酒場の罠
「生意気な小僧め! ギニアールの剛剣を受けてみろォ!」
「そうだ、そうだ!」
堂々っぷりなテナエラ妃殿下の態度に、ギニアールサイドの外野が野次を入れる。
それに対し、テナエラ妃殿下サイドの外野も、グラスを次々に空けながら講義した。
「見てろォい、すぐにそんな口聞けなくしてやらァ!」
「何か言ってやれェ、兄ちゃん」
テーブルの上に立つ二人に次々に声援がかけられる。テナエラ妃殿下は誰だか知らない男からジョッキを渡されると、グッと一気に飲み干した。
そして左肩で零れた酒で濡れた口元を拭う。
「何も言うことは無い! ……ほら、サッサとかかって来なァ!」
今までになく声を張り上げるテナエラ妃殿下。その一声で酔いが回ったのか、数歩ヨタヨタとよろめく。
さすがにこれは止めた方がいいのではないか、と、ライがテーブルの上へと上がろうとした瞬間、テナエラ妃殿下が大きく咳払いをする。
そして、ライに掌を向けた。
――来るな。
きっとこれはそういう合図だろう。
一見ただの酔っぱらいにしか見えない彼女だが、これすらも演技なのかもしれない。
手を出すなと指示を受けたライは大人しくその場から見守る事にした。
先程のテナエラ妃殿下の怒鳴り声で更にヒートアップした会場は、既に手のつけようがなくなっている。
賭け事になると異様な盛り上がりを見せるのは、宗派見境なく、どこの国でも同じなのであった。
とち狂った観衆の怒鳴り声と伴奏のように聞こえるアコーディオン。それらは絶妙に混じり合い、酒の匂いが蔓延するこの空間を震わせていた。
そんな無法地帯な状況を、ギニアールは疎か、テナエラ妃殿下も楽しんでいるように見える。
彼女は一度、自身を落ち着かせるかのように目をつぶった。
スッと、自分の世界に入った様なその様子に、会場は吸い込まれるように静まり返る。
そして、次に彼女が目を見開いた時には、皆が驚かされた。
「……っ!」
――紅い炎の宿った攻撃的な瞳。
それは野性的であり、知性的であった。
つい先程まで酔っ払ってふらついていたなど、微塵も感じさせないような鋭く魅力的な光を灯している。
皆がその瞳に心を奪われている間に、キーン、と目が覚める様な甲高い音が鳴り響く。
「何だあれ……は、早いっ……」
フッと息をつく本の一瞬に、テナエラ妃殿下はギニアールへと剣を突き出していたのだ。まるでお手本のように綺麗な“型”にライは息を呑む。
「テリーと言ったか。その剣使いは王国騎士の物だね? さて、以前はどこぞの国に仕えていた者かな?」
だが、相手は自身を伝騎士と形容するギニアール。その素早く突き出された剣を自身の刀身で上手く受け流し、流石の余裕を見せていた。
ニタリ、と悪い笑みをこぼしたギニアールから、テナエラ妃殿下は軽く跳ねて距離をとった。
剣を交えるにあたって、一番気をつけなければ行けない瞬間、それは“相手との距離を開く時”だ。
自身の体を後退させる、即ち体の重心はやや後ろに傾くことになる。この間に相手から攻撃を受ければ、防戦一方になってしまうのだ。
もちろんギニアールはそれを見逃さない。たかが数秒のその瞬間に新たな一手を突きつけてきた。
今度はそれをテナエラ妃殿下が受ける。
体格のいいギニアールと、片や女身であるテナエラ妃殿下。まともに力でやり合った所で勝ち目はない。
テナエラ妃殿下は即座に剣を裏返し、体をひねり受け流した。そして、自身の剣をギニアールの首元付近へと向けなおすが、それも防がれてしまう。
一瞬の間に攻防が入れ替わるような接戦が、目の前で繰り広げられる。
「ねえ、ライくん。……ほんと、テリーさんって一体何をしていた人なの?」
白熱する二人の試合に見とれていたライに、背後から声がかけられた。ビクッと驚きつつ後ろを向くと、ドレッドとミレンチェが二人で立っている。
王国騎士を連想させる剣さばきに、無駄のない動き。これに加えて、とんでもない程の知識や器量を持っていることを二人は知っている。
そんな彼等を相手に“しがない旅人”などといった上手い言葉でかわす事は、流石に限界が来ていた。
「ええと……」
なんと答えれば差し障り無くこの場を凌げるのか、頭をひねらせるライ。
言い淀む事自体が、彼女の正体を隠している、という答えになってしまうと判らない訳では無い。
だが、彼女が今どういう考えで力を披露しているのか、ライすらも判らないこの状況で、下手に答えることなど出来なかったのだ。
「なるほど。ワケありって訳ねぇ~」
俯き固まってしまったライに、ミレンチェが面白い話を見つけたと言うような顔を向ける。
しくじったと渋い表情をしたライの肩を持つように、ドレッドが間に入った。
「……子供相手に何意地悪してるのさ」
「ぇえ? 問いかけたのは誰だったかな」
「聞けと言ったのは誰だ……?」
どこか掴み所の無い話し方や、含みを持たせる独特のいいまわしは商人特有のものなのかもしれない。
責任の擦り付け合いの様な大人の会話を背後に聞きながら、ライは思考を巡らせた。
なぜテナエラ妃殿下はこんなにも目立つ所で、王国剣術を披露しているのだろうか。
一言に王国剣術と言っても、どの国も同じ型をしている訳では無いと聞く。もしこの中で誰かがマラデニー王国の剣術を知っている人がいれば、テナエラ妃殿下がマラデニー王国の関係者だという事に足がついてしまう。
今の今まで自身の身を隠すように動いてきたというのに、ここに来て大々的に人前に立つ理由が分からなかった。
うおお、と一斉に歓声が上がり、ライはハッと弾かれたように前を向いた。
その先ではギニアールとテナエラ妃殿下が、まさに緊迫の走る試合を繰り広げている。
力比べのように剣を絡ませ押し合いをする二人。お互いの剣がカチカチと小刻みに震えている。
「ギニアール、そのまま押せ!」
「兄ちゃん負けんな!」
一歩も譲らないその戦況に、会場は大盛り上がり。押せや叩けやのヤジが彼方此方から飛んでくる。
そんな歓声の中、ギニアールが優勢に傾いてきた。テナエラ妃殿下は、体格の差からも予想がつく通り、単純に力負けしてしまっていた。
彼女も反撃を打とうとするが、下手に動くと一気に決着が付いてしまうようで中々動けずにいる。いよいよ反り腰にまでなってしまったテナエラ妃殿下は、フッと諦めたようにその場に剣を落とし両手を顔の高さまで引き上げた。
「まいった。私の負けだギニアール」
降参のポーズをとったテナエラ妃殿下の喉元にギニアールの剣先が向けられる。
これで“勝負あり”という事だ。
それを見た観衆は怒涛のような歓声をあげる。たかが宿屋の一角の酒場とは思えない程の盛り上がりだった。
「さすがはプリアテンナ一の伝騎士、ギニアールだ!」
「いや久々にいい試合を見せてもらった! やるなぁ、兄ちゃん」
勝ったギニアールには勿論、負けたテナエラ妃殿下に向けても激励の言葉が向けられている。
初対面の男から励ましの言葉を貰ったテナエラ妃殿下は、完璧な笑みを作り、その言葉に答えていた。
「負けちゃったね」
その様子を見ていたライに対し、ドレッドが声をかけてくる。その背後では、何かを楽しむような目でテナエラ妃殿下を見つめるミレンチェが居た。
「これで終わりじゃ、ないんだろ?」
ミレンチェが顎のヒゲを弄りながら、ライに言った。
彼のこの試すような口調が、ライにはどうしても性に合わなかった。一度ムスッとした表情を彼に向ける。
その行為が子供じみていたのか、ミレンチェはケラケラと笑い始めた。
「今にきっと、ここにいる皆が罠にハマるさ」
一度テナエラ妃殿下の魔法にかかっているミレンチェ。彼女が何の利益もなくこんな事をする人だと思っていないらしい。
その考えにはライも同感だった。
きっと、ライにはまだ見抜けない魔法が始まっているのだ。
未だテーブルの上に立つギニアールは、ゆっくりとテナエラ妃殿下の方へと歩いている。そして、ある一定の距離を保ったままその場に立った。
それに気づいたテナエラ妃殿下は、観衆と話すのをやめ、背筋を綺麗にただし直立する。
「いや見事。ここ数年で一番手こずったかもしれない」
試合後のお互いの称賛と和解の挨拶だ。
「いえ、私こそ。貴殿の力には恐れ入りました」
完璧な笑みのまま、テナエラ妃殿下はギニアールに語りかける。
「貴殿はこの国で一番強い騎士なのですか?」
流暢な言葉を紡ぐテナエラ妃殿下。一見とても品の良い旅人に見えるかもしれない。
だが、ライにはそれが恐ろしかった。隣に立つミレンチェも「ほらな」と言った表情で彼女の次の言葉を待っている。
勿論その策に初対面のギニアールが気づくはずもなく、載せられたままに話し始めた。
「いや、一番とまでは言わんが……以前はここの兵として働いていてね。その時には、まぁ、自分で言うのもなんだが、そこそこの所にいたくらいだ」
鼻を掻きながら照れるギニアール。
そこまで自分で言わせたところで、テナエラ妃殿下は嗤った。
「――そう。この国の力はこの程度、って事ね」
今週も閲覧頂き、誠にありがとうございます!
今回はテナエラ妃殿下の激闘シーンを書かせていただきました。
テナエラ妃殿下の策……それは一体何なのでしょうか。
来週種明かしです(*`・ω・´)
次回は9月2日(土)を予定しております。
ぜひお越しください♪
追伸
学生の方、宿題ガンバ!