反攻開始
今回は陸戦です。多分また色々突っ込み所が満載だと思いますが、ご了承下さい。
制海権を獲得した日本は早速大陸に軍の派兵を行った。日本が両国の間の航空機の窓口として造られたリュージュ空港に2個ストライカー旅団が先遣として派遣され、リュージュ軍港に民間から徴発された輸送船や軍の輸送艦によって本格的な派兵が開始された。
それと平行して日本はウラジヴォストーク攻略作戦を開始した。この作戦は嘗ての仁川上陸作戦と同様に敵の後背を突き、進行を止めると同時に戦線を一気に押し上げるという目的で行われた。
この作戦には第1、2艦隊から空母2隻が集中して攻撃を行うと同時にB-1陸上攻撃機、B-2戦略爆撃機の初陣として更に後背地域の爆撃を行い、敵の足並みを乱すことも行われた。
1月20日、未だに極東艦隊壊滅の衝撃覚めやらぬこの日、ウラジヴォストークに述べ5波に渡る空母航空団の大空襲が行われた。ロマルーシ軍はありったけの飛竜と生命探知能力を向上させた対空魔導誘導弾を用いて迎撃を行った。
しかし、所詮は鈍足の飛竜と対空魔導誘導弾。結局飛竜は直衛の戦闘機に駆逐され、対空魔導誘導弾は追尾はできたものの振り切られ、戦果を挙げることはできなかった。
この攻撃によって投下された爆弾は2400トン余りに上り、ウラジヴォストークは嘗てのリュージュ軍港の空襲を拡大再現したものとなった。また、後背の部隊、敵の兵站線を狙った空爆もまた敵の侵攻部隊の足並みを崩すには十分であり、日本軍に貴重な時間を与えていた。
壊滅したウラジヴォストークに水陸両用戦団が上陸、守備隊との激しい戦闘を行うものの占領に成功、日本は反抗の橋頭堡を得ることとなった。
2月3日、後背攻撃によって侵攻速度が鈍ったロマルーシ帝国軍に対し、集結した日本軍2個旅団及び1個機甲師団、そしてウラジヴォストークに水揚げされた1個増強旅団が空軍の支援の下一斉に反抗作戦を開始した。
数で圧倒するロマルーシ帝国軍が少数の日本軍を挽き潰そうとして出てきたが、そのロマルーシ帝国軍に対して日本は猛烈な弾幕射撃と爆撃によって出迎えを行った。
砲兵は戦場の女神とは良く言ったもので、日本軍の装輪155mm榴弾砲、99式自走榴弾砲と言った大量の砲とHIMARSからのロケット弾の攻撃はまさに鉄の雨を降らしているかの如く敵を破壊していった。
日本人ならばこの光景を見て既視感を覚えたであろう。湾岸戦争の時の記録映像にそっくりであったからだ。
不幸にもロマルーシ帝国軍はこの世界で初めての火力戦を味わうこととなった。その圧倒的な火力の前ではあらゆる戦術が無意味。世界最強の騎兵隊の突撃も、数的優勢を背景にした人海戦術も。僅かでも身動きをすれば上空の無人偵察機に発見され、リアルタイムでその座標への攻撃が行われる。
砲撃は無論のこと、空軍の支援爆撃も凄まじかった。F-2やF/A-3等の戦闘爆撃機、T-4改や初等練習機を改装した軽攻撃機が情報を受け取ると餌を見つけた猛禽の如く急行し、敵兵を大地の肥料に変えんと爆撃を行う。
砲爆撃が地面を耕し、戦車が前進し、歩兵が制圧する。教科書通りの戦闘を作業の如く行う。こうした攻撃を僅か数日続けるとロマルーシ帝国軍は組織的抵抗が不可能となる程に戦力を消耗、機甲師団が一斉に進撃を行うことで押し込まれていた戦線を一気に国境線にまで押し上げることに成功した。
日本は国境に達すると前進を停止、占領したウラジヴォストークを材料としての講和を打診した。しかし、ロマルーシ帝国軍は未だ余力が存在する為にこの講和を断る。これによって日本軍は進撃を再開した。
日本は快速の機甲師団、機械化歩兵によって一路イルクーツクを目指した。イルクーツクを抑えれば敵の侵攻拠点を潰すと同時に敵の後方地帯であるウラル山脈の工業地帯を爆撃機の射程圏に収めることができる。
日本は敵の後方地帯を破壊し、継戦能力を奪うことで講和を引き出そうと考えていたのである。
陸自は物持ちが良いけどこの時代まで99式使っているのだろうか?二線級で使っているとは思うのだがどうなんだろう?




