日ロ開戦
新しい国との開戦です。新しい国はロマルーシ帝国。皆様方、どの国をモチーフにしているか一発で解ると思います。それとこの戦争では実在の地名で進行します。理由は何故かロシアの地名の響きが好きだからという仕様もない理由です。拙い内容ですがどうぞお楽しみ下さい。
皇紀2705年、転移から25年が経ち、日本の人口は1億6000万人を超え、域内総人口も2億人に達していた。
GDPは一時4兆ドル近くにまで低下したものの、その後不死鳥の如く蘇り、遂に8兆ドルを超えるに至り、国力は増加しつつあった。
軍事力も整備計画が完了したことにより、海軍は4個機動部隊を中核とした6個艦隊を保有する強力な海軍戦力に成長していた。
また、陸軍は28個師団26万人、戦車1600輌、装甲先頭車両2800輌を保有。空軍は戦闘爆撃機480機、制空戦闘機180機、爆撃機100機を中核とする戦力を軽攻撃機600機あまりの作戦機を有する軍となり、日本は長期戦、総力戦にある程度耐えうるものとなっていた。
しかし、そのような大国となった日本と近年対立する国があった。北方の雄、ロマルーシ帝国である。
大陸北方を領有するこの大国は伝統的に南下政策を取っており、その度にシノセント帝国と衝突していた。
そのシノセント帝国が日本との戦いによって弱りきっている今こそ、長年の悲願であった不凍港の獲得に動くべきとして南下の勢いを強めていたが、丁度同時期に日本も大陸北方、もっと言うならばシノセント帝国北東部の大陸鉄道や工業団地を有するこの方面への進出が盛んとなっていた。
南下するロマルーシ帝国と北進する日本、明治に満州という地において同様の事を行っていた日本はこの後の出来事を予測し、ロマルーシ帝国を仮想敵として準備を行った。
この当時、ロマルーシ帝国は日本がシノセント帝国を守るかのような姿勢を不思議に思っていたらしいが、それは全くの間違いである。
日本はシノセント帝国が如何に弱ろうと知ったことでは無かった。しかし自国の勢力圏を荒される事はその限りでは無かったのである。
ロマルーシ帝国は侵攻を行う際、リュージュ軍港を使用することで補給を行うことを計画していた。
しかし、リュージュ軍港は下関条約で租借が禁じられており、また日本の大陸鉄道の出発点としても扱われていた為現状使用は不可能であった。
ロマルーシ帝国極東総督府は日本に圧力をかけることで軍港の租借を認めさせようとしたが、自国資本が投下され、戦略上の要衝であるここを渡すつもりは全く無かった。
極東総督アレクセーエフは頑なな日本の態度を自国を侮っている為に抵抗していると考え、直接的な軍事力の誇示によって現状を打破しようと考えた。
この時ロマルーシ帝国極東軍は20個師団約30万人の陸上戦力、新鋭のド級戦艦2隻、前ド級戦艦4隻、装甲巡洋艦6隻、仮装巡洋艦5隻、水雷艇多数の海軍戦力、飛竜350の大戦力が存在しており、多少の抵抗があっても速やかにシノセント北部を占領可能と考えられた。
皇紀2705年11月、このような緊迫した情勢の中、ロマルーシ帝国極東総督アレクセーエフは自国に対してシノセント帝国が攻撃を行ったとして独断で軍を進めた。
日本はこれに対し速やかな停戦と調査を勧告すると共に在留邦人を脱出させる為に軍を出動させた、しかしよりにもよってロマルーシ帝国仮装巡洋艦が日本海軍護衛艦高波に対して発砲、衝突が発生してしまったのである。これによって日本側は一万トン級商船が大破、高波が小破し死傷者120名余りを出してしまったのである。
日本政府はロマルーシ帝国中央政府に対して停戦と謝罪、賠償を求めるものの、極東総督府からの情報では日本側が先制攻撃を行ったとされており、混乱が生じていた。
こうした中で日本はロマルーシ帝国に停戦の意思無しと判断。皇紀2705年12月8日、ロマルーシ帝国に対する最後通牒を突きつけた。
一、ロマルーシ帝国は速やかに撤兵を行い、現状の回復に努める。
二、ロマルーシ帝国は日本商船及び高波への砲撃に対して公的な謝罪と賠償金として1500億円を支払うこと。
回答期限は一月とする。
この最後通牒を受け取ったロマルーシ帝国皇帝、アレクサンドル・イワン四世は大変驚き、極東総督府に対する速やかな調査を命じた。
しかし、極東総督アレクセーエフは自らの失態を隠蔽する為にこの命令を握りつぶし、あくまでも先制攻撃を行ったのは日本とする報告を行った。
こうした中で遂に最終回答期限である皇紀2706年1月8日を過ぎてしまう。これによって日本はロマルーシ帝国に対し宣戦を布告。
日本は転移後二回目の戦争に突入したのである。




