高い壁
「――そう。この国の力はこの程度、って事ね」
ボソリ、と零された言葉は、小さいながらも酒場の空気を冷やすのには十分すぎるものだった。
「……?」
ギニアールが眉をピクリと動かす。
「……貴様、どこかの遣いかっ!?」
彼は再び剣に手をかける。そしていつでも抜けるような体勢に入った。
「随分と平和ボケした街なことだ。どこの生まれかも分からないような者に自ら剣を与えるとは……これで私が敵国の使者だとでもしたら、どうするおつもりか」
テナエラ妃殿下は、敢えてギニアールを挑発するような言葉を連ねる。
彼女の素性をすべて知っているライすら、息を呑むような雰囲気であった。
そうとなれば、当の本人が彼女のペースに呑まれるのも、当然の事である。ギニアールはまんまと罠にかかり、再び剣を抜いた。
「貴様ァ、よくも負けた分際でこの俺に立てつこうと思ったなァ! 今度は本気で切りに――」
「……止まれ」
勢いよく剣を振り上げたギニアール。
威勢のいい彼の言葉は最後まで続かなかった。
「………」
この場に集まる一同、何が起きたのかと目を見張った。
「ぐっ……ぐぐっ……」
ギニアールは剣を振り上げたまま、その格好のまま停止していたのだ。
彼の持つ剣は、まるで剣同士を噛ませ合い、押し攻めているかの時のようにカチカチと音を立て震えている。
「そうだな。貴殿はとてもいい剣の使い手だ。だがどうだろう……? 剣を振る事が出来なければ、圧倒的に私の方が強い」
「……」
ギニアールは相手が何を言いたいか、そして、相手がどれほど強いのかに今気付かされた。
彼は眼球だけを動かし、自身に近寄ってくるテナエラ妃殿下を捉える。
抽象的な顔立ちに、驚く程に白い肌。中央に据えられた瞳は紅く、品のある口元は終始微笑みを絶やさない……。
そして、今か今かと相手が罠にかかるのを待っているその姿。
――まるで、白蛇のようだ。
「なるほどなぁ、坊主。ほんとに彼女は何者なんだ……?」
「……」
テーブルの上のやり取りを楽しそうに眺めるミレンチェ。どうやら彼も気づいたようだった。
テナエラ妃殿下は、片方の手を招くように動かす。すると、彼女が先ほど地面に棄てた剣がフワリと浮き上がる。
ゆっくりと浮かんだその剣は、ギニアールの喉元にピタリと充てられた。
「……ま、魔導師……っ」
「魔導師だっ……」
テナエラ妃殿下の魔術を目の当たりにした人々は、血の気を失ったような顔をし、後ずさった。
その様子をテナエラ妃殿下は冷たい眼差しで眺める。
「……にげ、ろ」
未だ剣を振り上げた状態のままのギニアールが、苦し紛れに声を出す。
それに弾かれたように、人々は一斉に出入口へと向かう。
「あ、開かない! 開けろ!」
だが、そんな行動は既に読まれている。テナエラ妃殿下は即座に扉に掌を向け、開かないように魔術をかけていた。
完全にパニック状態に陥った酒場。
一体何がしたいのだろう、とライは疑いの目をテナエラ妃殿下に向ける。
「おい……坊主。もしかしてあの人がしたい事、わかってない?」
「……はい」
「クククっ……。そうだよなぁ……普通はここまで仕組むのなんて、そう簡単に出来るものじゃねぇからな」
ミレンチェの瞳に怪しい光が灯る。
「ミレンチェさん……一体何を知っ――」
「動くな!」
騒々しい部屋の中に、凛とした声が響き渡る。
ライはビクリと跳ね上がり、テナエラ妃殿下を見た。
「逃げ惑う必要は無い。何も私は貴殿たちを締めようなど考えてはいないからな」
人々を落ちつかせるように、ゆっくりと話すテナエラ妃殿下。彼女の言葉に人々はゴクリと唾を飲んだ。
「見ての通り、剣同士の打ち合いでは遥かに彼の方がすぐれている。だがどうだろう? “魔術”が介入した瞬間に、私の方が一瞬で有利になった。……魔術を使えるか否か、それだけで、これ程の力の差がでるのだ」
話す途中で、テナエラ妃殿下はギニアールにかけていた魔術を解く。その瞬間、ギニアールは崩れるようにその場に倒れ込んだ。
彼は苦しそうに胸を抑えながら、テナエラ妃殿下を睨む。
なるほど、テナエラ妃殿下がこの場で剣を取ったのは、魔術の力の大きさを皆に知らしめる為だったのか、とライは頷く。
ぜぇ、ぜぇ、と息を切らすギニアールは、やっとの事で声を出した。
「……何が、言いたい」
「簡単な事よ。例えるなら、貴殿はレーデル王国。私はデルヘッサ」
デルヘッサ……その言葉に酒場の空気はピンと張り詰める。
その様子をテナエラ妃殿下は冷ややかな目で見渡す。そして、右手の人差し指を立て、目を閉じた。
「オーベルガン大戦の戦況がデルヘッサに傾いているという噂は既にご存知の事だろう。だが、その理由を考えたことはあるか?」
コツ……コツ……と音を立ててテーブルの上を歩きながら、疑問を突きつけるテナエラ妃殿下。酒場には先程のお祭り騒ぎとは一転して、まるで演説を聞いているかのような雰囲気に変わる。
しん、と静まり返り、誰も言葉を発しない。
戦況が変わった理由を考えているのか、人々は目を泳がせた。
「ここはレーデル王国領東部。遥か西域での戦いの火の手が及ぶことなど無い、と浮かれているのではないか?」
甘く囁くような声。その声が、ここに集まるプリアテンナの住人の心中を貫く。
「そんな甘い考えは捨てるんだな」
目の覚めるような響きに、集まる一同が背筋を正す。テナエラ妃殿下は、今度は右手を固く握りしめ熱弁した。
「戦況が変わった理由……それこそ正に“魔術”の力! 二週間前、大量の魔蓄石がマラデニー王国からデルヘッサへと運ばれたんだ。何が言いたいか分かるか!? デルヘッサさは魔術を手に入れた。貧しい西域の諸侯共は一瞬にして負ける。……そうすれば、このプリアテンナが戦場になるのも時間の問題だって事だ。こうして遊び呆けている暇なんてないはずなんだ!」
熱のこもった演説をしたテナエラ妃殿下は、一旦自身を落ちつかせるように言葉を切った。大きく深呼吸をし、憐れむような表情を作る。
「これは助言であり忠告だ。高い壁は自国を守るためでもあるが、それと同時に支配者が情報をコントロールする為のものでもあるのだ。……せいぜい井の中の蛙にならない事を願う」
テナエラ妃殿下はひらりとテーブルから降り、その場を去ろうとする。すると、彼女を魔導師だと恐れた皆がすかさずに道を開けた。
無関心な顔つきでその様子をみたテナエラ妃殿下は、胸ポケットから硬貨を取り出し、近くにいた酒場の従業員に渡す。
「行くよ、ライ」
「は、はいっ」
この時間帯、これほどまで静かな酒場は他にあるだろうか。気まずい雰囲気の漂う酒場をそそくさと後にするテナエラ妃殿下。
名前を呼ばれて周りの視線が集まる中、ライはまるで取り巻きのように彼女の後をつけていった。
「ちょ、テリーさん! あんな事して大丈夫だったんですか?」
廊下に出たライは少し先を歩くテナエラ妃殿下へと駆け寄る。
「大丈夫よ。寧ろ成功に近いんじゃない?」
「成功って……。確かに、住人のみなさんに危機感を感じさせたのは成功かもしれないけど……でも、こんなに目立っちゃっていいんですか? 僕達は不法侵にっ」
不法侵入している身ですよ? と言おうとした所でテナエラ妃殿下に睨まれ口を噤む。
ついつい口走ってしまった言葉に、ライは辺りを見渡す。
「……あんたねぇ、いい加減にして。少しは頭を使いなさいよ。さっきのギニアールって男、どっかで見たと思わない?」
「え?」
「……昼過ぎ、あんたに合流をする直前。直接あんたに声を掛けてきた男がいたでしょう?」
昼過ぎに声を掛けてきた男、と言われ記憶を巡らせる。
中央広間に集合と言われ行ったはいいものの、人の多さに圧倒されていたライに、声を掛けてきた行商人の事だろうか。
「……確か、肩に届くような黒髪の男の人だった気が……」
だが、その男はスラリとした体格で、どこか知的な雰囲気を醸し出していた。如何にも豪剣使いと言ったギニアールとは正反対な男だったはず。
「はぁ、あんた、少しは視界を広げなさい。一つの事柄がその場で終わると思っていると損をするわ。全ての事柄は起こるべきして“人為的に“起こされている。つまりその後に何か繋がりがあるのよ」
あくまでも小声で、飽きれたようにテナエラ妃殿下は言う。
「あんたに声を掛けてきた男のすぐ脇に、素知らぬ顔で立っていた男が居ただろう? あれが恐らくギニアールだ。な? 間違っているか?」
「……?」
突然に問いかけたテナエラ妃殿下。あわてて彼女の顔を見たが、その視線は自分の後に向けられている。
「間違っていないね。流石だ」
不意に男の声がする。
バッと勢いよくふりむくと廊下の隅にひっそりとした人影が。
色白の肌を持つ線の細い男が、壁にもたれかかっていた。彼が首を傾げると耳にかけていた艶のあるストレートな黒髪がサラリとほどける。
「すべて見抜いているとは思っていたけど、見事な演技だったね」
「そっくりそのまま言葉を返そう。白々しい演技、流石だ」
「いつから気づいていたのかな?」
「……午前中、貴方にどこに宿を置いているのか聞かれた時から感づいていたよ。そして、貴方がライにも接触した時点で確信に変わった」
ピリピリとした空気の中、二人は会話を交わす。
ライは次々にパーツが組み合っていく会話の内容に驚きを隠せなかった。
この場でギニアールとの賭けが始まったのは偶然ではなく、この男の企んだ事であり、更にそれをすべて見抜いた上でテナエラ妃殿下はこの酒場にやってきたという事か。
「へぇ、感心せざるを得ないな」
「姑息な手を。ギニアールとのこの賭けが、最近のこの街の流行りだと言う情報をを私に話してきた商人も、貴方の配下の者だろう?」
テナエラ妃殿下の嫌味に男は鼻で笑った。廊下に掛けられた蝋燭の光りで照らされる彼からはどこか艶を感じる。
「まさか貴方が魔導師だったり、あそこであんな暴挙をするなんて事は予想外だったよ」
「私とてそちらに利用されるだけではつまらない。使えるものは使わせてもらうまでさ」
不敵な笑を零すテナエラ妃殿下。その顔をみて男はケラケラと高らかに笑った。
「そうだな。これで平和ボケした善良な市民は明日朝麦を爆買いするだろうね。そうすりゃ麦の価格は高騰。貴方が昼間言いふらしていた噂は本物になる」
その笑いに合わせてテナエラ妃殿下もクスクスと笑う。
「善良な市民ねぇ、その言い方には刺があるな」
「知ってて聞く貴方もタチが悪い」
ここまでマシンガンの如く交わされていた会話が途切れる。
二人はお互いに品定めをする様に、相手の姿をじっくり見ていた。
「ここ数年で裏勢力が発達して来たという噂は、高い壁を超えて流れていた。まさか、こんな手腕で人を集めていたとは思わなかったな。それで、私を仲間に引き入れようとした所以は何だ?
――RESISTANCE」
こんばんは。
今回は投稿が遅れて申し訳ございませんでした。この話は9月2日、午前9時投稿分の物です。
次週は第2週と言う事でお休みの週になります。
次回から、投稿時間を夜に変更したいと考えております。理由は土曜の朝投稿ですと間に合わない場合があったからです。
土曜日一日で執筆をし、投稿が遅れる事のないようにさせていただきます。
今まで休日の朝からお付き合い頂いた方、本当にありがとうございました。時刻変更後もどうぞ宜しくお願いします。
次回投稿は9月16日(土)の22時15分頃を予定しております。ぜひおこし下さい。