寄港祭
ライは机の上に置いてあった、普段見慣れない紙の束を手に取る。ガサガサと四つ折りになっていたそれを開くと、一面に大きく見覚えのある顔写真と船が載っていた。
「新聞よ、新聞」
「そ、そんなのは知ってるよ。僕が聞いてるのは、何でこんな物が家にあるのかって事」
新聞なんて上流市民階級の贅沢品だ。貧しい二人の生活には馴染みのないものだった。
「ソウリャ様が載ってる~って、朝早くに友達が持ってきてくれたの」
「へぇ、優しいね。ねえ、ソウリャの写真の脇のやつはマリーナ号だよね」
ライはそこに載っている写真を指差し、リサに向けた。
「そう。貸して。――本日正午、ガザラに王国貿易船マリーナ号が来航する。その船長を務めるのは我等の誇り高き英雄、ソウリャ=サーメル齢二十四才。彼は何を隠そう、このガザラ出身の王国士官である。今回の航海は途中トラブルに見舞われた為、予定より半年伸びた来航である。それもあってか、町は一週間前から既に祝賀ムードにつつまれている」
ライから新聞を受け取ったリサは、いとも簡単に新聞を読み上げていった。
「すごいね、そんなに字が読めるんだ」
「だからあんたも覚えなさいって言ったでしょ。まあ私は近い将来王都に住む予定だからね」
「……そんな、王都に僕達が行けるわけないじゃないか」
王都……それは、このガザラに隣接しているマラデニー王国の都の事。
マラデニー王国といえば、小さな島国に本拠地を置きながらも、正式に教会から保護をされている独立王政国家だ。二人の住むこのガザラも、マラデニー王国に付属する町の一つである。
またマラデニー王国は、独自に開発した動力を使い世界の水運業を牛耳っていたり、闇大陸に一番近い島に世界最新鋭の研究所を置くなど「世界の中心」とも呼べる。
そんな豊かな国の王都の土を、こんな田舎町の下級平民が踏めるはずがない。
「丁度いいじゃない。この機会に文字でも覚えたら?」
「少しならよ読めるよ。例えばほら、光の伝説とか……」
「それはただ単に暗記しただけでしょ」
マラデニー王国誕生秘話として語られる光の伝説。
光の民と闇の民との間で長く続いた戦いを終わらせる為に、伝説の勇者テナレディス様が統一神ヴェネア様から頂いた剣を使って戦った話である。そして、見事光の民に勝利をもたらした彼は、自らの故郷に国を立てたのだ。それがマラデニー王国の始まりなのである。
それ故か、マラデニー王国は“平和の象徴”“ヴェネア様の使徒”と言った別名も持つ。
そんな、世界の中心にある王国の貿易船の船長。その座にソウリャが就いているという事が如何に素晴らしい事か。
彼が船長になってからというもの、この街にも王国貿易船が来航するようになった。半年に一度の数日ではあるが、それはこの街にとってかなりの利益をもたらしている。
いくら漁業の街だとは言っても、小さな船では遠くまで行くことは叶わないし、ましてや大陸の物を輸入するなど出来もしない。
それ故、このガザラに住む人々はマリーナ号の寄港をとても楽しみに待っているのだ。
「今回の寄港祭はほんと手が込んでるわよね」
リサは新聞をよみながら、ボソリとこぼした。
「これ、いつから始まったんだっけ?」
「……うーん、忘れた」
王国貿易船の来航を祝う“寄港祭”。近頃は当たり前のように行われているが、そうえばいつから始まったのかは忘れてしまった。多分、初めは各個人でお祝いをしていたのだろうが、余りにも皆がやるものだから、街全体のお祭りへと変わっていったのだろう。
「今回はソウリャ、パラマにも行ったんだよね」
「ん? あ、あぁ……パラマの研究所でしょ? そこにも寄るとか言ってたかな。だから、あんたのお母さん達にも会ったんじゃない?」
「いいなぁ、会えて」
ライの両親は、闇大陸のすぐ近くの島に建設された王立パラマ研究所の研究員。研究所には限られた人しか立ち入ることができないため、現地に住む両親に息子であるライはなかなか会えない。
「あはははは、我慢しなさい我慢」
「分かってるけどさ、僕もう何年も会ってないよ」
バンッと目の前の机に突っ伏しながらライは文句を言っている。
拗ねたように前髪を弄る彼の頭を、リサはぐちゃぐちゃに撫で回した。
「……何」
「べつにー?」
「……」
丘を下ると、既にお祭りはかなりの賑わいを見せていた。
「いよいよって感じだなぁ」
いつもは閑散としている港に向かう道は屋台で埋め尽くされていて、木製の箱には美味しそうな果物や野菜、新鮮な魚介類が並んでいる。首を少し上に傾ければ、屋台の屋根をつたうように旗が張られていた。広場では樽酒を傾け、既に出来上がっている人も。
目に映るその情景全てが、ライの心を掻き立てる。
「よぉ、ライ」
「グランデースさん」
名前を呼ばれた方に振り返ると、そこにはタンクトップでタオルを首にさげている中年の男がいた。
「ほら、みろよこの大魚。持ってきな、お前にゃ特別にタダにしてやるから」
「えっタダ!? いいの……?」
「いいってもんよ。こんなへんぴな港町に、王都の船がつくようになったのも、ソウリャさんのおかげだ。今晩はソウリャさんもお前ん家に泊まるんだろ? これはその御礼だよ」
グランデースは、髭の奥からニッっと歯を見せて笑う。
驚き固まってしまったライをたたみ掛けるように、隣の出店のお兄さんが口を挟む。
「ライ君これもついでにいかが?」
お兄さんの手には黒光りする大きな魚。
おお凄い、立派だ、と周りから声があがった。
「あれ? ご不満?」
「えっ……え! いや、ビックリしちゃって。あ、あのちゃんと払います、払いますよ」
あわあわと鞄の財布を漁るライを見て、二人は腹を抱えて笑った。
「いーってもんよ、なにせ今日はソウリゃさんのお陰のお祭りさ。こんくらいの感謝は、当、然、ってもんよ」
笑いを堪えて言ったグランデースに合わせるように、周りの人も「そうだそうだ」と頷いている。
ソウリャのお陰――そんなふうに言われると、ライは感動のあまり目頭が熱くなってしまう。
「……っ……ふぐっ……あ、ありがとうございますっ」
「ったくもう。泣くんじゃないよ。お前ももう十二だろ? そんな泣き虫でどーする。ソウリャさんは十五で王都に出たんだぞ」
ここは小さな港町、大抵の人が顔見知りだ。
当たり前のようにライを小さな頃から知っているグランデースは、まるで我が子をあやすように言う。そして次々に溢れてくる涙を、首に巻いていたタオルの端で優しく拭いてくれた。
「…うぅ」
「ほら、もう大丈夫だろ。魚は帰りにとりに来いや。港に行っておいで」
「ありがとうございます、必ず寄ります」
「おうよ! 今日は祭りだ、楽しもうな」
今日は祭りだ、楽しもう――ライは彼の言葉を復唱しながら、活気溢れる坂を早足に下って行った。
港に着くとそこには既に沢山の人が集まっていた。端の方では楽器を持ち寄った町人が陽気な音楽を奏でていて、祝賀ムード一色だ。
人混みをかき分け、港が見下ろせる広場の前線まで出ると、ツン、と鼻をつくような潮の香りが漂ってきた。
静かな空と海の境界線。
キィ、キィ、とカモメが鳴いていた。
「安心しなって! まだ船は見えてないぜ」
「わっ!……びっくりした、ジリンか」
いきなり声をかけられ、振り返ると幼馴染が隣に立っていた。
「そんな驚くなよ……ほら、見てみろ。港の人が忙しく動いてる。もう少しで来るんじゃねぇか?」
「ほんとだ。いつもよりも凄い殺気立ってる」
二人は肩を並べて、若干背伸びをしながら下を覗いた。
「……お父さん、帰ってくるんだっけ」
「そうだぜ。三年間出稼ぎに出てたからな」
お爺さんの船の手伝いをしているジリン。日焼けした肌に、ライよりは遥かに筋肉質な腕。父親が留守の間、一家の長男として頑張ってきた証だ。
「たのしみだね」
「おう、今夜の飯はきっと豪勢だぞ」
ジリンは照れを隠すように冗談を言ってみせた。
――静かで平和な時が流れる。
「あっ」
港に集まった集団のどこかから、声が上がった。ライとジリンも弾かれたように水平線に目を凝らす。
「――あった、見えた」
「……ほんとだ。俺にも見えたぜ」
夢心地の感覚に、二人は一瞬顔を見合せる。そしてふつふつと沸き起こる興奮に、お互いの肩を抱き合った。
地響きのようなマリーナ号の汽笛が潮風に乗って聞こえてくる。広場は歓喜に乱れ、隣の人同士肩を抱き合う。
先程まで各々で曲を奏でていた人々だろうか、いつのまにか一つになって国歌を演奏し始めていた。
ボオオオ……ボオオオ、と寄港を知らせる汽笛が先程よりも大きく聞こえる。
水平線の単なる点だったモノが、見る見るうちにその輪郭をはっきりとさせてきた。
太陽光を反射させ白く輝く船体。バタバタとたなびく船旗。
「……?」
ライは何か凄まじい不安に駆られた。
待ちに待ったソウリャの帰還。涙が出るほど嬉しい瞬間なのに、なぜか素直に喜べない。
背筋がゾクゾクし、何かを警告している。
「なぁ、ライ見ろよ! なぁ……ん?」
ジリンは喜びを分かち合おうと、ライの方に視線を移す。そこでやっと、ライの表情に気付いた。
「ど、どうした?」
「……嫌な感じがする」
額から冷たい汗が流れる。
「……ライ?」
「何かが、おかしいんだ」
悪い予感が全身を走った。
「どうしたんだよ。おかしい事なんてこれっぽっちも……」
「分からない、わからないけど……何か嫌な感じがする」
ライはその違和感を払拭しようと、マリーナ号をよくよ観察した。
高くそびえる煙突に、鈍く光る船体、大きな甲板に……大きな、甲、板……。
「どうして甲板にだれも手を振っている人が居ないんだ? それに……」
衝撃の事実にライは言葉を切る。
「そ、それに、なんだよ……?」
ライの真剣な顔を見たジリンも、徐々に青ざめてゆく。
嫌にまわりの喧騒が大きく、刺々しいものに聴こえた。
そんな中、認めなくはないが気づいてしまった現実を、ライは口にした。
「……あれは、マリーナ号じゃ、ない」