伝騎士
コストを重視された造りの合同宿。地下に作られたこの部屋には各々が持ち込んだランタンの光しかない。
ライとテナエラ妃殿下は、帰るや否やドレッドの腰掛けるテーブルの上に、ゴドンと皮袋を載せた。不思議そうにその袋の中を覗いたドレッドは絶句する。
「……テ……テリーさん、これっ」
「約束の物だ。疑わしければ手に取って確認すればいい」
テナエラ妃殿下は突き放すように言う。
ドレッドに助けを求められたライは視線を合わせながら頷いた。
意を決したように、ドレッドはその袋の中から一つつまみ上げる。
ずっしりとした重量、そしてギラリと目に付く輝き。
「たった一日で……本当に銀を金にしてしまうなんて」
金貨がたっぷりと詰め込まれた袋とテナエラ妃殿下の顔を交互に見比べた。
「……」
「これで交渉は成立と言うことで構わないかな?」
いつまでも信じられないと言った顔のドレッドに、テナエラ妃殿下は急かす様に言った。
ドレッドは摘んだ硬貨を丁寧に皮袋に戻し、そのまま中身を見つめ続けている。
絶妙な緊張感。きっとこの間は、ドレッドが未だこの交渉に悩んでいる事の現れだった。
この金貨を受け取ればもう後戻りは出来ない。
「今更何を躊躇う。怖気付いたか?」
だが、テナエラ妃殿下としては何としても彼を使うしかなかったのだ。
彼女は言葉でドレッドを追い詰めている。時折彼はライに助けを求めるか、可愛そうだがライは目を背けた。
「……国境付近まで送るだけ、ですからね」
眉を寄せ言ったドレッド。テナエラ妃殿下は、もちろんだ、と答える。そして、ふぅ、と一呼吸置くと彼が未だ見つめ続けている皮袋の口を結んだ。
「早くしまった方がいい。この場には光りすぎるものだ」
こんな質素な合同宿に宿泊する者は高が知れている。そんな彼らにとってこの金貨の袋は眩しすぎる物だった。
「……め、飯にしよう」
ドレッドは慌てて荷物袋にしまい、辺りを気にする。そして軽く襟を正し、上の階への階段へと向かって行った。
「いやそれはぁ、ちげーぜ。俺ァ本っ気で言ってんだ」
「もう一杯行ったれぇ!!」
合同宿の上の階……つまり一階には酒場が設けられている。今晩はそこでご飯にするらしい。
扉を開けるや否や、もやっとこもった酒の匂いが漂ってくる。
既に酔っ払った連中が大声で喚く中、ライ達は部屋の隅の椅子についた。
「どうぞ」
この騒ぎの中だと言うのに、席についた直後一杯目のグラスが渡された。
ライは、ありがとうございます、とそのグラスを受け取る。
グラスの中に注がれているのは透明な液体。鼻を近づけるとツンとした香りがした。
水で無いことは確かだったが、興味本位でライはグラスを口元に運んだ。
「あっ」
「あんたはダメ」
グラスに口をつけようとした瞬間、隣に座っていたテナエラ妃殿下に取られてしまった。テナエラ妃殿下はなんの躊躇いもせずにその中身を飲みきってしまう。
勢いよく飲みきった彼女は、柄にもなく左手の甲で豪快に口元を拭いた。
流石にその様子にはドレッドも驚く。
「テリーさん、……大丈夫ですか? ここの酒、かなり度数が高いんだけど……」
「……何か文句ある?」
心配して伸ばされたドレッドの手を、テナエラ妃殿下はパチンと叩いた。
「あんたに心配されるほど私はヤワじゃないんですーっ」
「!?」
「!?」
大声で食ってかかってきた彼女の顔を見て、ライとドレッドは目をパチクリとさせた。
切れ長の目はふてぶてしく据わっていて、真っ白なはずの頬が赤子のように染まっていたのだ。
「テリーさん、酔ってる……」
「……え、そんなに酔う?」
彼女の変貌に驚く二人。当たり前であった。つい先程までクールを装っていた人物が、今や完全に面倒臭い酔っぱらいに化けたのだから。
「あーもうやってらんない! やな事ばっかありすぎてもう散々よ!」
そう言って、今度は自分のグラスを一気に空けた。
ライは流石に彼女の手を止める。だが彼女は言うことを聞かず新しいグラスにも手をつけ始めた。
「テ……テリーさん落ち着いてっ」
「そもそも私はあんたなんか選ばれたのが一番気に食わないのよ! 黙ってなさい!」
こっちが何を言おうが聞く耳を持たない。
いつもの冷静さはどこに行ったのか。自身がマラデニー王国の後継者である事も話してしまうのではないか、とライは不安に思った。
「兄ちゃん、いい飲みっぷりだァ!」
丁度その様子を見ていたのか、べろんべろんに酔っ払った体格のいい男が、テナエラ妃殿下とライの間を割って入ってきた。馴れ馴れしくも彼女の肩に手を載せる。
突然近づかれたライは、彼から発せられる酒臭さに吐き気を催した。
男はそんなライには見向きもせず、テナエラ妃殿下の顎に手をあて、上を向かせるように雑に引き上げる。
その弾みでフードずれ、テナエラ妃殿下の目元までハッキリと顕になった。
思いの外繊細な造りの顔だったのか、男はぎょっとした表情をする。
「……」
「なんや、エラい綺麗な顔してるな……」
男はボソリと呟く。そして素早い動きて机の上から何かを手に取った。
「……っ!?」
ライはそのギラリとした物にぎょっとした。
彼が手に持ったもの……それは豚の肉を切り分ける用に用意されていたナイフだったのだ。
男はなにも躊躇わずにテナエラ妃殿下へと振りかざす。
もうだめだ、とライが目をつぶった瞬間。
キーン、という金属音が響いた。
今まで騒々しかったはずの辺りは、いつの間にか静寂を守っている。
そんな中聞こえてきたのは、この自体を面白がっているような二人の会話だ。
「やるね」
「……舐められちゃ困る」
テナエラ妃殿下の声に、ライは恐る恐る目を開けた。そして、流石だ、と思い胸を撫で下ろす。
突然の攻撃にも関わらず、テナエラ妃殿下はフォークの叉の部分でナイフを受け止めていたのだ。
もちろんそれを見ていた周りの人々も絶賛し、一斉に拍手が巻き起こった。
そして、人々は皿とグラスを手に取り壁際へと移動し始める。
「……?」
一体何事かと辺りをキョロキョロ見渡したライは、近くのおじさんに言われた。
「ほれ、その皿の上のもん食いたきゃ囲っときな」
ライは渡されるがままに机に並べられた食事を抱え込んだ。
次第に拍手が手拍子に変わる。皆どこかで打ち合わせでもしてきたのかと言うほどの息のぴったりさだ。
「アイツ、ギニアールはいつもああなんだ。新参者にはこうして洗礼を加わすのさ」
「……?」
いつもの事だ、とおじさんは手の平を上に向ける。
店の人も慣れたように残された器やグラスを片付け始めた。
「ギニアール! ギニアール! ギニアール!」
テナエラ妃殿下にナイフを突きつけた男、ギニアールの名を呼ぶコールが始まる。
そして、この為に持参してきたのか、チェロやアコーディオンを用意した男共が軍歌の様な物を演奏し始めた。
その演奏と周りのギニアールコールが最大にもりあがった時、ギニアールが大声で歌い出す。
「我が名は偉大なギニアール! この街一の伝騎士さァ! 剣を一振り風が舞い、海さえ道を表せる!」
彼は巨体を軽く操り、テーブルの上へと飛び乗った。そして外野から投げ入れられた剣を抜き、挑発するように先端をテナエラ妃殿下に向ける。
「どうだ〜そこの青年よ、この俺様と勝負しなァ!」
「……」
テナエラ妃殿下は無言で立ち上がり、片手をテーブルにつき、これまた軽々と登った。間もなくして彼女にも剣が渡される。
どうやらこれは見世物の類いなのだろう。テナエラ妃殿下が馴れた手つきで剣を抜いた瞬間、震えるほどの歓声が上がった。
テナエラ妃殿下が構え終わると、ギニアールは大声で怒鳴り始める。
「今宵は祭りだ野郎ども! 我が名は伝騎士ギニアール、相手は綺麗な若者だァ。さあさあ賭けろ、賭けまくれぇイ!」
ふんぞり返るように叫ぶギニアール。その一声で一斉に人々が動き始めた。そして、ギニアールとテナエラ妃殿下の足元にいつの間にか置かれていた籠に、金貨銀貨を入れていく。
「おい坊主、あんたはどっちに賭けるんだい?」
「えっ、あ、テリーさんです!」
「テリー? あ、あの美青年の名前な」
ライも周りの流れに流され、自然とテナエラ妃殿下の応援に回った。
何が始まるのか……予測は大方ついた。
“伝騎士ギニアール”対“新参者”のどちらが勝つのかを賭けるゲームなのだろう。
「名ァを名乗れィ!」
ギニアールが遠吠えのようにテナエラ妃殿下へと叫んだ。
それを受けたテナエラ妃殿下はニヤリと口元を緩めると王国式の礼を見せびらかす。
その気品の高さに周りが息を飲んだ瞬間、目が覚めるような声で叫んだ。
「我が名はテリー=ミル=スリアーム、世界を駆ける旅人さぁ! 私に知らない事は無い。何か知りたきゃ聞きに来い! 私は……救世主になれる男だ!!」
根っからの統べる者であるテナエラ妃殿下。やはり彼女の人を引きつける力は恐ろしい。
この場では新参者というフェアではない立場ながら、一瞬にして人々を虜にしてしまう。
言葉と共に左拳を高々と天井へ向けたテナエラ妃殿下。それとともに観衆も一斉に拳を上へととあげている。
不思議な一体感を持ったこの空間は更に盛り上がりをかけていった。
こんにちは。
今週も閲覧頂き誠にありがとうございます。
酔っぱらっちゃったテナエラ妃殿下。可愛いだろうなぁ、とか考えながら書いていたのですが、やっぱり彼女……最終的にはカッコ良く終わるのですね……(笑)
次週は26日(土)の更新です。
お楽しみに(*´︶`*)