五 刻は狂い始めた
「席に座って楽にしてくれていい。」
山本がそう言うと、軍員は静かに腰を下ろす。
「任務の内容の話をする前に少し現在の軍の状況を整理しておきたいと思う。帰国してからすぐの話で困惑しているだろう。」
高木の話を聞き高揚した者、また困惑した者、山本は軍員の複雑な心理状態を把握していた。
「政府解散により、総理大臣と防衛大臣が不在になっている。よって陸空海の指揮、運用の全権を統合幕僚監部が担っている。このことは皆も承知しているであろう。そして今回のクーデターを高木統合幕僚長が立案、会議の末議決された。これはちょうど一週間前に決まったことらしい。ゆえにどのようであれ、我々軍人は上からの任務に従い、この任務を必ず遂行せねばいけないのだ。」
今回のクーデターは軍紀に違反しているものではなく、軍もいたって正常に機能している。
「では今回の任務の話に移りたいと思う。今回ここ箱根駐屯地第十二師団から200人ほどの中隊を結成し、私が指揮官として率いる。任務内容はある政治的重要人物の身柄の確保、保護にあたる」
ある人物とは?山本はあえて抽象表現で間を置く。それも次の具体を強調するためのレトリックなのだろう。
「そのある人物とは……日本国国家元首、及びその親族。首都東京の皇居を強襲し、天皇及び皇族全員の身柄を確保、保護するのが今回、我々の任務。そしてこの度のクーデターの最重要任務である。明朝任務を開始する。本日は後ほど隊と作戦内容の説明をする。」
時計の針が今、その歩幅を大きく拡げた。正常なる刻の流れは基点を失い、ゆっくりと……ゆっくりと……狂い始めていった。