笛吹の国
どんなに残忍な夜を過ごそうとも、必ず太陽は登ってくる。夜の間に蓄積された露が温められ、当たりは薄く靄がかかっていた。
「……」
誰一人言葉を発そうとはしない。……それも仕方の無いことであった。
闇の民が子供たちと共に姿を晦ました後、離れてはいたが大方の事情を把握したのであろうドレッドとミレンチェが、一目散に駆け寄ってきた。
呆然と丘を見つめるライ達に、彼らはこの場を動くよう促す。
彼らの荷馬車にのせられ、救援の為にニノンの村に戻ったのだが、その有様は手の施しようがないものだった。
あれから数刻の時が経っても、未だにやき焦げた匂いが取れない。そんな腕に顔を埋めるようにしてライは膝を抱えた。
――結局、また僕は何も出来なかった。
自分にできる限りの事はしたつもりだ。だが、全ては結果。子供達は連れ去られ、村は壊滅……これではなんの意味も無い。
「……しっかりしな」
そんな落ち込みのライを励ますように、テナエラ妃殿下がそっと肩に手を乗せてくる。
彼女が言いたいことはわかった。今この場で一番辛い思いをしているのは紛れもないヒメリア。その彼女が必死に耐えているのだから、ライが落ち込んではいけない。
「……はい」
ライの隣で膝を抱え一点を見つめるヒメリアを横目に、ライは返事をした。
コトコトと荷馬車を走らせること二日。やがて、目の前に大きな川が現れ始める。
「あの川の向こう側が、マルサレニア。……本当に行くのかい?」
対岸が見えない程の大きな川。その先を見つめながらドレッドは言った。
銀を金に、の件で約束した事は“マルサレニアの国境まで二人を送り届ける事”。いくら気のいいドレッドも、報酬以上のことはしない。
荷台から降ろされたライは、ゆっくりと川岸まで歩いた。
天高く登る陽の光を反射して、水面が眩いばかりに輝いている。
ライは膝を折りしゃがみ、右手で綺麗な川の水をすくう。
サラサラと解けるような手触りに、はぁ、と小さくため息を吐いた。
「……この世界には、これ程綺麗な川が流れているのに……どうして僕達は平和に暮らせないんだろう」
この綺麗な川は、長年いがみ合うマルサレニアとレーデル王国との国境になっており、上流は乱闘の続くオーベルガン渓谷へと繋がっている。
だが、この川の水を掬い、喉の乾きを潤しているのは、両国とも同じだろう。
ライは疲れきった両手を強く握り、ドレッドとミレンチェを交互に見ながら言った。
「冷酷な闇の民を倒すためには、きっと光の民がひとつに団結する必要がある。僕はそのきっかけになりたい」
――僕が勇者としてやるべき事……それは“光の民の統一”それに限るのかもしれない。
「……ライ君なら、本当にやってしまいそうだね」
ニッコリと笑うドレッド。
「流石に俺達はこの川を超えるこたァ出来ねぇが、お前らの噂はこの川を超えてくるだろうよ。……楽しみに待ってる」
フン、と鼻を鳴らしながら言ったミレンチェも、彼にしては随分と優しい言葉だった。
本当は不安でしかない。願うことならば、一緒にマルサレニアへ渡ってほしい。
それでもライはできる限りの笑顔でこう言った。
「行ってきます」
「……うん。行ってらっしゃい。テリーさん、ライ君、十二分に気をつけるんだよ」
「坊主……がんばれなぁ」
ドレッドとミレンチェは、少し不安げな顔をしつつ、彼ららしく握手を差し出してくる。ライはその手をしっかりと握った。
「……あのっ」
そんな中、感情を顕にしたのは、四人のやり取りを外から見ていたヒメリアだ。
「ライ様!」
「……ヒメリアさんも、その……気をつけてね」
駆け寄ってきたヒメリアとも握手を交わそうと手を伸ばすと、逆に強く握られた。
「ライ様……勇者様……全てを無くした私は、どうすればいいのでしょうか?」
縋るように握られた手。その悲痛さにライは言葉を詰まらせる。
村を焼かれた少女。
唯一自分だけが助かってしまった少女。
どうしても、自分と重なってしまう。
「……」
返す言葉が見つからない。
「――生き残りの姫」
「……?」
その続きの言葉を紡いだのは、やはりテナエラ妃殿下だった。ヒメリアは潤ませた瞳を彼女へと向ける。
「貴女はニノンの血を引く生き残りの姫。ニノンの伝統を引き継ぐ、唯一の存在。貴女はきっとニノンの神器の全てを引き継いでいるのでしょう?」
「……」
「土地は遺された。製法も遺された。……そして、使い手も遺された」
諭すようなその物言いに、その場は静まり返っている。
「この遺産を生かすも殺すも、全ては貴女の手にかかっている」
「……でも――」
「その神器の力は光の民を護る大きな力だ」
――ここまで言って、分からない程幼くはないだろう?
と、テナエラはヒメリアの頭を優しく撫でた。
「珍しいと思った?」
「……え?」
二台の馬車の後ろ姿を見送りながら、テナエラ妃殿下が面白そうにライに問いかける。
「私にしては随分と甘い言い方をしたかなって」
「いや、ヒメリアさん子供ですし……今までが厳しすぎたんじゃないかなって……いえ、なんでもないです」
ハハ、と乾いた笑いをこぼすテナエラ妃殿下に、ライは慌てて口を噤んだ。
「人間、どうしようもない状況に追い込まれた時に必要なのはなんだと思う?」
荷馬車がようやく見えなくなる。
テナエラ妃殿下の問いに、ライはうーんと頭を捻った。
「……愛、とか?」
「違うわ。憎しみと使命よ」
――憎しみと使命。
「あのまだ小さな少女が生き延びる為には、村を焼き子供を連れ去った闇の民に対する凄まじい憎しみと、それを倒すためには神器を作らなきゃ行けないという使命が必要なの。――まあ、自論だけどね」
乾いた風が、砂埃を巻き上げる。
温暖な気候のガザラには吹かない、異国の土地の風。
「じゃ、行こっか」
「は、はいって、……どうやってこの川を渡るの?」
「私を誰だと思って?」
にっこりと微笑んだテナエラ妃殿下が、囁くように何か詞を紡ぐと、突如目の前に渡し船が現れた。
「――!?」
「お迎えにあがりました。テナエラ妃殿下、勇者ライ殿」
いつからそこに居たのか。漁船よりはやや立派な船にライは目を丸くする。
ライが驚き固まっている間にも、着々と準備が進められ、こちら側に桟橋がかけられていた。
「ほら、置いて行くよ!」
「あ、は、はい!」
急かすように差し出された手を握り、ライはレーデル王国領から足を離した。