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千日手、そして投了。

バイトが最近忙しくて投稿が遅れてしまいました、申し訳ありません。今回も内容が薄くて申し訳ありません。

 皇紀2707年6月、南洋諸島沖海戦の後日本は遂にイルクーツク飛行場を利用したロマルーシ帝国後背地帯への戦略爆撃を開始した。この世界で初めて戦略爆撃を受けた都市は首都モスクワ、そしてウラルの要衝エカテリンブルグであった。各都市にそれぞれ8機ずつ計16機が来襲し、それぞれ200トン程度の爆弾を投下した。

 嘗ての世界における戦略爆撃と比べると実にささやかな量であったが、遠く離れた地から直接首都を叩けるということに皇帝を始めとする政府上層部は血の気が引いた。

 これが指し示す事はいつでもどこでも日本は好きな時に好きなだけ爆撃が可能ということである。また、使用された爆弾の威力と被害も彼等の頭を抱えさせた。工場等を標的としていた為、民間人の被害は比較的少なかったものの、多くの工場は破壊されその従業員にも被害が出ている。更にこの爆撃は市民に大きな恐怖を抱かせた。

 この惨劇が何時か自分の頭上に降って来るのではないかと感じたのである。民衆は政府に対し対策を求めると同時に、都市部から一斉に脱出しようとした。つまり疎開しようと各々で行動し始めたのである。

 これに慌てたのが政府、特に財務部である。何しろ労働者が一斉に居なくなってしまえば物資の生産のみならず経済が麻痺してしまう。そうなれば戦う以前の問題である。

 しかし、ならば対策を行ってくれとの要請に政府はどうすることもできなかった。飛竜の倍の速さで上空12000メートルを飛ぶ日本のB-2に有効な迎撃手段は存在しなかったのだから。

 

 ロマルーシ帝国政府の苦悩を嘲笑うかの様に日本戦略空軍は毎日の様に爆撃機を飛来させ爆撃を行った。偵察衛星で重要地帯の情報は殆ど判明している為、如何に偽装を行おうにも無駄であった。

 いつしかこの爆撃は定期便と呼ばれ始め、その定期便は工場地帯だけではなく軍港や飛竜基地等の重要施設は勿論、バクー等の油田にも攻撃を行い始めた。

 日に日に悪化する戦局、この時には日本はビラを撒く等の厭戦工作も行っていた。非常に古典的であるが、効果は抜群であったと言える。何しろ労働者のストライキや民衆のデモが飛躍的に高まり、それを抑えようとした政府と衝突が多発し国内の状況が悪化し続けていたのだから。

 

 対して日本側も頭を抱えていた。状況が千日手の様相を呈してきたからである。日本はモスクワまで進撃して敵の本丸を陥落させることなど出来ない。戦略爆撃は苦肉の策であったのである。これで降伏しないとなるともはや打つ手が無い。空母機動部隊を逆バルチック艦隊として派遣することも考えたが、途中で補給することが難しいこともあり、却下された。

 この両国の不毛な戦いはこの後半年近くに渡って続くこととなる。


 皇紀2707年12月20日、遂にこの千日手に終わりが訪れる。ロマルーシ帝国内で革命が発生したのである。終わらない戦争を続ける政府を打倒し、困窮する市民の生活を救え!として発生した革命の炎は瞬く間に全土に広がり、皇帝以下閣僚も無視できない程となってしまう。

 この事態を受けてロマルーシ皇帝及び政府は中立国を通して日本へ講和の打診を行うと共に革命勢力に対し、事態の好転を約束。行動の自粛を求めた。

 民衆は漸く戦争が終わると解ると徐々に熱狂は薄れていき、国家転覆は避けられることとなった。

 日本側もいい加減この戦争を続けることに嫌気が差していたこともあり、すぐさまこの申し出を了承。この申し出の5日後には停戦合意がなされ、両国は講和会議開催の場所を中立国のガリア共和国首都パリスにて開催されることとなった。

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