07
三男の後をついていくと、次第に出歩く人の姿を見ることができた。いまさらだけど、さっきまで人っ子一人いなかったことに気付く。たぶん、迷い込んだ先は民家が集まった場所で、時間的にみんな家の中にいるんだ。朝食の時間だと自分のお腹を撫でながら気付いてしまった。
彼の足は淀みなく、大通りに出るとさっき怒鳴られた馬車の後を追うように歩いていく。ほんの僅かな坂道だったけれど、どうにも足が重くなっていく。ただ、ここで弱音を一つでも言えばどんな顔をして笑われるかわかったものじゃない。歯を食いしばって、乱れる息をなんとか誤魔化しながら歩いていく。薄手の手首まであるワンピース一枚で丁度良かったことが嘘みたいに今は暑い。服を全部脱いでしまいたくなるぐらいだった。
そんなはしたないことを考えていると、坂の上から風が流れてくる。少し冷たい風は火照った体に気持ちいい。
「なんだろうな。この先にやっぱりなんかあるんだ。急ごうぜ」
三男も同じことを感じたのだろう。掴んだカバンを更に引っ張り、わたしは転ばないように慌てて足を動かす。おいこら、けが人を労れ!
文句の一つや二つぐらい言いたいけれど、今は無駄な体力を使う余裕がない。
ゆるやかな、と言っても上り坂だ。気付けば俯き歩いてしまっていた。そのせいで三男が立ち止まっていたことに気がつかなかった。先を歩く三男の後頭部とおでこがぶつかるまで。
「いってぇ! 何するんだよ!!」
くぅ、痛い。文句をわたしも言ってやりたかったけど、額を抑えながら顔を上げた先の光景に目を奪われた。
噴水が中央にある広場だった。
朝日を浴びて吹き出す水滴は見たことのないほど美しい宝石。風が吹くたびに水のたまり場に落ちなかった雫が外へと運ばれ、坂の下にいたわたしたちを潤す。そして、何よりも美しいのは七色の橋だ。
「初めて……見る」
「オレもオレも。それにさ、もっと周りも見ろよ」
さっきまで怒っていたのを忘れたのか、三男は楽しげに指をさす。まあ、わたしもおでこの痛みはあっという間に消えていたのでお互いさまなんだけど。
浮き足立つ気持ちは抑えられず、三男の指先に視線を向ける。そこには馬車の荷台を簡易的なお店に見立てた屋台が幾つも並んでいた。
そう言えばさっきのおじさんが朝市、と言っていた。
「……知っててきた?」
「まあ、なんかあるんじゃねーかなーとは思ったけどな。どーだ、兄ちゃんのことを少しは見直したか?」
「偶然」
鼻の下を指でかきながら胸を張る三男にきっぱりと伝える。偶然の産物を威張っても格好悪いだけだぞ、という意味もこめて。
まあ、すごいとは思ったけど。
なんとなく素直に認めるのはしゃくで言葉にすることができなかった。
そんなわたしの気持ちは知らず、三男はカバンを引っ張り歩き始めた。
「わああ! 見ろよ、このでっかい実! なあ、おっちゃん、これなんていう食べ物なんだ?」
「ん? これは南のボンデーノ領地で取れるサドラっていう果物だよ。癖が強いけど、砂糖と三日ほど漬けて食べると美味いんだよ。って、ふたりとも親はどこにいるんだい?」
「親? 親はあっちのほう」
「そうか、今日の市は月一の大物だからね。早めに合流しなよ」
「はーい! んじゃ、行くぞ」
「……ん」
ごった返す中をどんどん進む度胸もすごいけど、知らない人と気軽に話す人なつっこさもすごいと思う。でも、何よりも――
「嘘つき」
ぼそっと呟く。
人が多いから聞こえないかもと思ったけれど、以外にも三男の耳は拾ったらしい。
「このぐらいでか!? それに嘘なんて吐いてないしー。オレが指さしたほうには屋敷がある」
「……そう」
呆れて何も言えなくなる。
何より、ここにわたしの目的を叶えてくれる人物がいるのだろうか。いるかもしれないけれど、この中を探し歩くのは無謀のように思えた。
それに人混みを歩くことが怖い。
大人の手がちょうど肩や頭に触れ、そのたびに体が強ばる。無意味に殴るような人は誰もいないとわかっているのに。
しばらく歩いていくと広場の反対側まで辿り着いた。お店がないせいか人も少なく、白いベンチが置かれている。わたしは三男に椅子に座りたい旨を告げ、彼は見たりないようで絶対に動かないことを条件に一旦別れることにした。
随分とあっさりと思ったけれどそれもそうだろう。
体が震えていた。
あのアホ三男が気遣ってひとりにしてくれた、とは思えないけどありがたい。息を吐き出しながら俯く。途端にお腹のあたりに痛みが走り、気持ちの悪いものがこみ上げてくる。慌てて顔を上げた。
間に合ったようでこみ上げてきたものは治まり、変わりに美しい蒼天に目が奪われた。
「空は青い物……だよね」
思えばこんな空は見たことがない。
『わたくし』の頃、まだ虐待を受けていなかった時ですら親は屋敷から出ることをひどく嫌がった。今思えば嫌がったというよりも警戒していたのだろう。わたしという存在がふたりの不安の種なのだから。まあ、見つかる前に種は不気味な形で発芽し、散らしたわけだけど。
「……忘れたままでいたかった」
「何をだ?」
「わああああ!」
「なんだ、なんだ!?」
青一色だった視線に不気味に揺れる黒いものが揺れ、さらに頬に触れた。
それが三男だと分かる前に叫び声を上げてしまった。こいつ、本気で殴りたい!
「オレも驚いたっつーの! はあ、落とさなくて良かった」
何を安心しているのかと思えば、両手に野菜や肉が刺さった串を二本持っている。その片方をわたしのほうに渡すように腕を伸ばす。
「ほらっ、これ食べろよ。朝ご飯食べてないし、腹空いただろ? 兄ちゃんが奢ってやる! 兄ちゃんがだぞ!!」
「うるさい」
ひったくるように串を受けとる。エサをやって懐柔しようとしてる。魂胆を少しは隠す努力をしてほしい。まあ、少しだけ兄っていいなと思ったけど。
というか、わたしの態度はあんまりじゃないだろうか。このままでは我が儘令嬢になってしまう。それは絶対に嫌だ。
わたしは慌てて三男に頭を下げ、お礼を言う。
「かたっ苦しいな。兄妹なんだからもっと気楽でいいんじゃねーの?」
「兄妹、違う」
「頑固」
「そっちも」
「自意識過剰」
「三男」
「オマエの言葉、全然オレの悪口になってねーぞ」
明らかにわたしの劣勢だ。
答えは決まってる。わたしは三男という男のことを何も知らないし、知ろうともしていない。未だに三男呼びなのが何よりの証拠だ。
逆に三男はわたしと関わりを持とうとしてくれている。こんなところまでついてきて。突然現われた娘を本当の妹のように扱い。
伯爵夫婦はどれほど立派な方なのだろう。
あの人たちは――と思わず比べそうになるけれど、慌てて振り払う。わたしは過去を捨てて平民になるんだから。
もぐもぐと黙って肉と野菜を食べ終わり、串を設置されたゴミ箱に捨てる。
そういえば串のお金を渡していない。
「別に串の一本ぐらいいいよ。オレも一応自分の小遣いがあるからさ。つーか、金持ってるのか?」
「……っ」
「ない物どうやって払うんだよ」
ですよね~。わたしもそう思う。
自分で呆れながらも三男はちっとも気にしていないようで、嬉しそうにベンチから立ち上がりわたしのカバンを掴む。
「なあ、せっかくだし、街をもう少し見てこうぜ」
え、嫌です。と、すごく嫌な顔をすると三男はわたしの痛いところを綺麗に突いた。
「孤児院も見つかるかもしれないだろ?」