着港
「……何言ってんだよライ。マリーナ号以外の王国船がこんな所に来るはずが無いぜ!?」
国歌が鳴り響く中、ジリンは顔を真っ青にし反論した。マリーナ号以外のこんなにも大きな船がガザラに着港する事は、“異常事態”なのである。
ライは、震える指でマリーナ号の上部分を指した。
「よく見て、あの船旗。……マリーナ号は海から上がる太陽の船旗、その光線の数は三つ」
ジリンは指さし示された先をゆっくりとたどっていく。
そこには堂々と掲げられたその船の旗があった。
「一、二、三……四。……四つだ」
ジリンは数えた手をゆっくりと下ろし、瞬きもせずにライの顔を見た。ライも戸惑いに揺れる目を彼に向ける。
本来なら煩いはずの歓喜の声も、今の二人の耳には届かない。
――時が止まる。
そんな気がした。
「……知らせなきゃ」
そういうと同時にライは踵を返し、人を押しのけながらどこかへと走っていく。
「おい、ちょ、どこいくんだよライ! おい!」
ジリンも、ライの後を追おうとしたが、この人混みのせいですぐに見失ってしまった。
「……どーゆーことだよ」
彼は呆然としつつ海の方を振り返り、もう一度謎の船を見る。先程よりも船はかなり大きく見えた。
その徐々に大きくなる鉄の塊は、今の彼の目にはおぞましい化物にしか映らなかった。
「ご、ごめん! 通して」
「きゃっ! ちょっと、ライ君危ないじゃないっ」
人と人の間にねじり込むように体を滑らし、下の港におりる階段へと向かう。
「おう、ライ! そんな慌ててどうしたんだ」
「ごめんなさいっ、後で!」
広場に集まっている人々は、まだあれがマリーナ号だと思っている。彼らの危機感のなさが、逆に怖い。
「どうして誰も気づかないんだっ」
やっとの思いで階段に漕ぎ着けたライは、二階以上はある高さを一気に駆け下りた。
すると船はもう着港目前。港の男達が威勢のいい声を出し合い、ロープの支度をしていた。
「……おじさん! おじさんってば!」
声を張り上げてもなかなか届かない。ライは思い切って一番近くのおじさんの腕を引っ張った。
「おじさん聞いて!」
「ん? って、ライ君!? ここは入ってきちゃダメだ、ほら出てった出てった」
声をかけられたおじさんは、いたって変わらない表情で注意をする。
やはり上で寄港を待つ人同様、船着場で仕事をする彼もマリーナ号の異変に気づいていないようだった。
「おじさん、あの船――」
「はいはい、上で待っててね」
「大事な話なんだ!」
ライがいくら話そうとしても、忙しいから構ってられない、とおじさんに手で払われる。
その背後には、見上げるほど大きなの謎の船が迫っていた。
「――ちゃんと船を見てよ!!」
ライは無言でおじさんの背後をゆび指す。
流石の剣幕にただ事ではないのを察したのか、おじさんは素直にライの指先を辿った。
「この船、マリーナ号じゃない。似たような王国船だけど、これ、アルソン号だ! 王国の軍艦だよ!」
「……ぐ、ぐん、かん?……そりゃ何でまた軍艦が……?」
よく見れば船体には補修の跡がある。どこかで一戦交えてきたのだろうか。
「……おいおい、どういう事だよ、これ」
今正に着港しようとしている船が、マリーナ号ではない事に気付いたおじさん。二人の会話を聞いた他の人も、やっと異変を察知したようだ。
得体の知れない船を付けさせていいのか、何故軍艦が、マリーナ号はどうした、等様々な疑問の声が飛ぶ。
しかし、その間にも船は接近を続け、港はパニック状態に陥った。
「おじさん、みんなに伝えて! 太陽の旗はマラデニー王国の象徴だから、敵じゃないって」
「あ、ああ、分かった」
ライの瞬時の発言によって、再び着港の準備が進められる。しかし、先程までとは打って変わって、異常な緊迫感が漂っていた。
ギャリギャリ、といった凄まじい音とともに碇が下ろされる。
碇を繋ぐ太い鎖がピンと貼ると、船は雄叫びのような汽笛を鳴らし、静かにその海に停った。
これから何が起こるのか、と全員が固唾を飲んで見守る中、ギィィィ……と船室の扉が開く。その扉からは船長らしき、中肉中背の髭男がゆっくりと出てきた。彼は桟橋のギリギリの所まで来ると立ち止まり、脱帽をして深々と頭を下げた。
「私はアルソン号船長、デルダモーレ。此度の事故、心より哀悼の意を表します」
数十秒にも及ぶ、長く、深い、礼。
この場にいる一同、何を言われているのか分からなかった。
みな、口を半開きにし、ひたすらにデルダモーレの顔を凝視する。
気がつけば、アルソン号の乗組員数十名が列を組み、降りてきた。彼らの手には漆黒の木が放射線状に組まれた物が抱えられている。
「……なに、アレ」
「……墓標だ」
隣にいたおじさんが、ライの問いに答える。ライだって墓標が分からなかった訳じゃない。ただ、なぜ墓標が降ろされるのかが瞬時に理解出来なかったのだ。
「おじさん……」
「……嘘だろ、おい。事故なんて聞いてねぇし、そりゃないだろうよ。事故で、死んじまったってのか……?」
徐々に頭の中で情報が整理され、目の前で起きているの事の全体像が明らかになってくる。
ライのすぐ隣を乗組員が通り過ぎる。ふと目に入った墓標に刻まれた名前はジリンの父親のものだった。
「……そんなはずない! 何かの間違いじゃないんですか!?」
ライは堪えきれずに、横を通った乗組員にすがり付くようにして訴えた。それに対し乗組員は、心中お察しします、と頭を下げるだけ。
父親が帰ってくるとジリンが目を細めていたのも、今日は祭りだ、祝いだ、と皆がはしゃいでいたのも、つい先程ではなかったか。
それがどうしてこんな事に……?
どこにもぶつけようのない感情がライの中で渦巻く。
「……ソウリャ、ソウリャは……?」
そして、親愛する兄、ソウリャの姿が未だ見えないことに気づいた。
「あっ、こらライ君どこ行くんだっ」
「ソウリャがまだなんだ!」
弾かれたようにライはアルソン号目掛けて走り出した。まさかソウリャが帰ってこないはずはない。彼は出港の時に毎回ライと約束するのだ。絶対に帰ってくる、と。
「君、ここからは立ち入り禁止だ」
桟橋を渡ろうとすると、船から降りてきていた乗組員に強く腕を引かれた。
「さ、探してるんです、人を! 兄を! 離してくださいっ」
掴まれた腕を必死に引き離そうとするが、屈強な体格の乗組員には勝てない。彼は暴れるライを押さえつけながら、神妙な顔つきで話し始めた。
「……君のような少年には辛い話かもしれない。だが、現実を受け止めて欲しい。今回マリーナ号は南の海域で事故に巻き込まれてしまったんだ。私にも詳しい事は分からないが、今回この町に降りる乗客は……居ない」
――この町に降りる乗客は、居ない……?
耳を疑う言葉。
「前回の寄港の時、あんなに沢山の人が出て行ったのに……? だれも、帰って……こない?」
乗組員が無言で頷く。
「……嘘だ、有り得ない……嘘だっ!」
ちょうどその頃、上の広場でも異常事態に気づいたようだった。きっと墓標を持って階段を登って行った乗組員から詳しい説明があったのだろう。耳をつんざく悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「……兄は、兄は……」
うわ言のように、ライの口からはそんな言葉しか出てこない。
「……申し訳ない。墓標を確認してほしい」
「……」
目の前が真っ暗になった。全身の力が抜け、ライはその場に崩れ落ちた。
喉がつまり、言葉にならない悲しさが、ボロボロと目からこぼれる。
「僕、立てるか? 家族の所に連れて行ってあげる」
気を遣った乗組員はライに優しい言葉をかけるが、その言葉さえ今のライにとっては凶器だ。
家族の所に、ソウリャの所に、行けるものなら行きたい。でも、もう居ないというのなら、どうする事もできないではないか。
もうあの優しい顔を見ることも、大好きな声を聞くことも叶わないのか……そう思うとやるせない思いが膨れる。
幼い子供のように、床に伏せて泣くライの背中を、乗組員は優しくさすってくれた。
足音が前方から聞こえてくる。慌ただしい小走りな音は、いくつもライの脇を通り過ぎて行った。
そんな中、ピタリ、とライの前で止まった足音が一つ。
「そんなに泣かないで」
「……だって、だっ……!?」
低く落ち着いた優しい声。
フワリ、と嗅いだことのある匂いがした気がして、ライは弾かれるように、バッと体を起こした。
「……ライ」
目の前には、ライと視線を合わせる為に片膝をつき、首を傾げる男性。
「待っていてくれてありがとう。ただいま、帰りましたよ」
昔から、優しい彼の笑顔に、ずっと支えられてきた。
「……っ……ふぇっ……」
ライが、ずっと待っていた人。
「ソウ……リャ」
ライは大きく両手を広げ、ソウリャの首にしがみついた。
温かいソウリャの体。しがみついた首筋から、ドクン、ドクン、と彼の波打つ脈が伝わってくる。
「そうか。怖かったね。ん、泣きなさい」
ソウリャは、年甲斐もなく泣きじゃくるライの頭を、ゆっくり頷きながら撫でてくれた。
ソウリャはある程度ライが落ち着くのを待って、立てる? と聞き、頷くのを見ると、真剣な表情をして話し始める。
「早速で申し訳ないんだが、私の頼みを三つ聞いてもらえないかな?」
「……みっ……三つ?」
「ああ、そうだ。一つ目は、私の無事をリサに知らせて安心させる事。二つ目は沢山の食料を買って貯蓄を作ること。三つ目は日が沈んだら戸締りをして絶対に外に出ない事」
「……一つ目はわかるけど、他の二つはどうして?」
「これから私は長老の所に行かないとならない。詳しい事は夜話そうと思う。先に二人で家に帰っていてくれ」
どこか切羽詰まった表情のソウリャ。今日の一連の事態からしても、只事ではないのは間違いない。
「わかった。その三つ守る」
「……いい子だ」
わしゃわしゃとライの頭を撫でると、急いで船の中に戻ろうとするソウリャに、慌てて声をかける。
「絶対、早く帰ってきてね! お家で待ってるから!」
彼はその言葉に軽く手を上げると、船の扉を閉めてしまった。
「失礼しました。彼のお兄さんはソウリャ殿だったのですね。てっきり一般の方かと思い……」
先程ライの背中をさすっていた乗組員が、ライを泣かせてしまった事をソウリャに謝罪した。
「ん、大丈夫です。こうやって誤解も溶けた訳ですし……問題ありません。別件で一つお願いがあるのですが……」
「お願い……ですか?」