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悪役令嬢は傷を癒やさない。  作者: 果林燈
公爵令嬢→伯爵令嬢(八歳)
1/11

01

 縦に伸びる光りの線の幅が次第に広がっていく。

 その光りはあまりにまぶしく、まぶたを閉じていたわたしの内側に眠る瞳にまで届いた。まばゆい光りに誘われるように思考が働きだす。自分が眠っていたのだとこのとき気づき、ゆっくりと覚醒していく。

 重厚な音がする。

 すぐに何が起きているのかわからなかったけれど、光りの幅が広くなることを頭で描く。

 音と光り。

 この二つが重なる瞬間を『わたくし』は知っている。

 それは幼い子ども一人で簡単に開けることができなかった扉だ。それも外へと繋がる大きな大きな扉。「お気を付けていってらっしゃいませ」と微笑みなながら、いつも白い手袋をし丸々とした眼鏡をした執事が開けてくれた。

 でも、その扉が二度と開かれないことを『わたくし』は知っていた。


(どうして、だったかな……?)


 混濁する記憶をかき回すように金属のぶつかる音が複数する。たぶんだけど、大勢の人が駆け込んできたのだろう。この時になって外からであれば扉は開くのだと気付いた。


(……何日ぶりの光り? わたくしは――)


 光りの強さに目眩を覚え、突然の浮遊感に溺れそうになる。それは脳を強く刺激したせいだ、と悟ったのは頭に痛みが走ったせいだ。

 同時にわたしの記憶を――この場所ではないどこかを映し出した。綺麗な服を着て、両親に手を繋がられ歩いている。あれは”わたくし”じゃない、と訴えると同時に、”わたし”だと誰かが伝えてくる。


(いいえ、違う。あれはわたくし……――違う、わたしだよ)


 思考が交差する。

 綺麗な服を着て、両親に手を繋がられて庭を歩くのはわたくし。

 両手を思いっきりふって、街路を駆け回るのはわたし。


(わたしは……この場所にいるべき人間じゃない……)


 これを人は前世の記憶、と呼ぶのかもしれない。

 知らない記憶、と思ったけれど気付けばそれは懐かしいものばかりで、嬉しくて懐かしくて寂しい。


(戻ってきて……もうひとりのわたし……)


 この時代、この場所で生きて来た”わたくし”に呼びかける。だけど、わたしの声は届かないのか、彼女の声が聞こえない。


(ああ、どうして……)


“わたくし”のことを思い出す。

 彼女の体も心もぼろぼろだった。常に振るわれる暴力。心ない言葉。誰も助けてはくれない。謝っても許してもらえない。小さな手は踏まれ骨を砕かれ、殴られた頬は大きく腫れまぶたが開かない時もあった。

 それでも“わたくし”が生きようと思えたのは心の支えがあったからだ。

 でも――知られてしまった。

 そして奪われた。


 心の中は傷だらけで悲鳴すら聞こえなかった。

 この子の心は死んでしまったんだ。もう生きたくない、と。逆にわたしは生きたい、と強く願っていて、光りは神の国からの迎えであり、扉が開くというイメージからわたしの人格が表に出てしまったのかもしれない。


(どうしたらいいんだろう。手足を動かしたくても痛くて……)


 そんなことを考えていると光りが消え闇が――影が顔にかかった。


「ここに……! ここに倒れておいでです」


 誰かがわたしの顔を覗き込んだんだろう。

 視線を上げると翡翠の宝石を思わせる瞳が自分を見ていることに気付く。

 彼は焦った顔をして差し出された手を掴もうと腕を伸ばしてきた。

 わたしも応えようと痛む腕を動かす。彼は慌ててそちらに視線を向け、たぶんだけど手を掴もうとしてくれた。

 わたしも追いかけるように首を動かし視線を向け、腕を持ち上げた。

 指先が触れる距離に至るまで奇妙に思えるほど時間がかかり――触れる、と思った瞬間、拒否するように冷たい床の上に腕を投げ出した。

 本当に無意識だった。だけど、如実に語っている。触れられたくない、と。


「……っ」


 冷たい音がわたしと少年の間にだけ響いた。

 翡翠色の瞳が歪む。もしかしたら拒絶されたと感じたのかもしれない。違わないけど違う、と伝えたかったけれど、わたしには声を出すだけの体力は残っていなかった。

 怖い。ただ、ただ、怖いんだ。

 この体の本来の持ち主はいなくなってしまったけど、体には記憶が残っている。嫌というほど刻まれている記憶。他人に触れることは暴力を触れられることだったから。


(だってわた、し……)


「…………」


 翡翠色の少年は傷つきながら一歩、二歩後ろに下がる。ここにきて彼の髪色が黒なのだと気づいた。行かないで、と言いたくて謝りたくて指を思う一度動かす。

 彼はそんなわたしに気づき、息を飲む。そしてもう一度手を伸ばそうとしてくれたけど、嫌だ、と首が無意識に動く。

 声を出すこともできないほど追い詰められた体なのに、わたくしは中々強情のようだ。

 とはいえ、傷だらけのまま床の上に横になっているわけにもいかない。眠ってしまえばいいのだろうか、と思った瞬間、抱き上げられ「い、や……っ」と声を出した。その時、体の上に乗っていたのか何かが落ちる音がする。黒髪の少年がわたしから視線を逸らす姿が目の端でとらえ、彼が拾い上げてくれているのだろう。

 しかし、あれだけ自分の意思で声を出そうとしても出なかったのに、無意識というものはすごい。


「大丈夫……大丈夫だよ」


 優しく、穏やかな声が囁いてくれる。

 強ばった体のまま誰が自分を抱き上げているのか知りたくて視線を彷徨わせる。わたしを抱き上げる人物は気づき、顔を見せてくれた。

 薄紫色の優しい髪色は少し長めでわたしの頬に触れる。くすぐったいのに顔を動かせないのは辛い。そしてその奥にあるアンバーの瞳。ふいに涙が溢れてきそうなほど安心感が広がり、体の強ばりが消えた。


「……この本、こいつのみたいだ」

「こいつ、なんて言ったら駄目だよ、セオラス。なにより、そんな怖い顔はしないの。彼女はひどく傷ついているのだから」


 そうだぞ、そうだぞ! 君のことが嫌いなわけじゃないんだ、と伝えたい。

 だけど、わたしはセオラスという名前に思わず首を傾げたくなった。


「……レジナルド兄上の腕は受け入れていたようですが」


 彼の場合はわたしに目を合わせないように抱き上げてくれたからだ、とこれまた教えたい。

 だけど、また、だ。どこかで聞いたことのある名前だ。

 セオラス、と呼ばれた少年はそれだけ言うとどこかに行ってしまった。


「レジナルド、こちらの様子はどうだ?」


 誰かが部屋に入ってきた。とても渋い声でおじさまと呼びたくなる。 


「父上、衰弱しているようですが命に別状はないかと思います」

「そうか……良かった」

「それで、シュタイン公爵はどうなりましたか?」

「別部隊が捕らえたと知らせが入った。公爵夫人も無事保護することができた」


(シュタ……イン?)


 どの人の名前も聞いたことがあった。

 どこで――ああ、本だ! と手が自由に動けば叩き合わせていたと思う。

 



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