だって、ここに来て彼の初めて悲しげというか、悔しげな表情を浮かべていれば気にもなるというものだ。
どこか痛いのかと問えば、目尻を下げて笑う。スカスカの実のない果実のような笑いは泣き顔のようで悲しくなる。
仕方がない。ワンピースの袖で拭いてあげるから泣けよ。わたしと同じぐらい怖かったんだろう。
「わっ、どうしたんだよ。ちょっ、別にオレは泣いてなんてないから! びっしょりしてて気持ち悪いし……」
「失礼な」
「いや、本当のことから。……ね、どうして逃げなかったのさ」
「……暴力、嫌いだから」
「でもさ、あそこは逃げるべきだったんだよ。絶対に」
「わかってる」
でも、嫌だった。同い年の男の子が一方的に暴力を振るわれる場面を目にするのは。わたしのことを助けようとして傷を負う姿を見るのは。それならわたしでいいやって思った。
「どちらも間違いだ」
次男が髪を結び終えたのか立ち上がり、会話に入ってくる。
わたしは結び目に手を触れるとなんと両サイドは編み込みがされ、後頭部には小さなお団子が。次男はどんな遊びをして育ってきたのか不安になる。
「じゃあ、何が正しいんだ?」
「分からないのか?」
わたしと三男は揃って頷く。すると、ごんっ、とふたりの頭にげんこつが落ちてきた。
「いってー! 何するんだよ!」
「いっ! なっ、何!? 暴力反対!!」
「間違えるな、躾だ」
「そもそも、屋敷から勝手にいなくなるべきじゃなかったんだ。いいか、今日は月に一度行なわれる朝市なんだ。大勢の人間が、それも他国からだって流れてきている。子どもは危ないから家に居る日なんだ」
知らなかった。
「まったく、俺が先に気付いたから良かったが。急いで戻るぞ。このままここにいれば大事になる。バカふたりの相手をこれ以上したくもない」
「ちょ、ちょっとヒドイんじゃねぇーの、それ」
うんうん、と三男に同意する形で頷く。
「バカ共に何を言っても意味はない」
そういうと次男は歩き出してしまう。わたしたちがついて来るものだと思っているのだろう。まあ、付いて行かない、という選択肢はないので、後に続きますけど。
泣き顔を見られた気恥ずかしさもあり、頬を膨らませる。それをおかしそうに突っつこうとするのは三男だ。させるか。一歩、後ろに下がる。避けられると思っていなかったのか、三男も頬を膨らませた。
「一緒に叱られた中だっていうのに、まだ怖いのかよ。まあ、いいけどさ。次はバレないように抜け出そうな」
懲りてない。
またバレたらわたしたち、げんこつが落ちること、分かっているのかな。
まあ、いいけど。
げんこつが落ちてきた場所はジンジンするけど、不思議と温かく感じた。
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シャンパーニ伯爵の屋敷に戻ると、エントランスに長子が出迎えてくれた。
「兄上、連れ帰ってきました」
「お疲れさまー。やっぱりセラに任せて正解だったね」
「ええ」
ふたりは軽く会話を交し、次男だけ屋敷の中へ入っていった。
「さて、と。ニヴィルはまず、書斎に行って父さんに叱られておいで」
「げっ、誤魔化せたんじゃないの?」
「無理だよ。後、一時間経っても戻ってこなかったら、憲兵に出てもらうよう話を通しているところ」
「はあ……また小遣い抜きかな……」
ぶつぶつと文句を言いながら三男は屋敷の中へと入っていく。
わたしとふたりっきりになった長子は、エスコートするようにわたしの部屋へと誘導していく。
「両親が帰ってきているんだよ。後から、君に書斎に来て欲しいと伝言。まずは身なりを整えて、朝餉を食べて……――」
長子は黙って出ていったことについて全く触れない。
気を遣ってくれているんだろうなって思うと、彼の優しさが嬉しい。
そもそも彼の柔らかく笑う顔を見ていると心が安らぐ。ぬるま湯に浸るような、優しさに包まれているような。
次男にも三男にもない独特の雰囲気だった。
彼に連れられわたしは部屋に戻る。そして、わたし付きの侍女を紹介された。名前はチェルナ。長子は彼女に支度を任せ、部屋から出ていってしまった。部屋に残されたわたしたちは、なんていうか睨み合うような形になる。チェルナの手が動くと無意識にわたしはピタッ、と扉に背中をつけ動けない。
「あ……あの……」
自分の体のことを伝えたほうがいいのだろうか。
そう思い口を開くと、彼女は距離を置くように二歩ほど下がってくれた。
「大丈夫でございます。全てとは言いませんが聞いておりますので。ゆっくり、仲良くしていただけますか?」
母より少し上ぐらいだろうか。決して美しい人ではないけれど、人好きのする柔らかな笑みを向けられ、頷いていた。
胸がぎゅっと締め付けられるのは母の姿が恋しいからなのか。
「……よろしくお願いします」
いつまでお世話になるか分からないけれど、漠然と数年はこの屋敷にいることになるんだろうなと思った。
支度がすんだわたしは伯爵の書斎に案内され、両親について話を聞かされた。
わたしに暴力を振るっていた父親は捕らわれ刑に処されるとのこと。恐らくではあるが辺境の地へ数年、もしくは数十年の流刑だろう、と伯爵は言う。他者と比べるとその罪は重く、王族に連なる者を傷つけたことへの罰も加わっているらしい。
そしてわたしの母。彼女は手厚く看護を受けているのだとか。なんでもわたしを父親から守るため壁となり、体はひどく衰弱しているのだとか。さらに救出されたことで安心したため心を深く病んでしまったらしい。そのためわたしと同じ空間に置くことは避けるべきだ、と医者の助言あり一緒には暮らせないと。
「両親のことを教えていただき、ありがとうございました。このままお屋敷にご厄介になるわけにもいきません。わたしは孤児院に行きたいと思っています」
努めて淡々と。感情的になるのは交渉の場では失態と同じ。
焦ったせいでわたしは間違いを犯すところだった。だから、こうして交渉の場でちゃんと自分の気持ちを伝える。
「孤児院……。孤児院はこの王都にないんだよ」
「え……っ、ど……どうして、ですか?」
伯爵は美しい黄緑色の瞳を一瞬だけ哀しみの色を浮かべ、誤魔化すような笑みを顔に貼り付けた。
「昔は城下にもあったんだよ。色々と事情があってね……。今は平民が通う学校になっているんだ」
学校、とオウムのように繰り返す。
「君の希望は分かったけれど、私たちとしては娘として迎えたい。君のご両親の元に行き、許可をもらってきたし、もちろん国王陛下からも許可はいただいている」
「そんな……」
「突然言われても困ると思うけれど、どうかお願い」
伯爵夫人もまた取りなすように言葉を挟む。
「な、なら後見人という形では……」
彼らは悲しげな顔をして横にふる。
「どうして……ですか」
「君の出生をきちんと作るため、だよ。私が不貞をはたらいた結果得た子ども――庶子として我が家に来てもらう」
それはきちんと、とは言わないのではない。偽造という。
そこまでするのか、と意味を込め伯爵を睨む。
「理由はわかっている、という顔をしているね」
頷きたくない。
だけど、頷かなければ彼らは説明をするだろう。
わたしが、わたしの立場が国王ならびに国王に反発する勢力にとって特別な理由。
記憶を探ればそんな話を父と母がしていたのを覚えている。
それにはこの国の結婚制度が深く関わってくる。
この国は国王だろうと貴族だろうと総じて、一夫一妻制だ。
数百年前までは国王のみ子孫を残すため、一夫多妻制だった。しかし、跡目争いで、数年の間に数十回という内乱が起きた。この時、多くの王族と民が死に、建国王の血を引く者が残りひとりというところまで追い詰められたのだとか。
このときの教訓を活かし、一夫一妻制を導入することが法で正式に定められた。
もちろん、内乱がなくなったわけではない。ただ、側室同士の争いが消えただけでも、国王の座を巡った争いの数が半分以下になったのだから、民としては嬉しい限りだろう。
ただし、戦がなくなった反面、国王の血を継承する者が極端に減ってしまった。
この国の王の血には不思議な力が宿る。
他国の侵略を阻む神壁の守護を初めとし、数々の奇跡が伝説として残っている。
その力を持つ子どもが少なくなり、現在国王の血を濃く保持している者は四人。
現国王とその妹姫。つまりわたしの母様だ。
そして、国王の息子である王子とわたし、フォルティアというわけだ。
公爵家は他にも三家あるが、数世代にわたりどの人も国王の力を持つ子どもを産み落としていない。恐らく、この先もないだろうと医師は告げているらしい。
表向き、国王の息子は現時点で王位継承第一位であり、第二位はわたしの母様となる。たったこれだけなのだ。
他国からの脅威を除ける力と血を持つ者は。
だからこそ、本来であればわたしの出生はすぐにでも国に報告しなければならなかった。
しかし、両親はそれを阻んだ。
次世代を担う継承者と考えれば、国王になれるのは王子とわたしだけ。
わたしはこの場合、スペアとなる立場だけれど、国王の反対勢力である貴族筆頭の血が流れるわたしという存在がいれば、どうなる。簡単だ。王子の命を狙う者が現われるのは必須。
そして、その恐れを国王側が察知すればわたしを殺しにかかるだろう。
両親はどちらかが起こることを恐れ、わたしという存在を隠すことにした。
わたしの誕生を知っているのは、父が信頼できるごく僅かな穏健派と呼ばれる貴族だけだった。
ただ、もっとも最悪なのは王子が何らかの形で死ぬことだ。
そうすればこの国の根幹から崩れることとなる。それは貴族たちも望んではいないだろう、恐らく。
だからこそ、今回の一件でわたしは秘密裏に国王側に存在を知らされ、表向きには伯爵貴族の娘としての地位を得て、身柄を確保されたというわけだ。
この特別な理由によってわたしという存在は、他人に左右されるらしい。
「万一のことを考えて、ご両親は君に伝えてあったんだね」
「……はい。でも、フォルティア・シャンパーニという人間を作るために、あなたたちが汚名を着る必要などありません」
「あるんだよ。それほど国王と一部の貴族の対立は大きくなりすぎている」
「子どもの貴女たちには関係のないことなのに……」
いえ、と言うしかない。
貴族の家に生まれれば否応なしに責任が生まれてくるのだ。
まともだった頃の両親はそう考えれば責任を放棄したことになるのだけれど、わたしにはそれが愛情に思えて少し嬉しかった。結果として重圧に負け、壊れてしまったわけだけど。
わたしはこの家族を壊さないように暮らして行けるのか不安だった。
本に書かれていたわたしという存在はどうだったのか――。
「難しいことは考えないでいいの。ただ、この家を自分の家だと思って暮らしてちょうだい」
「……はい、お世話になります」
シャンパーニ夫人は労るような優しい笑みを浮かべる。
それに応えたいのに、でも上手く笑えた自信はない。
伯爵夫妻には本当に申し訳がなく、わたしはただ頭を深く下げるしかなかった。
無理だということはわかっていた。まあ、だから逃げようとしたわけだけど、三男を巻き込んだことで気持ちが萎えた。他の方法で平民の地位を得ようと心に誓う。
どんな方法かなんてすぐには思いつかないけど。
ため息を吐きながら部屋へと向かう。正直、外を歩き回っていたせいで体が疲れていたし、傷開いて悲鳴を上げていた。
壁を伝うようにして歩いていくと部屋に続く階段の隣の壁に寄りかかるようにして、目つきと口の悪い次男が立っていた。
「…………」
「あの……先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げる。しかし、彼はまったく反応を示さず、どうすればいいのか分からない。そもそも小説の中では彼は明るい笑顔だった気がする。こんな無愛想ではなかった。わたしの性格が変わったせいなのか彼は冷たい態度を崩さない。
反応が全くないためわたしは会釈をし、部屋に戻ろうと歩き出す。
「触れるぞ」
何を、と聞き返す前に次男の腕がわたしの体を支える。変な声が漏れそうになり、足がもつれ転びそうになる。そのしか、次男のもう片方の腕がわたしの腰を抱く。
「はっ、離してください……っ」
「あんな風に歩き回れたら迷惑だ。侍女と一緒に行けばいいものを」
「……だって、いつ終わるかわからないから」
「それが仕事だ」
どこか責めるような口調に何も言い返すことができなくなる。
彼は何を思ったのかそのままわたしの体を横抱きにし、歩き始めた。
「ななななっ、何をしてるんですか!? 降ろしてください」
「……今度は嫌がらないんだな」
「何を……降ろしてください!」
叫ぶのに次男は反応はない。
自分の歩調で階段を登り始め、こっちの意見なんて最初から聞く気が無いのだ。
暴れたい衝動にかられるけれど、次男の腕はがっしりしていてちょっと暴れたぐらいじゃびくともしない気がする。
「勝手な振る舞いはするな。迷惑だ」
「……わかってます」
「それから、俺はお前の兄にはならない。いいな」
「……わかりました。では、セオラス様とお呼びします」
「――セラでいい」
濃緑の瞳が射殺すように見下ろしてくる。
この人、本当に目つきが悪いんです! 怖くて渋々頷く。
そうこうしている間に部屋の前に到着した。そこには人懐っこい笑顔の三男が立っていた。本当にこの人たちは兄弟なのだろうか。
次男はわたしの体を降ろすとさっさと自分の部屋へと引っ込んでしまう。お礼を言う暇も与えてくれない。
「ルティ! 説教は終わったのか? んじゃさ、妹ってことでいいよな」
次男の背中を見ていると、三男が焦れたように話しかけてきた。
「そればっかり……。もう少し勉強したほうがいいと思う」
「大事なことだから――って、ちゃんと喋れるのか!?」
「子どもじゃないんだから当り前でしょう?」
「うわー嫌味っぽい。すごく嫌味っぽい。まっいいけどさ、兄ちゃんって呼べ!」
「うわー笑顔で命令とか止めて」
廊下で騒いでいると長男が部屋から顔をだす。
嬉しそうな笑顔を浮かべていていたせか、わたしたちはつい駆け寄ってしまった。
「随分と仲良くなったみたいだね。良かったよ」
「こいつってばさ、何も知らないで王都を歩いてたんだぜ」
「いいでしょう、別に。あんただってわかってなかったじゃない」
「ふふ、ふたりはまるで双子みたいだね。これじゃあ、どっちが年上なのかわからないけどね」
「はあ!? 絶対にオレが兄だ!! いいな、ルティ!」
「ルティ? もう愛称を呼ぶようになったんだ。じゃあ、僕もルティって呼ばせてもらおうかな、僕の小さなお姫様」
中央で分けた薄紫の髪はあごのラインまで伸びている。その髪が揺れながら近づいてきてわたしの手を取り、キスと落とす。まるで王子さまみたいで、ビックリした三男と目があった。たぶん、同じ顔をしているんだと思う。
長子あらため長男はわりとマイペース。
次男は態度も言葉も悪い。
三男は人懐っこくて妹という存在が欲しいらしく煩い。
今のところシャンパーニ家のことで分かっていることはこれだけだ。
それでもわたしの伯爵令嬢としての生活が始まる。
公爵令嬢から伯爵令嬢に爵位は下がったので、平民になる準備は順調と言えるのかもしれない。