一夜
「……ライ様。今何と?」
そよそよと風が吹き込む部屋で、ライとヒメリアの話を聞いていた長は、険しい顔を二人に向ける。
「――ですから、先日ここに現れたナルという人物の正体は、光の伝説に書かれた闇の民です。奴は宣言通りもう一度この村に“お礼”を取りに来ます……。その時この村は破壊されるかもしれない。その前に、逃げるべきです」
テナエラ妃殿下はどうやら手は貸してくれないらしい。ヒメリアにあの言葉を吐いた後どこかへ姿を晦ましてしまった。
――この村を救うのは僕しかいない。
そんな思いで、ヒメリアと共に長の所へ来たのだが、そう簡単には話が進む物ではなかった。
「我々にこの土地を捨てろ、と。そう仰っているのですか?」
綺麗な言葉遣いの長であったが、その裏には苛立ちが透けて見えている。それも当たり前の事であった。
「なんの根拠も無いその話をどう信じろと言うのですかね」
昨日突然訪れた子供に、逃げろなど言われた所で素直に納得するはずも無かった。ましてやこの村はオカリナの名産地。そのオカリナを作れるのも、この土地があってこその物なのだ。
「金色の髪に影を操る魔術……まさに闇の民の象徴です。僕の町は、彼らに焼かれました。そして、僕の友人の父は、彼らに殺されました。とある軍隊の戦士も……彼らの魔術によって跡形もなく蒸発させられました。まだこの村は、それを回避できます」
土地と命、どちらが大事なのでしょうか、とライは訴えた。
窓から吹き込むかわいた風が、暑さに吹き出た汗を冷やす。
「……」
ライとヒメリアが見つめる中、長は口を噤み、考えていた。
「……金色の髪が闇の民だと言うのなら、貴方のその髪はなんと説明するのだ? ――もしや其方、昨日のオカリナに目が眩み、この土地を強奪しようとしてるのではあるまいな!」
「はっ!?」
「お爺様っ、そんな理由ないでしょう?」
「ヒメリアは黙っていろ! お前はコイツに洗脳されているんだ、話にならん!」
見当違いな事を口にした長。なぜそんな思考に至ったのか、とライはただただ驚くしかない。
「ぼ、僕はそんなつもりで言っているのではありません! ただ素直に、皆さんを救いたくてこうして言っているのに――」
だが、何を言っても無駄だった。一度ヒートアップした長はとどまることを知らず、今にもライに殴りかかりそうな勢いである。
どうしたら信じて貰えるのか、と考えていると、左手が腰の当たりに当たり、カチャリ、と音がした。
――もしかしたら、これで!
そう。伝説の剣である。
もしこれを示して、自身が勇者である事を明かせば、闇の民の事も信じてくれるのではないだろうか。
ライが剣に手をかけた瞬間。
「ライ=サーメル様。これ以上は無理があるでしょう。この村は諦めて先を急ぎましょう」
バン、と扉が開かれ、凛とした声が部屋に響いた。
「あんた馬鹿じゃないの。そんな直接言ったって無理に決まってるでしょ。それに、その剣を見せびらかすのは駄目。力のないあんたには危険すぎる」
「……」
逃げる様にして長の所から離れてきたライとヒメリアは、昨日の井戸の場所でテナエラ妃殿下の説教を受けていた。
「プリアテンナで成功したのは下準備があったから。自分の力を過信しないようにって昨日も言ったでしように。まあ、私も私で何人かの村人にあたってはみたけど、んー……何とも難しそうね」
策士家であるテナエラ妃殿下でさえ、彼らを避難させる事は難しいと言った。
「……」
そのやり取りを黙って聞いていたヒメリア。口をきつく閉じ俯き、何か言いたいのをぐっと我慢していた。
「……ヒメリアさん、大丈夫なんとかな――」
「難しそうだからこのまま私達がこの村を出ていくって話にはならないから。約束は約束。明日の朝までは足掻くつもりよ」
ライの言葉に被せるように言ったテナエラ妃殿下。
――やっぱり彼女は凄い。
ライにはさせてあげられなかった様な笑顔を、彼女はヒメリアに与えた。
「――で、それで長がお前ら二人を怪しがって、みんな同じ部屋にいさせられてる訳か」
西の大地に太陽が沈み、闇に包まれ始めた世界の中で、ミレンチェが呆れたように言った。
それをドレッドが、まあまあ、と宥める。
旅人として訪れたライ達一行が一夜を明かすには、どこかしらの宿を借りなければならない。だが小さな村ニノンにある宿には限りがある。大方が先客でいっぱいであった。
「まあ、追い出されなかっただけ良かったよ……。意外と俺への信頼があったみたいで……」
ヒメリアの計らいで、昨日と同じ長の家の部屋を借りれたのだが、ドレッドと同室なら、という条件付きだった。
それに巻きこまれたミレンチェの機嫌が悪いのは言うまでもない。
「ったくよ、どうせアレだろ? また何か企んでるんだろ。次はなん――」
「私は貴方に旅の同行を求めたつもりは無いわ。そんなに言うのなら自分の道に戻ればいいじゃない」
ネチネチと続くミレンチェの嫌味を裁ち切るように大声で言った。彼ら二人の前でこう感情を顕にしているのを見るのは初めてな気もする。
あの後も村人にろくに取り合ってもらえなかった事を、情けなく思っているのだろう。
「……企んでなんかない。むしろ、私は何も出来なかった」
ガックリと肩を落としていう姿は、プリアテンナで自信満々に立っていた彼女とまるで別人だ。
「……女って難儀なもんだねぇ、ああめんどくせぇ」
「!?」
溜息と共にはき出された言葉に、テナエラ妃殿下はビクっと反応した。
「……気づいてたの?」
「行商してりゃあ、あんたみたいな女になんて沢山出くわすさ。男の方が生きやすいなら勝手にすればいい」
彼は早々に気づいていたのだろう。“興味がある”と言ったのもそんな理由があったのかもしれない。
ドレッドもにこにこしているので、彼にもバレていたようだった。
「……とりあえず有難うと言っておくわ」
テナエラ妃殿下がそう言うと、部屋は静寂に包まれた。
すきま風によって蝋燭の灯がゆらぐ。聞こえるのは、四人の息遣いと、ドレッドが本をめくる音だけだった。
「……みんな、ごめんね。凄く見当違いな事だったらごめん」
そう言って、ドレッドは本から視線を上げる。
「この話、知ってる?」
彼は今しがた自分が読んでいた本を、みんなにみえるようにして立てた。三人はその内容をよく見ようと、ドレッドの方に身体を持っていく。
見せられたページには大きな挿絵と、題名らしき文字。そして、その内容であろう小さな文字が数行書かれていた。
「……まさか」
「なるほどねぇ。それの現代版って事か」
初めに反応したのはもちろんテナエラ妃殿下。続いてミレンチェも納得する。
「……は、るん……?」
文字があまり読めないライだけが置いて行かれている。
挿絵には、隊列を組む子供たちと、その先頭に立つ派手な洋服の男。そしてその手には――。
「ナル……確か古語では道化師を指す。ああ、そういう事ね、そういう事なのね。鼠退治に道化師……全てが繋がったわ、ライ! 今すぐにでもあの子達の洗脳を解かなくちゃ」
「え、まって! 全く意味が分からないですよ!」
慌てて立ち上がったテナエラ妃殿下に、ライは説明を要求した。
「気づかないの!? これは、あの話に似てるのよ! 一夜にして子供たちが行方不明になったという話――“ハーメルンの笛吹き”に」