離島奪還
こんな小説でも応援してくれる方が要るとは、感謝感激です。戦闘描写は例によって薄いです、次はもっとちゃんとした戦闘を書きたい・・・。
燃料、船舶の不足から薄くなっていたとはいえ、海上自衛隊や海上保安庁の警備隊からの阻止を無視して僅か数日の間に沖縄方面と対馬方面への侵攻という驚くべき速度の侵攻を行ったシノセント帝国であったが、肝心の上陸部隊ははっきり言ってお粗末と言わざるを得なかった。
野戦砲は数えるほどしか無く、電撃的に大人数を輸送する為補給は無いも同然であった。
兵の装備はボルトアクション式の小銃を主力とした標準的な歩兵であったものの、糧食、弾薬共に僅か五日の戦いに耐えるのみであった。
火力支援は艦砲に頼り、糧秣を始めとした物資は現地で徴発するという補給思想から来るものであった。当然、艦砲射程外では劇的に火力が落ちる上に継戦能力は低かった、しかしその分略奪を受けた現地の被害は非常に大きなものとなった。
これに対して日本政府の対応は当初、非常に緩慢なものであった。
今までの自衛隊の行動が派手であった分、野党及び与党の一部議員や自称平和団体からの反対が激しく、防衛出動命令を出すことがなかなかできなかったのである。
対馬侵攻部隊は陸上自衛権対馬警備隊、通称ヤマネコ部隊が超法規的手段として遅滞戦闘を行う事によって何とか凌いでいるが、比我の戦力差はヤマネコ部隊350に対して侵攻部隊およそ2000、装備や練度は優越しているものの数の差は圧倒的であった。
また、市街地への艦砲射撃と略奪によって民間人に既に多くの犠牲者が発生しており、民間人を守りながらの戦いを強いられたヤマネコ部隊は苦しい戦いを行っていた。
沖縄方面は多くの離島に分散して侵攻されていた上、在日米軍基地の多数ある沖縄は言わば要塞地帯と言っても過言ではなかった。
在日米軍と自衛隊は職務規定、交戦規定に従って行動をとり、侵攻部隊の各個撃破に成功していた。しかし此方は分散した離島全てを守ることはできず、その結果多くの犠牲者が発生していた。
状況が大きく変化したのは侵攻が開始されてから三日後であった。あまりにも頑強な議員の反対を押し切って出動命令を出したのである。斎藤総理は彼らに対して、
「憲法と国民の命のどちらが大切だ!国民の命を守れない憲法など捨ててしまえ!」
と怒鳴りつけ、強引に命令を出した。
防衛出動が出されてからの自衛隊の動きは速かった。対馬に対しては即応待機していた舞鶴の第三護衛隊群が緊急出動し、大陸と対馬を結ぶ補給線を寸断。また周辺に存在する艦隊を排除することによって火力支援を停止させた。
これによりヤマネコ部隊は艦砲射撃を気にせずに戦うことが可能となり、戦況は一気に好転。増援が到着したこともあり、侵攻部隊は降伏した200人余りを残し、全滅した。
沖縄方面は日本が航路安定の為に必死に測量を行って作りあげた海図を用いて日米両軍が展開、既に抵抗が下火になりつつあった沖縄本島を無視し、各離島の奪還を行った。
この時に活躍したのが陸上自衛隊水陸機動団である。本来この部隊の目的は中国に占領された離島奪還であった為、打って付けの部隊であった。これにアメリカ海兵隊も加わり、鬼神のごとく暴れ回った彼らは僅か二週間足らずで奪還に成功した。
返す刀で済州島を救援に行ったものの、こちらはこちらで地獄となっていた。
侵攻自体は小規模であったのだが、混乱に乗じた略奪や暴行と言った犯罪が異常なまでに増加しており、治安が崩壊していたのである。その酷さはシノセント帝国軍が見切りを付けて撤退していたほどであった。
日米両軍は治安の安定と物資の供給を最優先に行い、何とか治安を安定させることに成功するが余りの惨状に精神を病む将兵が出たとされるほどであった。
一連の作戦により一月ほどで、日本勢力圏内の敵勢力の排除には成功した。しかし今回の敵は講和する余地が存在せず、敵の本国を叩いて講和を引き出すしか無い。
当たり前であるが、今の日本にはズルズルと消耗戦を行う余裕は無い。しかし彼らから食料を含む物資を賠償として引き出せなければ日本は早晩行き詰まる。
その為日本がとった作戦はこうだった。
まず第一段階として侵攻の拠点となっているリュージュ軍港を第七艦隊所属空母ロナルド・レーガンを用いて徹底的に破壊。侵攻点を潰すと同時に敵の目をリュージュ軍港に向けさせる。
その後帝都にほど近い場所に抽出した機甲部隊を含む二個旅団を上陸させロナルド・レーガンのエアカバーの下一気に帝都を目指す。いわゆる電撃戦で帝都占領を目指す。
同時に習志野空挺団を用いて皇帝以下国家上層部を確保。頭に銃を突きつけて全軍に戦闘停止を命じさせ、講和のテーブルにつかせる。
一連の作戦は情報が漏れることを警戒し極秘裏に開始された。非常に泥縄的な作戦であったものの早期終戦を行う為には国家上層部を確保する必要がある。
もし失敗すればかつての日中戦争と同じ泥沼に入り込む可能性が高い。今の日本ではそうなった場合勝てるかどうか怪しい。
2020年12月8日日米連合艦隊はそれぞれの港から出航、こうして日本の戦後初めての対外出兵作戦が始まったのである。
次からは更新が不定期になるかもしれません。待っていて下さる方がいるならば、非常に申し訳ありません。




