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悪役令嬢は傷を癒やさない。  作者: 果林燈
公爵令嬢→伯爵令嬢(八歳)
3/11

03

 扉を強かに開け放った男の子はベッド脇まで歩いてきて、もう一度同じセリフを口にした。自分のほうが数ヶ月先に生まれてきたから兄だ、と。

 部屋に入ってくるなりこの人は何を言っているんだろう。という疑問をぶつけるように冷ややかな視線を向ける。でも若草色をした瞳はキラキラ輝くだけで、わたしの睨みが効いていない。


「なあ、聞こえてるんだろ? 一応、オマエの意見も聞かないとさ、フェアじゃないと思ったんだよ」


 少年の軽い口調に呆れてしまう。

 なんていうか、どうにでもなれという気分がぴったりだ。

 そんなわたしの気持ちには気にせず、 黒にうっすらと紫かかった髪を揺らしながら声を出して笑っている。

 人懐っこい笑みは嘘くささがない。記憶にある人間たちはどこかほの暗い闇、後ろめたい、本音を隠しているような笑みばかり浮かべていた。そのせいで珍しいものを見せられた気分だ。

 まあ、大人と比べれば、子どもは無邪気だから当然なのかもしれない。ただ、わたしは彼のような笑顔を浮かべる自信はなかった。今も彼の笑顔に幾分呆れながらも、愛想笑いぐらい浮かべたかったけれど、表情筋がまったく動かない。

 これが長年の抑圧の結果。


「なあってば! なんで何も反応しねーんだよ! ……もしかして喋れないのか?」

「…………違う、喋りたくない」


 口の中が切れていて舌を動かすだけで痛い上、血の味がする。

 嫌味をこめてそう告げると、微かに唇が上がった。笑いたいと思ったときはぴくりとも動かなかったのに、こんな時は動く。自分の性格の悪さに驚きながらも、彼の笑みが一層深くなったことに言葉を失う。


「んじゃさ、頷けよ。オレが兄でいいか?」

「……勝手。兄……いらない」


 だって――と、心の中で声が聞こえた気がする。

 この声はもうひとりのわたしなの?


「兄はいらねぇってことは……弟が欲しいのか!? 駄目だからな!」

「弟も、必要ない」

「なんだーびびらせるなよ。んじゃ、どっちでもいいってことか?」

「…………はあ」


 わざとため息を吐く。だけど、この少年にはわたしの気持ちを察する、という能力が大きく欠如しているようで、頭の後ろで両腕を組み楽しそうに笑っていた。

 本当にわたし、という人間の来訪に喜んでいるのだと、嫌なぐらい伝わってきた。

 単純、という言葉が頭に浮かんだけど、口に出すことはなかった。

 記憶にある限り、こんな風に迎え入れられたことがあったかなんて考えるまでもない。

 しゃべれば不覚にも泣いてしまいそうで、シーツを引き寄せベッドに潜る。もうこの同い年の少年と話したくない。

 手だけだしてあっちへ行って、という意味を込め振る。

 だというのに彼はあろうことかこの手を取った――。


「いやっ!」


 さっきまで心を締めていた――呆れながらも楽しい――気持ちは飛散させながら、握られた手を弾く。ベッドから起き上がり、わたしは彼から距離を置いた。


「な……なんだよ……」


 彼からしてみれば、急に怒り出したようにしか思えないのだろう。だけど、それはわたしも一緒。突然、触られれば驚く。人よりも拒絶の仕方が大きかっただけで。


「なんで叩かれないといけないんだよ。オレ、何か悪いことでもしたのか? ……なんか言えよ」


 互いに睨み合う。

 彼は「何か言え」を繰り返すけれど、わたしは一言も喋らない。謝れば良いのかもしれないが、心のどこかで思ってしまう。わたしは何も悪くない、と。さらに何か喋れば喚き、八つ当たりまがいなことを口にしてしまいそうだった。


「こーら、突然席を立ったかと思えば……彼女は何も知らないんだよ? もう少し紳士的に話を持ってこないとね」


 ピリピリした空気の中、軽い音が響く。視線を巡らせれば両手を合わせた薄紫の髪色をした青年が立っていた。彼が手を叩き合わせたのだろう。


「……紳士ってなんだよ。オレたち家族になるんだから、普通に接すればいいじゃん」

「お前は何も話を聞いていなかったのか?」


 青年の後ろにいる黒髪の少年の翡翠色の瞳がひた、とわたしを見る。彼には見覚えがある。あの屋敷から救いだそうとしてくれたのに、わたしは目の前にいる彼にしたように拒絶した。たしか名前は――セオラス、わたしの二番目の兄になる。

 じゃあ、一番身長もあって優しげな笑みをたたえている人が一番目の兄というわけだ。うん、包容力からしても群を抜いている。

 二番目の兄はとにかく怖い。射すくめるような視線はさっきからずっと続いていて、一言しゃべった声も低く冷たかった。

 三番目の兄だか弟は子どもだ。それでも一番、家族になれる気はする。なるつもりはないけれど。


「聞いてけどさ、何をどうすればいいかなんて誰にもわかんねーんだろ? この家に来たんだから、全部忘れちゃえばいーじゃん」


 簡単に言ってくれるな。

 だけど嫌いじゃない。ただ、近づいてくれるな。身を乗り出すようにしてベッドに両手をつく。いけない、と思うものの体が反射的に後ろに下がり、彼は不満そうな顔をした。


「なんだよ、びびりすぎだろ。そういうのなんて言うか知ってるか? 過剰反応って言うんだぜ」


 かっ、と頬が熱くなった。わたしは手元にあった枕を投げ、眉間に力を込め睨み付ける。同時に大股で近づくセオラスの姿があり、「ひっ」と引きつった声を上げてしまう。怖いのだ、この人の目がとにかく。

 だけど、彼の目的はわたしではなかったらしい。末っ子の頭にげんこつを迷うことなく落とす。


「無闇に……暴力、振らないで……」


 盛大な音にわたしは身を竦め、気付けばそう呟いていた。

 翡翠色の青年は一瞬だけ顔を歪め、すぐに睨みつけてきた。


「言葉の暴力はいいのか?」


 嘲るような口調。

 まるでわたしが傷つけた、と言われているようで視線を逸らす。

 彼はそれ以上、何か言うつもりはないらしく、三男の襟首を掴み、引きずるようにして部屋から出て行った。


 ……ふたりとも悪い人ではない。


「ごめんね、君の前でいくら躾だからって手を上げるべきじゃない。僕から言っておくよ。でも、嫌いにならないであげて」

「……わたしも……悪い」


 そう言うと困ったような笑みを浮かべる。だけど、話口調は一切崩れない。


「ニヴィルは……ああ、さっき拳骨を落とされたほうね。あの子は僕たちの末の弟なんだけど。末っ子扱いが最近気に入らないみたいで」


 兄としては弟の成長が嬉しいのか、始終笑っている。この人の笑みは安心させる力でもあるのか、わたしの気持ちを落ち着かせてくれた。


「君とあの子は同じ八歳だからどちらが年上扱いになるのか、決めたかったんだよ」

「…………好きに、決めて、いい。興味ない」

「そう、そうだよね。突然、兄か弟かって聞かれても困るもんね。えーと……自己紹介がまだだったよね。僕はレジナルド・シャンパーニ。シャンパーニ伯爵家の長子、かな。さっき、拳骨を落としたのがセオラス。君の三つ上になる。ちなみに僕は六つ上だよ」


 曖昧に頷きながら、何か待っているような瞳に首を傾げるしかない。わたしに何を望んでいるんだろう。


「…………自己紹介ってしたこと、ない?」


 自己紹介……? あの、名前を言い合うやつか。思い返せばこの体ではしたことがない。あれ、前世も……ないかもしれない。どれだけ早死にしたんだろう。悲しくなってきた。

 レジナルドの問いかけに頷きつつ、自分の名前を記憶の中から探る。

 記憶にある限りわたしの名前を呼ぶ人の姿がどこにもない。

 わたしは……――誰なんだろう。

 名前はもちろん知っている。

 フォルティア・シュタイン。でも、それを名乗ってなんになる。

 どうせ誰も呼ばないし、呼ばれたくもない。


「……大丈夫だよ」

「え……」

「君は今までの君を忘れればいいんだ。僕がきちんと教えるから、セオラスやニヴィルには名乗ってあげてくれる?」


 頷くと彼は顔一面に笑みを浮かべ、部屋に用意された紙とペンを持ちに席を立つ。その間にベッドの中央に位置を戻し、水を一口飲み込んだ。血の味がなくなって少しはましになる。


「今までの名前は二度と名乗らなくていいよ。今日から君の名前はフォルティア・シャンパーニだよ」

「…………フォルティア・シャンパーニ……?」


 わたしの名前?


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