笛吹き男
“色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に、百三十人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、 丘の近くの処刑の場所でいなくなった”――ハーメルンの笛吹き男
「復活を遂げた闇の民は、この童話の筋書きに沿ってい行動しているとしか思えない。闇の民はいつ襲ってくるか分からないのだ。奴らの力は襲われたら太刀打ちはできない程の力……私達は一刻も早く逃げるしかない!」
この緊急事態に、テナエラ妃殿下は村の重要職の人々を教会の聖堂に集めた。
「その話は信憑性が欠けていると何度も言ったはずじゃ。何だ、笛吹き男の話など……子供騙しにもならん」
だが、一堂に会した者はあからさまに不審がっていた。なかには、夜中に呼び出してふざけるな、と怒り出す者さえいる。
「証拠を出せと言われたら確かに出せない。けど、何かが起きてからでは遅いのだ! このまま童話通りにすすめば、洗脳された子供達は闇の民に連れ去られてしまう!」
彼女の必死の説得にも耳を貸さず、彼らは反論し続けた。
「――ったく、どいつもこいつもやってらんねぇよぉ。そんなに危ない奴が来るかもっつうなら、俺なら即お暇するけどなぁ」
「ミレンチェ、彼らは初めから故郷の無い俺達とは違うんだ」
このやり取りにミレンチェは悪態をつく。
だが彼らの言い分だって、決して間違っているわけではない。ライとて突然にガザラから逃げろと言われれば同じように思うだろう。
ドレッドが指摘する通り、これは今まで生きてきた環境による考えの違いだ。
永遠と続く水掛け論。必死に伝えようと奮闘するテナエラ妃殿下の脇で、ライはどうすればいいのかを考えていた。
――道化師を闇の民だと信じてもらうためには、まず僕達の事を信じてもらわなくちゃならない。
その為にはどうするべきなのか。
ライは腰元に下げてある例のモノに触れる。
先刻テナエラ妃殿下に、危険すぎるから見せびらかすのはダメ、と言われた伝説の剣だ。
確かに、これを見せびらかす事によって、ライがマラデニー王国から来た人だと言う事は推測されてしまう。しかし元々これは光の民を救う為の物。もしこれでこの村の人々を守れるのなら――正しい使い方じゃないか。
ライはそこまで考え、意を決して声を張り上げた。
「皆さん聞いてください! 僕は、第二の勇者です!」
突然に口を開いたライに、この場に集まる全員が驚き注目した。テナエラ妃殿下も例外ではなく、目をまん丸にしてこちらを見ている。
「闇の民が復活したという話は皆さんもご存知のはず。僕は、彼らから光の民を救うために旅をしています。その途中で白いフードに金色の髪をした闇の民を、僕はこの目で見ました。更に、道化師がこの村に訪れたという日の前日、我々の乗っていた船は、ここからすぐ東の海で彼らに沈められました。……船を沈めたその足で、このニノンに来たという可能性は非常に高いと思います」
思った以上にスラスラと出た言葉に、ライ自身驚いた。その効果もあってか、今までガヤガヤと騒がしかったこの部屋がシンと静まり返る。
「!?」
「……勇者? あの、例の光の伝説の勇者の事か?」
「信じられない。本当に!?」
ライの告白を受けた村人達は、驚きの声を上げた。
だが勿論その中には疑いの声も混ざる。
「それすらも嘘かもしれないじゃないか。これこそ証拠を見せていただかねば」
テナエラ妃殿下が不安げな表情でこちらを見つめてきている。だがこの位の反論ならば、ライにも予測できていた。ライは気持ちを落ちつかせようと一息つくと、ゆっくりと立ち上がった。
「この中で一番の力持ちはどなたですか?」
「力持ち……?」
的はずれな質問に、集まった一同が頭にはてなマークを浮かべる。
「力持ちなら、エンバード、お前か?」
「……俺か」
しばらくザワザワとした後、村人の推薦を受け立ち上がったのは、見るからに力のありそうな屈強な男。至る所に筋肉が付いた彼は、高圧的な目でライを睨んでいる。
大丈夫? と小声で聞いてきたテナエラ妃殿下に、ライは無言で頷くと、ゆっくりと彼の所へと歩み寄っていく。
彼の目の前に立つと、まだ小柄なライはエンバードと呼ばれた彼を、随分と見上げる形になった。
「ガハハ、チビな小僧だ」
「力勝負か? 笑えるな」
二人の体格差を目にした反抗派の村人は、ライを嘲笑う。さすがにその刺々しい言葉達には、ライも嫌な気持ちになった。タダでさえ緊張で震える体が、更に強ばってしまう。
――大丈夫、大丈夫。
ここまで来て挫けるわけにはいかない。テナエラ妃殿下なら、ここで堂々とわらっているだろう。
ライは自分にそう言い聞かせ、グッと足を踏ん張りエンバードを見上げた。
プリアテンナでギニアールと戦ったテナエラ妃殿下の様な力は無い。ただそのかわりに、世界で一つだけライに与えられた“特権”があった。
ライは腰のベルトから剣をそのまま外し、エンバードに向けて差し出した。
「……?」
意味の分からないエンバード。そんな彼にライは優しく言った。
「――抜いてみてください」
テナエラ妃殿下の様に、優しく、そして妖艶な笑みを意識する。
その表情に挑発されたエンバードは、瞬時に柄に手をかけ剣を――抜こうとした。
「……!?」
しかし、剣は抜ける事は無い。
それもそのはず。これはただの剣では無いのだから。
エンバードはムキになって、頭に血を登らせながらも懸命に剣をぬこうとしていた。その様子をみた村人はライに対し文句をつける。
「貴様、馬鹿にしてるのか!?」
「最初から抜けない剣で弄ぶな!」
次々に投げかけられる文句に、ライは一切返事をしなかった。ただひたすらにエンバードが諦めるのを待つ。
その態度に更に頭に来たのか、エンバードは勢いよく剣を振り上げると、ライの足元に思い切り投げつけた。
ガン、と凄まじい音を立てて剣は地面に打ち付けられる。
「そりゃ偽物だ! そもそも抜ける造りになってねぇ!」
怒りをはき出すように、叫んだエンバード。彼に賛同する様に、集まった人々は更にヒートアップする。大事な剣を投げつけられさすがに慌てて剣を拾ったライは、ごめんね、と思いつつ剣を撫で、盛り上がる彼らに水を差す様に、ポソリと呟いた。
「抜けますよ、この剣」
小さな声だったが、何故かヒヤリとする様に響いた。
皆が静まり注目する中、ライは剣の柄に手をかけ、そしてゆっくりと力を加えていった。
シャリリリ、と金属音を立てながら、剣身が鞘を走る。
「……っ!」
そして、ギラリ、と光るそれが顕になった。
全てを抜ききったライは、この場に集まる全員に見せびらかす様に、剣を高く掲げる。
「……」
「……」
唖然とする村人達。目を見張るその輝きに、言葉を失っているようだ。
「……選ばれし者にしか抜く事の出来ない剣。そちらは正に伝説の剣でございますね」
そんな中唯一言葉を発したのは、この教会を管理する司祭様だった。
「私も目にするのは初めてでございます。しかしその深い紫の鞘に金の刺繍、更には逞しく磨きあげられた剣身……。あまりの魔力に目が痛いほどでございます」
司祭様のこの後押しは強力だった。静まり返った部屋が徐々に歓声に湧き始める。
「ゆ、勇者様万歳……」
「勇者様万歳!」
「勇者様万歳!」
村人は掌を返した様に、その場に膝を付き、ライを崇めた。
どうやら村人はライ達の事を信用してくれた模様は。一安心したライはテナエラ妃殿下の脇に戻った。
「随分と上手くやるようになったのね」
「貴女を真似ているだけです」
くすり、と彼女が笑ったのも束の間。ここからは私の出番と言うように再び声を張り上げた。
「これで我々への疑いは晴れたか。ならば本題も信じてもらおうじゃないか。闇の民からこの村の人々を守る為には、一刻も早く逃げるしかない。その行動は早いに越したことはないのだ」
彼女の通る声が、再び彼らを正気に戻した。そもそもの話に戻され、皆困惑した表情をする。
代表で口を開いたのは、ヒメリアの祖父である長だ。
「……闇の民。彼らが復活した噂も本当だったのですか」
闇の民復活からまだ日も浅い。噂として流れているその情報すら、彼らにとっては曖昧なものでしかなかったのだ。
「我々が嘘をついてなんの得になる。なによりこの剣が目覚めている事が証拠だ」
「――だが、我々にとってこの土地は聖なる土地。長く守り続けたこの土地をそう簡単に捨てるわけにはいかない」
「なぜ!? 命が大切じゃないの!?」
すかさずに反論するテナエラ妃殿下。その言葉に被せるように長は大声で言った。
「無論! ……強制はしない。出ていきたい者は出ていくが良い。この村を捨てられない者だけが残りなさい」
後半は消え入りそうな程に弱々しいものだった。
「……申し訳ございません」
集まった人々の所々から、押し殺したような声が上がり、静かにその場を後にする人が続いた。
徐々に人が少なくなっていく聖堂。長はそれを目をつぶって耐えていた。
とうとう残ったのは初めの四分の一ほどの人数。エンバードのような屈強な男や、この先の短い老いぼれだけだ。
ライはその光景を見て、目頭が熱くなる。でも、目の前の人が泣いていないのだから、自分が泣いてはいけない、と必死に目を見開いていた。
「……人の上に立つ者として、尊敬する」
隣に座るテナエラ妃殿下が、ゆっくりと呟いた。
「逃げるんだよ! 早く準備をしぃ!」
村は大混乱に陥る。聖堂から去った人々は家に帰るなり、家族に事情を話したのだろう。今夜中に逃げようと考えた人々は慌ただしく荷物をまとめ始めていた。
「嫌だ! 僕はここでナルが来るのを待つんだ。そしたら僕も偉大な魔導師になれるんだ!」
「馬鹿を言ってんじゃないよ! 勇者様が奴は闇の民だと言ったんだ。間違いな筈が無い。早く逃げないと」
「母ちゃん達だけ逃げればいいじゃないか!」
だが、各家庭の家先では問題が起きていた。洗脳を受けた子供達が避難に賛同しなかったのである。
「あんたを置いて行けるわけないだろう? 早くおしぃ!」
「嫌だ! ……ほら、母ちゃん聞こえるだろ!? ナルのオカリナの音!」
「……え?」
軒先の子供が丘の上の方角を指さす。
「ほんとだ! ナルが迎えに来てくれたぁ!」
同じやりとりをしていた隣の家の子供も、同じ方角を指した。
「……嘘」
月を隠す厚い雲。強い風が吹き込み、いくつかの蝋燭の灯りを消した。村付近の丘の上からは、心洗われるような繊細な旋律が――聞こえてきていた。