08
孤児院を探すついで、ということで一緒に城下を見て回ることになった。
しかし、ふたりでの行動に何も思わないでもない。ただ、ひとりで辿り着く自信はない。あれでも、居場所が知られてしまい連れ戻される恐れがある。なんていうか、悪循環だ。
そもそも、この街の孤児院にいると知られてしまうのだから……自分の馬鹿さ加減にため息がでる。もう今日は諦めたほうがいいのだろうか。
まだ朝だというのに、一日を諦めるような言い方に更に落ち込んでしまう。
そんなことを考えながら歩いていると突然、三男が声を小さくして話しかけてきた。
「……なあ、オレたちさっきから誰かに見られてないか?」
「自意識過剰?」
「それはオマエだろ。って、そうじゃなくて……」
さっきまでのしまりのない顔が突然引き締まり、焦りすら見せる。なんだか怖くなって振り返ってしまう。
「オイ! 振り返ったらオレたちが気付いたことがバレるだろ」
「……ごめん。でも……なんで?」
「知らねぇけど、朝市って色んな人間が入ってくるからじゃねぇの。こうなったら噴水広場に戻ったほうがいいな。行くぞ」
三男の普段とは違う態度にわたしも神妙に頷き返した。
……で、どうしてこうなった。
「オイ! あいつら良いとこの子どもだ。絶対に捕まえろ!」
噴水広場を目指すという案は正解だったと思う。
だけど、わたしの迂闊な行動のせいで男たち――推定三人ほど――に気付かれ、追いかけ回されていた。
それほど広場から離れた場所に移動したつもりはないけれど、悪漢たちのほうが地理に詳しいようで引き返す道に現われ、進行を阻む。わたしの体力はもう限界だった。
「置いて……逃げて」
「そんなこと出来るわけねぇだろ! くっそう、その物陰に隠れてろ」
「でも……」
「いいから」
有無を言わせない言葉に頷き、言われた通り気の箱の傍に蹲る。何をするつもりなのか、箱の持ち手部分の穴から覗き見る。
三男もまた物陰に隠れていた。
「おい、どこに行きやがった。そう遠くに行ってるわけがないからな。探せ!」
「あいつら言い値がつきそうだからな。顔は傷つけるんじゃねぇぞ!」
掴まった時、自分がどんな扱いを受けるのか漠然と知らされた気分だ。逃げたい。その気持ちが強くなる中、三男が動いた。
「オッサンたち、最高のダンスを見せてくれよな!」
笑顔を当時に樽を男たちに向かい転がす。
この街はゆるやかな上り坂になっている。わたしたちは城により近い場所、悪漢たちは下にいる。当然、樽は転がっていく。
何個も何個も転がし、さらに蓋を開けていたせいか石畳みが泡だらけになり、別の樽からはワイン色の液体が流れていく。
「クソガキが!」
樽を全て投げたのか三男はわたしの方に走ってくる。
「――逃げるぞ!」
三男がわたしの手を掴んできた。
体が硬直して動けない。でも、彼は構わずわたしの腕を引く。つんのめるように、わたしの足が動くけれど、どこかぎこちなくこれならひとりで走ったほうがましだ。
「や……」
「あーもう! こんな時に、立て!」
自分でも情けないと思う。
三男は手を離し、代わりにカバンを掴み引っ張る。
これでわたしも一応走れるようになった。だけど――突然三男の体が浮く。何が起きたのか振り返り見ると、彼の襟首を掴み投げ捨てる悪漢たちの姿があった。
「いってぇ……何すんだよ!」
「それはこっちのセリフなんだけどなあ。面白いことしてくれるぜ」
悪漢たちの顔がにやついている。獲物を捕らえることができる、と確信しているからだろうか。だけど、その身は三男の被害のせいなのか服が汚れ、液体が滴り落ちていた。
「ハッ、子どもを追いかけ回すダッサイ大人にピッタリな遊びだろ?」
「うるせぇ!」
「ぐふっ……」
尻餅をついたままの三男の顔を蹴る。体が吹っ飛ばなかったのは手加減をしてくれたからだ。
「貴族のガキがこんな時間から何してんだか。下々のものたちの生活を見るのが楽しいか? だったらご希望通り、最下層に落としてやるよ」
「はあ? 奴隷は何百年も前に禁止されてるだろ」
「バーカ、この国は、だ」
わたしを庇うように三男はよろよろと立ち上がる。
「ハハッ、これはこれは勇者様。格好良いねぇ。お嬢さんを守ろうってことか」
「じゃあよ、こういうのはどうだ? オレたちの拳を受けて、気絶しなかったら帰してやるよ」
「……本当、だろうな。約束だぞ」
「駄目!」
男たちは見せつけるように袖を捲り、筋肉を誇示する。
あんな太い腕に殴られたら三男はどうなってしまうのだろう。考えただけで恐ろしくて震える。 この男たちは貴族のことが嫌い、いや憎んでいるのだろう。
国王と貴族たちの対立で治安が荒れたという話は聞いたことがある。夜な夜な公爵家に来ていた貴族たちが話していたからたしかだ。
そんな彼らが約束を守るとも思えないし、三男の体が無事だとも思えない。
どうしたら逃げられるのかと思案する。
「……逃げろ……」
前を見据えたままボソッとわたしにだけ聞こえる声で告げる。三男だって怖いんじゃないか。後ろから見てもわかるぐらいに震えて、なのにわたしを苦そうとする。置いていけるわけがない。彼を逃がしたい。
でも――わたしの足は動かない。
動け。
動いて。
動きなさいよ!
頭の中に映像が流れる。忘れていた生々しい。もうひとりの『わたくし』がもっていってくれた暴力。
鷲づかみにされる髪。腫れ上がるほど何発もぶたれる頬。鼻と口からは血が垂れている。それでも止まらない。だというのに瞳からは涙は流れない。もう慣れてしまったから。つま先立ちになっていた体がふいに横に倒れる。絨毯がクッションになって痛みは少ないけれど、すぐに上からの圧迫を感じた。お腹を跨いで腕が振り下ろされ――怖い。怖い。怖い。ごめんなさい、ぶたないで。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい!
「……ルティ」
「…………え……」
ルティって誰。
こんな時だというのにわたしは突っ込みを入れてしまう。
三男、いつからわたしのことをそう呼ぶようになったの。
だけど、自分を取り戻せたから、わたしは動ける。
逃げたくない。わたしはわたくしじゃないから。
足を叩くけどびくともしない。何より、自分の力が弱くて、痛くも痒くもない。
わたしはとっさにカバンを肩からはずし、男に投げる。いとも簡単に避けられてしまった。何か投げるものは――探す。木の箱が目に入ったけど、わたしの力で持ち上がるだろうか。
考えていると、男が太い腕を振り上げる。
「やだあ!」
悲鳴を上げる。
その瞬間――
「駄目!」
わたしの足は動き、三男と男の間に両手を広げ、割って入った。
「なっ……何を……バカ、逃げろ!」
殴られる痛みを知っている。十分この体は味わった。だから、同い年の男の子には与えたくない。あんなのわたしだけで十分だ。
優しくしてもらった恩がある。
肉と野菜の串をご馳走になった借りがある。
逃げる時、ひとりで先に行けたのに離さずいてくれたお礼だってしていない。
だから――だから、守る。それで十分だ。
「へへっ、綺麗な顔の嬢ちゃんだ。いいだろう、お前から片付けてやる」
「っ……」
振り下ろされる腕。空気を唸らせるような音を耳が拾い身が竦む。
後ろで「逃げろ」と叫ぶ声がするけれど彼も怖くて動かないのだろう。ああ、良かった、と思う。トラウマを抱えるのはわたしひとりで十分。だから気にしないで――そう笑いかけようと振り返った時だ。
「何をしている」
黒いオーラを纏いうその人は、山脈から現われた悪魔だ。
そう思ったけど、よく見たら次男だった。
「げっ、セラ兄……」
救世主が現われたというのにわたしたちふたりは、喜べない。というのも彼の視線が悪漢たちに向けられていない。こっちを見て睨んでいる。
というわけでさっきの問いかけは、わたしたちが答えないといけないんだよね。この状況で説明しろと言われても。
次男は億劫そうに腰に下げた鞘から剣を引き抜き、男たちに切っ先を向ける。待って待って、何もそこまでしなくても、と止めたいのに恐怖と助けが入ったことにより力が抜けその場に座り込んでしまい何もできない。
「もう一度聞く。何をしている」
剣は悪漢ののど仏に。視線はわたしたちに。器用ですね、アナタ。
返事がないことに苛立ったのか次男は切っ先を向けた剣を悪漢の首の皮膚を少し切る。うっすらと血が浮かぶ様は本当に怖くて、悪漢の表情がひくつく。
「答えろ」
「その男の人たちにつけ回されました!」
最敬礼をする勢いでわたしは叫ぶ。
満足したのか次男の視線が悪漢たちに向けられた。どんな表情をしているのかは知らない。でも、大人の男たちの顔がみるみるうちに青ざめていくのだから、まともな表情ではないだろう。
「世話をしてやる」
「ガキの遊びにいつまでも付き合ってられるか。行くぞ」
そう、次男が言った瞬間。悪漢たちは負け惜しみの舌打ちをし、踵を返し路地裏に駆けていった。
これはつまり、助かったということ?
「……良かった」
体から力が抜けたのかその場に座りこむ。
心臓の音が騒がしい。もう痛いよ。痛い。今日の致命傷、心臓。そう誰か診断してください。
「お前は馬鹿だ。傷を増やすつもりか?」
剣を鞘に戻しながら次男は片膝を付き、わたしの前に腰を落とす。
決してそれ以上の距離を詰めてこようとしない。
一見してみると感情のない濃緑の瞳は宝石のようで怖い。だけどちゃんと見れば彼が心配してくれているのがわかる。声からだって労るよう色があり、心配してくれたんだ。じゃなかったらここに居ないし、真っ先にわたしに声をかけてくれるはずがない。
視線は怖い。睨んでいるようにしか見えないのに心遣いが嬉しくて、不覚にも涙が溢れだす。こんなところで、人前で泣きたくないのにわたしは止めることができなくて、乱暴にワンピースの袖で拭う。
「お、おい。大丈夫か? ルティ、なあ!」
三男の焦った声が聞こえる。わたしの周りをうろちょろとしているのだろう。まあ、このぐらいの歳の子がなくなんてそうない。
前世のわたしが何歳まで生きたのかは知らないけど、泣けば優しく抱きしめてもらえていたからきっと今よりも年下だったのだろう。
「……はあ」
次男に大きくため息を吐かれてしまった。
うっ、わたしだって泣きたいわけじゃない。悔しくて拭う手に力が入る。
「触れるぞ」
「……――え?」
端的に断りを入れられた。意味が分からず聞き返す。でも、答えは行動で返ってきた。
次男の三男の手よりも大きな手が後頭部をがしっと掴み、胸に押しつける。撫でるわけでもなく、ただ胸を貸しているだけ。苦しいけれど、温かいそれにふれ、涙腺が完全に壊れた。
「うっ……うぅ……うゎあぁあああ」
「泣け。ぶさいくな顔は見ない」
うるさい、このやろう。
悪口を言われた恨みもこめて次男の服を汚すつもりで思いっきり泣いた。
泣いて、泣いて、やっと気付いた。
わたしはどのぐらいぶりに涙を流したのだろう……――。