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【番外編】夢にまで見たもの(上)

耳が痛くなるような静寂。

こんなにも静かな場所があるのかと思うほどだった。


大きな部屋に充満する空気は重く、だが清らかに澄んでいる。



そんな部屋の真ん中に、俺は1人で跪いていた。




「よく来た。実はな、娘の練習相手に丁度誰かをつけたかったもので、同じ年頃の子供を探していたところなんだよ。……しっかりと顔を見せておくれ」


彼の言葉に従い、俺は下げていた頭を上げる。

床に敷かれた赤いカーペット。


その先に御座す方の方へと視線を向けた。


時は夕刻。

ステンドグラスから差し込む光が逆光となり、上座に座る男性の顔はよく見えない。


だが、ただならぬ威厳が伝わってくる。


逆光が眩しいからと、目を細めるのは失礼だ。

10歳にもなればその位の常識は弁えている。


眩む視界に耐え、しっかりと彼を見つめた。



彼は、その努力を見抜いていたのか、微かに笑ったような気がした。


「君の話は私の所まで聞こえてきているよ。先日行われたブリリアナ杯では、大勢の大人が参加する中、その剣の腕で入賞まで行った様ではないか」


ブリリアナ杯――王都近郊で行われる、騎馬闘牛レホネーオだ。

馬にまたがり牛と対峙し、指定の長さの剣で牛にとどめを刺す。その一連の早さ・美しさ・的確さを競うものだ。


「ありがたきお言葉…身に余る思いでございます」


確かに周りは手馴れた大人だった。

だが、王立剣術学校の特別指導員の息子として、納得の行く結果ではない。



“先日の功績を見込み、頼みたい事がある”


そういった内容の手紙を受け取った時、震えが止まらなかった。


ましてや、その手紙の最後に書かれていた差出人が“メサルテナ=マラデニー”なのだから。


「これから、我が娘の練習相手に任命しよう。そして、いつ如何なる時も我が娘の傍に付き、敵・味方から娘を守って欲しい。その命、我が娘に捧げる覚悟はいいか?



―――クニック=マンファーレ」




クニック=マンファーレ、齢11歳。

王立剣術学校の特別指導員の父と、王立医学研究員の母をもつ、れっきとしたエリート子息。


二歳から剣を握り、5歳で王立剣術学校に入門。四年課程を8歳で卒業し、歴代最若記録を叩き出した。

その後常定じょうてい学校を飛び級で卒業し、今や進定学校に所属している。


マラデニー王国の国王陛下、メルサテナは、文武双方に長けた彼に目をつけたのだ。




こんな名誉な事があるだろうか。



俺は体の芯から感動で震え上がった。



もちろん答えは決まっている。




「喜んでお受け致します」







この時から、俺の人生は動き出した。


そう、この時から…こうなることは決まっていた。




※※※※



日が代わり、翌日。

俺は早々に妃殿下の元へと通される。


王宮の本館から、やや離れたところに彼女の住まいはあった。


その建物に入ると、どこからかとても綺麗なピアノの旋律が響いてきた。

プロの音色にはやや劣るが、どこか優しさを含んでいて心地よかった。


白い扉の前で、案内役の執事が止まる。


その扉からは微かに幼い少女の歌声が漏れてきていた。



あぁ、なるほど。


これは妃殿下が奏でている音楽なのか。




そう思い、俺はその音に耳を傾ける。



その歌が途切れたところで、執事はトントンと控えめにノックをした。

「……姫様、ヘンゼンでございます。例の少年をご紹介に上がりました」


ヘンゼンと名乗ったその男は、中からの返事を待つ。

すると、思いのほか可愛らしい声が帰ってきた。


「くふふっ…どうぞ、よくてよ」



ヘンゼルがグッとドアノブを引く。


すると、部屋の中から暖かな陽が差し込んできた。




開けられた窓からは鳥のさえずり。

花の香りに満たされた真っ白な部屋。

中央には立派なグランドピアノ。



そして、その前に立つ小さな少女…。



真白なドレスに身を包み、長いブラウンの髪を可愛いらしく結っている。


「初めまして、クニック=マンファレー様…私、テナエラと申します」


そのドレスの端を柔らかそうな手でつまみ上げ頭を下げる仕草は、教育の質の高さが伺える。



彼女がテナエラ妃殿下。


この国のお姫様。


無邪気に笑うその笑顔は聖母のように優しく明るく、僻みがない。


この国でこんな顔を出来るのはきっと彼女だけだろうと思った。

貧困に嘆くこともなく、人に虐げられることもなく、人と競うことすら知らない。


“何も知らないただの箱入り娘”


それが第一印象だった。




そして、それが間違った印象では無かったことがすぐに明らかになる。



「お立ちください、テナエラ妃殿下…」


「もう嫌よ!ての平が痛むの…!」


その日から剣術の稽古は始まった。

担当の師範は俺の父…グエリオ=マンファーレ。


剣術の稽古三日目にして彼女は早くも音をあげた。


それも致し方ないことかもしれなかった。


今までは柔らかい靴を履き、繊細なドレスでゆっくりしか動いたことがないであろう箱入り娘だ。


それが突如固い革のブーツを履き、重量のある胸当てを付け、重い鉄の剣を振り回す。


大きく反転した生活に彼女の体は耐えられなかったのだ。


王族というだけあって多少大人びているが、まだ六歳。


同情しない訳ではなかった。



だが、一度剣の道に足を踏み入れたのならば、そんな弱音は認めない。


ここで投げ出すのなら、初めから剣を取るなと言うところだ。




「テナエラ妃殿下、お立ち下さい。まだ始まって一つの刻も経っておりません」


スパルタで有名な私の父は、あくまでも丁寧な口調で彼女を叱る。


それに対し、彼女は剣を脇に置き、両手で顔を隠し泣くばかりだった。




呆れたにも程がある。


一国を背負う妃殿下だって所詮は“女”


だから、女に剣なんて握らせるのが間違いなんだ。





当時は今よりも女の地位は低い。


男の誇りである“剣”に“女”が触ること自体俺はよく思っていなかった。



その日は一向に練習が進まないまま日が落ちていった。


次の日も、次の日も。


泣きじゃくる妃殿下に、困り果てる父。

やることが無くそれを呆れて眺める俺。


そんな無駄な時間が一週間続いた。



「父上…っ!お待ちください父上!」


俺と父は王宮の離に自室を貰っていた。


練習終わりに部屋へ帰ろうとする途中、足早に歩く父に俺は声をかけた。


ゆっくりと父が振り返る。


「大声は慎めクニック=マンファーレ」


父は王宮で俺をフルネームで呼ぶ。

それは“私と君はそれぞれ国に仕える者だ”という事だったのだろう。


その証拠に、俺が父上とよぶと必ず機嫌が悪かった。


「…グエリオ=マンファーレ殿…。何故に妃殿下をお叱りにならないのでしょうか?」


剣術学校で、あんなにも泣きじゃくる生徒がいたとしたらば、きっと父上は刺し殺す勢いで叱っているだろう。


なぜそれをしないのか。


納得がいかなかった。



父の剣に対する忠誠心、想いの強さこそが、俺が父を尊敬する理由だったからだ。



「………」


それを知ってか、父は答えない。


聞かなくても分かっていた。


所詮これはおままごとだ。



きっとテナエラ妃殿下のお遊びに付き合わされているだけなんだろう。


「剣術をやってみたいわ」


とでも言ったのだろうか。




そんな決意で触れる代物ではない。


触られてたまるもんか。



俺だって十年近く剣に生きてきた。


それなりのプライドはある。



「早く休め」



父はそう言い残し歩いていった。




※※※



「テナエラ妃殿下、剣を握って下さい」


「……嫌よ」


今日も開始数十分、彼女の「嫌よ」が始まった。


原因は足がもつれ尻餅を着いたから。

もしかしたら生まれて初めての“尻もち”だったのかもしれない。


それ以降剣も握らずに駄々をこねている。



それには流石の父も呆れたようだ。

だが、彼女を叱ることはせず、そのまま部屋を出ていってしまった。


残されたのは教育長らしいヘンゼンという男と、近衛兵数名。


どんよりと沈んだ部屋を俺はボーっと眺めていた。



「…姫様、貴方らしくない。どうして剣術ばかりがそんなに嫌なのですか?」


師範に呆れられ部屋を出ていかれるという失態を前に、ヘンゼンがとうとう彼女を叱る。


「…だって…痛いんですもの…!握るだけで手がヒリヒリするのよ!私、こんなに痛いのは初めてだわ!」


目から溢れる涙拭いながら、箱入り娘は言い放った。




なんという言葉だ。


なんと聞き捨てならない言葉だ。




今まで我慢していた物が腹の底から上がってくる。

遂に、俺はそいつらを抑えきれなくなってしまった。




「…立て、テナエラ」



無自覚に俺は彼女を呼び捨てにしていた。




「…ク…クニック…さま……?」


驚いた彼女は、大きな赤い目をこれでもかと開いて、窓際に腰掛ける俺を見つめてきた。



「…その痛み、痛いだろう?」


「………」


俺はゆっくりと立ち上がり、彼女に近づく。

そして、彼女の返事を待たないまま続けた。


「……誰もが経験する痛みだ。手の皮が破け、血が出る。その血で柄が濡れるんだ」


「……ク…クニッ…」


ゆっくりと、ゆっくりと、怯える彼女との間を詰めていった。


「君を守る為にその後ろに控えている人だって、そうさ。そんな痛みを乗り越え、そこに立ってる」


「……」


ピタリ、と彼女の手前1メートル程で俺は足を止めた。


「貴様を守るために、痛みを超えてきたんだ」


「……え…ええ…」



わけも分からず、テナエラ妃殿下は頷いていた。




それが尚更気に食わない。



「何かあれば彼らは体を張ってでも君を護る。例え自分の心臓を一突きされてもな」


「………ッ…」



俺は右手で彼女の脇に捨てられていた剣を拾った。




「……その守る対象が、こんなちゃちな痛みにも泣き叫ぶようなバカだったら、無念だろうね」



一瞬。



一瞬で、彼女の頬に赤い横線が走った。




何が起きたか分からないと言った顔で、彼女は自分のひだりほほに触れる。




その手にはベッタリとした鮮血が塗られていた。




「君が悪いんだ。剣ってのは、何も人を殺すためにあるんじゃない。むしろ、自分が殺されないようにあるんだ。……唯一自分を守る“剣”を自ら捨てちゃあ、仕方ないよね。………さあ、無力な姫さん、自分を恨みな」



何も知らない箱入り娘さん。


知らなかった、では許さない。




剣の道はそんなお遊びに使われるほど軽くないんだ。


人が死に、血が流れる。



それが嫌で、必死になる。



その覚悟がある者にしか触れられない高貴なものだ。





ましてや、遊び半分で剣を取り、嫌になったら剣を放り投げるなんざ、許されていいはずがない。







―――俺は許せない。





今週もお読み頂きまして誠にありがとうございます。


第3章が完結したところで番外編です。


またもや、登場人物の過去編ですね。

次回、“夢にまで見たもの”完結です。


投稿は4月29日(土)を予定しております。

またお越しください。

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