一つの線
目の前に広げられた物に、一同言葉を失った。
「これは、一体……?」
ヴェネア教の新教派であるレーデル王国。もちろん、このプリアテンナも新教派である。
そんな都市の一角で、まさか正統派の本山、マラデニー王国の軍服を目にするなど、正気の沙汰ではない。
「近い未来、ここら一帯を統治をするであろうRESISTANCEに我が国マラデニー王国から朗報だ」
“マラデニー王国”の名前を聞き、男達は目の前のものがマラデニー王国の軍服である事を確信に変えた。
キールはその恐ろしい物から視線をテナエラ妃殿下に移す。
目の前の椅子に堂々と腰掛ける青年。王国剣術をも身につけ魔術を操る奇才だが、その肩はあまりにも華奢で頼りなく、マントで隠しているようにも見える顔はあどけない。
――この青年がマラデニー王国からの使者……?
納得せざるを得ない情報と、疑問を抱く風貌に、キールは混乱した。
「そんなに私の顔を見つめてどうした?」
眉を寄せるキールに対し、テナエラ妃殿下は小馬鹿にするように言う。悪戯のように細められた目にキールはドキリとした。
スっと視線を逸らしたキールに対し、テナエラ妃殿下は身を乗り出すようにして告げる。
「独立後、マラデニー王国が後見国となろう」
この短い言葉の力は絶大だった。
「……こう、けんこく……?」
「ああ、そうだ。直接、独立に手を貸すことは出来ない。もし独立の時点でマラデニー王国が力が加えれば、レーデル王国に対し宣戦布告をしたも同然となってしまう。我々とて無闇な戦は避けたい。そこで、だ。RESISTANCEが見事独立を果たし、砦の頂きに太陽の旗を掲げるのであれば、我がマラデニー王国は貴殿の後見国となろう。そうすれば、どうなるか分かるだろう?」
分かるだろう? の問いかけで全員が思考を巡らす。
キール達RESISTANCEのメンバーが考えるのと同時に、ライも今までの情報を整理した。
レーデル王国ルベルト領の主要都市プリアテンナ。その中に潜む反乱分子RESISTANCE。
彼らの目的は、宗教分裂によって引き起こされた貧富の差の解消。そして、北部デルヘッサとの負け戦“オーベルガン大戦”の無意味さを訴え、正統派宗教と対立しない親正統派国家の建設だ。
だが、たとえ独立が成功しても安泰とは言えない。大陸南部は全土が新教派国家である為、周りからの圧力に耐えられるのかが疑念される。からに、オーベルガン大戦にレーデル王国が負けた後、デルヘッサが本当に攻撃してこない保証はない。
そこで、テナエラ妃殿下が持ちかけた話は「独立後、マラデニー王国が新国家の後見国となること」だ。
これをすることによって、無下にレーデル王国は手を出しては来ないだろう。オーベルガン大戦と農地戦争で二国と戦争してるさなか、わざわざマラデニー王国を敵に回すほど余裕はないはず。さらに、デルヘッサはマラデニー王国に“魔蓄石”を分け与えて貰っている状況。マラデニー王国の属国に対し喧嘩をうる可能性は無いに等しい。
つまり、“他国を牽制する”事によって新国家の安全は保たれる、という事だ。
「……考えたシナリオだな。もし、これが本当のマラデニー王国からの申し出ならば二度とないチャンスだ」
キールは未だ疑いが消えないようで、眉間を手で抑えている。
「……」
テナエラ妃殿下は先程からずっと沈黙を守る。
キールが言うこともまた確かだ。たとえ色々な情報を提供され用が、この南大陸にマラデニー王国の使者が紛れているという信憑性は限りなく薄い。
さらにテナエラ妃殿下の言葉はあまりにも流暢で、それが逆に胡散臭かった。
「……あの、キール……さん」
ライは意を決して声をかける。
「……?」
今まで完全に相手にされていなかったライがここで突然話し出したとあって、一気に視線が集中する。
隣のテナエラ妃殿下さえ、“余計な事はするな”と言わんばかりの鋭い視線を向けてきた。
「うっ……あの、信じてください。テリーさんは、嘘は言いません。今回の話、多くの人の命が関わる問題です。そんな大切な話で、テリーさんは嘘は言いません。だから、あの――」
テナエラ妃殿下を信じてほしい。その一心で口を開いたのだが、あまりにも無鉄砲過ぎた為着地地点がない。
隣に座るテナエラ妃殿下がこれでもかと言うほど睨んでくる。
「ごっ、ごめんなさ――」
やってしまった、と慌てて謝ろうとしたその時。
「あっはっはっはっ……!」
キールがお腹を抱えて笑い出した。
ライは目を丸くして彼を見つめる。テナエラ妃殿下もまた同じだった。
「いやぁ、参ったね、僕。その初々しいほどの必死さからはなんの邪気も感じないな。……よし、君の事を信じよう。だから、テリーさんも信じる事にしよう」
僕、と指を指され戸惑うライ。
失敗したと思ったが、それが案外いい方向に作用した様だった。
「それでは交渉成立だ。ここから少し話を詰めよう。RESISTANCEは今どの位まで準備が整っているんだ?」
「ある程度の人員は確保してある。ここに居るのは幹部メンバーだ。彼らの下にはそれぞれ三十人ほどの人が付いている形だ」
話が進むにつれ、主になるのはやはりキールとテナエラ妃殿下。ライは話にこそ加わらないが、目の前で飛び交う情報を必死に頭に詰め込んでいく。
この場に集まる男達は十三名。仮に彼らで幹部が全員だったとしても、RESISTANCEのメンバーは三百九十人居るということになる。
革命団体として、これから事を進めるのには十分な人数だろう。
「さらに、今回貴方がプリアテンナをかき乱してくれたお陰で、今後はさらに人数が増えるだろうね」
キールが言うには、麦の価格高騰や酒場での魔術の披露によって、人々の中の危機感が広がり、RESISTANCEに加担する人が増える事が期待できるらしい。
「ただ――」
「……ただ?」
そこまで下準備が整っている状況で、キールは眉を寄せた。
「ルベルト兵団が見張っている中で大々的に行動に移せないんだ。ルベルト兵団の方が圧倒的な軍事力を持っている。弾圧されればその後はない。……この街には高い壁があるだろう? 普段はその壁に守られて生活しているが、こういう時にはあの壁が檻のように感じる」
「……なるほどね、確に」
テナエラ妃殿下も当たりを見渡した上で納得した。
RESISTANCEの幹事と言われた男達は皆、知的な雰囲気のある男ばかり。
中にはギニアールの様な剛剣使いも居るようだが、それはかなりの少数派だろう。
「問題はその軍事力の差……」
これには流石のテナエラ妃殿下も頭を悩ませる。
革命をするに当たって、どこかで軍事的衝突は必ず起きる。たとえ領土内の民衆の大半が革命に参加したとしても、力で押さえつけられては何も出来ないのだ。
「未だ十分な武具さえ揃えきれていない。何かいい方法はないのか……」
プリアテンナの革命軍が足踏みをしている原因はここにあった。キールは溜息を付きながら、縋るような視線をテナエラ妃殿下に向ける。
それを受けたテナエラ妃殿下は、ニヤリと微笑み自慢げに言った。
「方法はね、“ある”“無い”じゃないの。“作る”の」
テナエラ妃殿下は幹事の男達に紙とペンを用意させ、何やらツラツラと計算式を連ねる。
昨日浜辺で計算を始めた時もそうだったが、彼女の集中力は並大抵のものでは無い。一度事を始めれば気が済むまで行う性分なのだろう。
紙がインクで真っ黒に染まる頃、テナエラ妃殿下は唐突に話始めた。
「今のうちに出来ることは限られている。下手に表立って行動をすればルベルト兵団に勘づかれる危険性があるからな。……ここで一つ提案だが、今RESISTANCEの資金はどのくらいある?」
自らが連ねた計算式から目をそらさずに、キールへと問う。
「有志の団体だからあまり蓄えは無いが、ルベルト金貨にしておよそ五十枚程だ」
五十枚……その枚数で一国家の兵団に立ち向かうには少ない金額だと、素人のライにも分かった。
テナエラ妃殿下も頭を悩ますかと思いきや、彼女は目をキラキラと輝かす。
「武具を揃えるのには十分だ」
「えっ!?」
ここに集まる一同が同時に同じ声を上げた。
「……何を持って十分だと言っている?」
怪訝な顔でキールが反論する。
「分からない?」
テナエラ妃殿下の徴発的な言葉に、キールと幹部達は顔を見合わせる。
RESISTANCEは彼らの組織だ。組織の状況を一番知っているのも彼らのはず。
数人の幹部がバタバタと資料を漁り出す。それでも分からなかったようで、助けの目をキールに向けていた。
その様子をみて、キールも諦めたようだ。はぁ、とため息を吐きながら口を開いた。
「……分かりませ――」
彼がそこまで言った途端。ライの頭の中で一つの線が繋がる。
RESISTANCEが分からずに、テナエラ妃殿下が気づく事。
考えられる事象は一つしかない。
そもそも、なぜ僕達はここに居るのか。
ここに来るきっかけは何だったのか。
――いや、これすらもテナエラ妃殿下の目論見の内なのか。
「……ぎ」
しんと静まる隠家。
またもや突然出された声に、一同がライを見つめた。
「……?」
だが、今度こそ無鉄砲な発言ではない。
しっかりと背筋を伸ばし、キールとテナエラ妃殿下の目を交互に見詰めながら言葉を発した。
「……麦、ですね? テリーさん」