ヒメリア
いきなりの大声で疲れてしまったのか、叫ぶだけ叫んだヒメリアは、大きく肩を上下させ黙り込んでしまった。
そして見る見るうちに瞳に涙を溜め、ぼろぼろと零しだす。
「ヒメリア……さん、あの――」
「ヒメリア、何をしている。早く片付けなさい」
ライが少し腰を上げ、彼女に近寄ろうとすると、それに被せるように長が厳しく注意した。
「……はい」
それを合図に、ヒメリアは足元に散らばっている水差しの破片を素手で集め始める。
「……何度もお見苦しい所を申し訳ない。あの娘、ナル様が来てからというもの、どうも様子がおかしくなってしまって。……何が気に食わないのか、困ったもので」
会がお開きになり、ライ達一行はそれぞれの部屋に通された。だが皆考える事は同じ。案内役がいなくなるや否や、合図もなしに一室に集まっていた。
「どう思った? さっきの」
まず初めに口を開いたのはテナエラ妃殿下。
「なぁんか気味の悪い話だなぁ。このご時世、そんな力のある魔導師が一人で歩いてるなんざ聞いたことねぇ」
「……それに、どうしてあの娘があんなにも怒っているのかがね、分からないな」
ミレンチェとドレッドもそれに相槌を打つように答えた。
なんの見返りもなしに街を救った救世主ナル。それを毛嫌いする様に批判する長の娘。日頃は大人しく礼儀正しい彼女なのだろうが、あそこまで取り乱させる原因はなんなのだろうか。
「……ヒメリアさんだけが、何かを知っているんじゃ……」
ボソリ、と呟いたライにみんなの視線が集まる。そんなつもりはなかったライは、慌てて訂正を入れようとした。
「いや、あの、別に根拠とかは無――」
「私もそう思う」
「えっ」
全く根拠の無い発言です、と言おうとすると、それに被せるようにテナエラ妃殿下が合わせてきた。
「あそこに居た大人達はみな、心よりナルと言う人物に感謝していた。なにか特別に隠し事を共有しているようには見えなかった。一方でヒメリアの発言も嘘を付いている可能性は低い。すると、ナルという人物について、大人達は知らない“彼女だけが知っている情報”が有ると見て間違いない」
彼女――ヒメリアは言った。“今にきっとこの村は大変な事になる”と。十にもならない少女にそこまで言わせる原因は一体なんなのだろうか。
ライは眉間にシワを寄せ、考え込んだ。
「まあ、私達の旅には関係の無い事だから、深くは関わるのはよしましょ。元々この村に立ち寄ったのは休息の為。明日の朝日と同時に出立、いいね?」
ライが考え込んだのを察してか、テナエラ妃殿下はわざと切り捨てるような言い方をした。
彼女の言い分にミレンチェとドレッドは「まあ、そうだな」と賛成し、自室に戻る準備を始める。
「テリーさ――」
「あんたも早く部屋に戻りな。今回の一件、確かに気になる所でしょうけど、関わった所で得はないわ。私達の本来の目的は一刻でも早くマルサレニアの国境を跨ぐ事よ」
「……はい」
テナエラ妃殿下のいう事は最もである。それに対し何の反論も思いつかなかったライは、かけて合った外套を手に部屋を跡にした。
最高級のおもてなし、と言われたわけだが、この村の規模を見れば最高級のレベルも分かる。
先程のオカリナといい、お食事といい、とても良い待遇をしてもらってはいたが、マラデニー王国のそれには到底追いつかない。
今晩泊めてもらう部屋も同じく、建物自体それほど大きくはなかつた。ざっと見で部屋数は十数個と言ったところだろう。
何が言いたいのかというと、その部屋数であれば、探している人も見つかりやすいという訳だ。
テナエラ妃殿下に半ば放り出されるように部屋から出されたライは、その足のまま自室の前を通り過ぎた。
――ちょうどライ様の様な美しい金髪の青年だったのです。
先程長が言った言葉。この辺りで金髪の血を持つ人種は少ない。ライ自身でさえガザラにいた頃に珍しい物扱いされた。
「……なんか、気になるんだよね」
このままテナエラ妃殿下の言う通りに明日の朝発つにしろ、この引っかかりを解明できるならばその方が良い。
そんな思いで、辿り着いた扉を大きくノックした。
「あ、あの……夜遅くにすみません。ライ=サーメルで――」
気合を入れて叫んだ途端、がチャリと内側から扉が開かれた。
「何、夜這い?」
「へっ!? え!?」
「って言えって、お母さんが言ってた。……どうぞ」
意味を知って言っているのか定かではないが、ヒメリアは真顔でそう言うと、扉を大きく開けてライを部屋へと招いた。
「……どうも」
中に入ると、先程集まっていたテナエラ妃殿下の部屋と差ほど変わりのない部屋が拡がっていた。蝋の明かりを灯すために、ヒメリアはマッチを擦る。
「貴方は私の話を聞いてくれるの?」
「……うん。力にはなれない、と思うけど……なんか気になって」
ライは促された通りにテーブルにつく。
「ナルって、まずどんな人なの?」
皆が英雄視しているナルという人物。金髪の――などと外見的な情報は語られているが、一体彼が何者なのかは聞こえてこない。
「ナル……どこから来たのか、何をしてる人なのかは分からないの。あの日突然現れて、私のお爺さん……長に鼠の忠告をした。そして、その日の晩私達に“扉を閉め外へ出るな”と言ってオカリナを手に外へ出ていったわ」
夜中だと言うのに、雨戸は開けられたまま。そこからは弱々しい月の光が差し込んできている。
目の前に座るヒメリアという少女は、呪文を唱えるかのように淡々と話すと、その後口を閉じてしまった。
キュッと固く結んだ唇は、何かを告げたいが、それが出来ずにいるように見える。
「……それ以上に、君は何かを知ってるんじゃないかな」
「……っ」
ライは自分よりも幼い少女に、優しく囁くように聞く。すると彼女は一瞬身震いをし、ポロポロと涙をこぼし始めた。
慌てたライはすぐさま席を立ち、彼女の隣に移動する。そしてできる限りの優しさを持って、ヒメリアの両肩を支えた。
「ごめんね。その……言いたくなければ、言わなくても大丈夫」
余程強い気持ちがそこにあるのか、ヒメリアは引きつけを起こしそうな息遣いで震えていた。それを落ち着かせようと、彼女の背中に手を回すと、ヒメリアはその腕の中でライに抱きついてきた。
「えっ、ヒ、ヒメリアさん!?」
突然の事にライが彼女を引き離そうとすると、その身体が小刻みに震えている事が分かった。
――これ程までに怖い思いをしたんだ……。
どうしようものかと一瞬迷ったライだが、相手は十にも満たない少女という事で、そのまま彼女をきつく抱きしめた。
「ナルが来たのは数日前の朝方。何か嫌な気配がしてそこの窓から外を見てみると、真っ白なローブを纏った金髪の青年が立っていたの」
抱きすくめられた腕の中で、ヒメリアはゆっくりと話し出す。
「……真っ白な、ローブ?」
「そう。夜明け前のまだ薄暗い中、沈む直前の満月に照らされてギラギラと光っていたわ。こんな夜更けになんだろう、と見ていると、彼は消えていたの。そして次の日、長の所に現れた」
ごめんなさい、と言って彼女の方から身体を離してゆく。ライは彼女の顔を確認してから、手を引いた。
「君がナルを嫌う理由はそれだけ?」
「違うわ! その他にもよ。次の日、お爺さんの所に現れた彼は何か臭かった。――まるで、生き物が焼けるような匂いと、油が焦げるような匂いが混じった様な……。オーベルガン戦争から帰ってきた戦士の様な匂いがしたわ」
そこまで話を聞いて、ライは、まさか、と思った。
満月の朝方、白いローブに金色の髪……。心当たりがあり過ぎる。
「それをお爺さんに私は伝えたわ。……でも信じて貰えなかった。そのうちにナルは鼠を退治したの。部屋を出ては行けないと言われていたのだけれど、どうしても気になって……。夜中に響くオカリナの音をたどって……」
ライはそのままの足でテナエラ妃殿下の部屋へと走った。
心臓が痛い程にドクドクと鳴っている。掌には尋常ではないほどの脂汗をかき、呼吸は浅く息苦しい。
ヒメリアがその後、力を振り絞るようにして放った言葉。
それはライが一番聞きたくない言葉だった。
――オカリナの音を辿って行ってみると、生きた影を操って鼠を退治するナルの姿があったわ。
生きた影……そんな魔術をつかうのは、闇の民しか居ない。