晴天の稲妻
「へいぃぃ…や、やぁぁぁぁ……はぁ…はぁ…はぁ…もう…無理……」
ぺたん、とそのまま地面に座り込んだ。
額から滝のように汗が流れ出る。
「………暑い…」
握っていた伝説の剣をわきに置き、上に来ていた服を脱いだ。
ひどい汗だ。
どうせもう洗わなければならない服だ、と、それで顔の汗を拭う。
そしてすぐさま後悔した。
既に飽和状態だったようで、余計に汗が広まってしまったのだ。
「……はぁ…」
不快感に苛まれながら、茫然と洋服を握る手を見つめる。
あまりにも頼りなくほっそりとした手。
病的にまで青白い皮膚が申し訳なさそうに覗いていた。
「………港の手伝いでもしておけばよかったな」
懐かしい港を思い出し、今更つぶやいったって遅い。
ここはもう海の上だ。
先程、剣の稽古を見てから、ライは自分の置かれている危機的状況にやっと気づいた。
勇者になったからって、いきなり強くなれた訳じゃない。
まるで魔法がかかったように、突然剣が使えるようになった訳じゃ無いのだ。
何も出来ない田舎者は、勇者という肩書き付いても上流士官にはなれない。
エラが言っていた事も、きっとこれだ。
このままでは、闇の民に襲いかかられた時に太刀打ち出来ない。
勇者としてこれから人々を守ろうとする奴が、自分の身さえ守れないなんて恥ずかしすぎる。
そう思って、とりあえず素振りをしてみたのだが、ものの数分でこの調子だ。
ライは自分に半ば呆れながら、放った剣を横目で見た。
正直こんなにも重いものだとは思わなかった。
確に初めて手に取った時、予想以上の重さだったが持てない程では無かった。
だが実際、これを「振る」となれば話は別だ。
この大剣を頭の上に振り上げるのでも一苦労。
そして思いっきり振り下ろし、その勢いを相殺してもう一度振り上げるのにはかなりの力を要する。
数回振っただけで息切れが激しかった。
よくもまあこれ程までに扱いにくい物を、振り回し戦うことが出来るもんだ。
先刻、船内で覗き見た練習風景にゾッとした。
なぜ僕なんかが勇者に選ばれたのだろう…。
不甲斐ない自分を選んだ神に聞きたいくらいだった。
暑さというのは人の思考に大きく影響を滅ぼすものらしい。
ライは素振りを放棄し、膝を抱え目を閉じた。
ゴオオオ、と船が水を割る音だけが聞こえる。
なにか違和感があるのは、この暑さの中、蝉の声が聞こえないからかもしれない。
ふと、辺りの気温が下がった気がした。
目を開けると、座り込む自分の影に何かの影が重なっている。
なるほど。指すような日差しが遮られ、体感温度が下がったのか。
その原因となる斜め上を見上げる。
そこには、太陽光を遮るようにして立つ人影があった。
「見てらんない」
「…………」
こちらからは逆光になってしまっていて、顔は良く分からない。
だが、その声だけで誰なのかは分かった。
また監視されていたのか、とライはあからさまに嫌な顔をする。
「だけど」
声の主は僕と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「頑張ってる奴は嫌いじゃない」
声の主の顔に日が当たり、表情がハッキリと見えるようになった。
その顔…エラの顔は予想していたものとは違う。
相変わらずのきつい目つきだが、人を軽蔑したり蔑むような目ではなかった。
バカにするな、と言い返そうと思っていたのだが、その言葉は飲み込まれる。
「………」
予想外の表情に言葉を詰まらせるライ。
「驚いた顔をするのね」
拍子抜けた顔をしたライに、これは明らかに嫌味として言っているのだろう。
彼女は満面の笑みをライに向けた。
「まあ、そんな事はどうでもいいの。時間は限られているからね。貴方にはしっかりしてもらわないといけないから。気は進まないけど、貴方に教えてあげる」
床についた膝の砂を払いながら、エラは立ち上がる。
そして、スッとライの脇に落ちていた剣を拾い上げた。
「さっきの素振り、見ている限りだとライ、貴方何か勘違いをしているわ」
彼女は伝説の剣を上から下までじっくりと観察する。
「……勘違い?」
ええ、とエラは答えるとライに伝説の剣を渡した。
「?」
渡されるがまま受け取ったが、その後どうしたらいいのか分からない。
「教えてあげると言ったでしょ?私の気が変わらないうちに終わらせるわよ」
「…は、はい」
ピシャリと言われ、小さく返事をした。
「返事が小さい」
「は、はい!」
よし、と頷くと彼女は抑揚もない口調で始める。
「何をイメージして、素振りをしていたの?」
相変わらず素っ気ない態度だが、嫌な感じはしなかった。
何をイメージしながら……?
聞かれた問に対し、真剣に頭を巡らせる。
何も特別なことは考えていなかった。
ただ、ただひたすらに剣を振る練習をしていたのだ。
黙りこくるライを見て、エラは続ける。
「物語に出てくる勇者ってさ、それはそれは大きな豪華な剣を使って戦うよね。それを振り回しながら、次々に敵を切り殺していくイメージあるじゃない?」
エラが剣を持ったふりをしながらジェスチャーしている。
その動きを見て、ライは大きくうなずいた。
「…それをイメージして練習したんですけどなんか上手くいか…!!!?」
言葉途中でライは彼女にビシッと大きく指をさされる。
「ほら。それが間違い」
「…間違い?」
何を問われているのか解らずに首を傾げる。
一方エラは「やっぱりね」と肩を落とした。
「……むやみに振り回せばいいって訳じゃない」
そういいながら、流れる様な動作で自身の剣を引き出した。
「剣術にもね、決まり事があるのよ」
ライの横に並ぶエラ。
彼女は横目でライに見てなさい、と告げ、
右手、左手と柄を握る。
そして、顔のまで引き上げ、ピタリと静止した。
━━━━カチャリ
「…………」
ほんの一瞬だった。
音とともに微かに切っ先が震え、太陽光の稲妻が剣身に走ったかと思ったその時には。
既に剣は反対側で静止していた。
それはあまりにも綺麗な形で、目の前に広がる海でさえも二つに切れてしまいそうな振り抜き。
「これ。さっきの構えから横に水平に払う。まずこれが一つの型だと思えばいい」
首だけをこちらに向けてエラは説明する。
「ここから裏刃で返して元の構えに戻る」
スン、と軽い身のこなし。
「いい?剣はね、相手を切るために使うんじゃない。いかに自分が傷つかないかを考えて動く。相手の攻撃を考えるのはその次よ」
「………?」
言葉自体はそれほど難しくないものなのだが、それが何を意味しているのかが理解できない。
「……分からないかしら。剣は盾。つまり、どういうことかと言うと…ちょっとその剣で私に斬りかかって見て」
「えっ!?」
突然振られ、一歩後ずさる。
「…聞こえなかったの?私に斬りかかってって言ってるのよ」
はやくしなさい、と急かされる。
「え…こ、こう??」
ライは言われた通りに伝説の剣をエラに振りかざした。
すると、
キーーーーン
と、甲高い金属音が鳴り響いた。
ライの剣とエラの剣が、剣身の真ん中あたりで交差する。
ライが容赦なく振り下ろした剣を、エラが先程の仕草で防いだのだ。
その衝撃で手がジンジンと手が痺れる。
「………んんぅっ…」
エラが物凄い力で押してく為、ライも力を緩めることができない。
なんて力だ、と彼女の顔を見る。
「………っ…!」
獲物を狩る鷹のような鋭い目つき。
先程までよりもいっそう激しさを増した目つきにに、息が詰まる。
剣を持つ目。
敵を見る目。
ギリリリリ、と耳を塞ぎたくなるような音が鳴る。
刃と刃を擦るようにしてエラが剣が進める。
ライの剣身の中腹をエラの鍔が捉えた。
目の前にギラリと光る剣先が現れ、思わず後ずさる。
カーーーーーン
その一瞬の間に、ライの剣は払われ虚しく船底を叩いた。
「…………っ…」
ヒヤリ、と首に冷たい感触。
エラの剣だ。
これが本番なら、お前は死んだ。
そう言われたのだ。
「分かった?ライ。常に剣を使って自分を守る。その守っている最中に、相手の“隙”を探すの。そして、迷わず一気に隙を撃つ」
シャリリリ、と鞘に剣をしまいながらエラは説明した。
一方、ライはと言うと…。
初めて剣を交えた緊張と恐怖で、払われたままの格好で固まっていた。
刃物を向けられる恐怖。
刃物を向ける恐怖。
今までに感じたことのないような恐怖だった。
未だに剣を握る手の震えが止まらない。
「ライ、大丈夫?」
耳元で聞かれ、我に返る。
エラは何も無かったかのように、ひょうひょうとしていた。
「だ…大丈夫…です」
と答えると、彼女は「ならいい」と頷く。
「まあ、これを常に頭に置いておくことが、基本ね」
エラは腰ベルトに掛けていたタオルをライに向かって投げかけた。
ふわりと、いい香りがライを覆う。
「尋常じゃない汗。その無様な汗を拭うためのタオルくらい用意しておきなさい」
「は…はい…あ、ありがとうございます」
投げられたタオルを手に取り、お礼を言う。
「別にお礼なんて要らない。ただ、その汚い汗見たくなかっただけよ」
吐き捨てるように出た言葉と、そっぽを向くその顔からライは思った。
きっとこれは彼女の優しさだ。
「なによ、そんな顔するなら返しなさいよそのタオル」
「えっ!?いや、べ、別に…」
「返しなさい!」
無理矢理に手から剥がされ持っていかれる。
手際よく畳まれまた彼女の腰に戻される。
……まだ汗拭いてなかったのに。
なんて、いう暇もない早さだった。
タオルをしまい終えると、少し乱れた襟元を直し始める。
今さっき剣を交えたライの目にはその所作一つ一つがとても美しく映った。
晴天の下に、彼女の剣身に走った稲妻。
時をも支配する彼女の剣さばき。
…素晴らしい。
彼女の身のこなしならば、どんな敵にだって太刀打ちできそうに見えた。
ライは思う。
彼女がそう見えたのは、体力の差や、経験を積んでいるからだけではない。
その他にも自分に無いものを持っていた。
まず第一に、自分との大きな差は知識だ。
知りたい。
「剣」の使い方が知りたい。
ほんとならば、先程のような恐怖二度と味わいたくない。
でも、そんな事は言っていられなかった。
「…エラさん、教えてください。“剣”の使い方。知りたいです」
震える声を抑え、できる限りの声で叫んだ。
腹の底から何か煮えたぐるようなものが昇ってくる。
突然話し出したライに目を丸くするエラだったが、すぐさま表情を変える。
「へぇ、思っていたよりまともなのね」
にやり、と口の端を不敵に引き上げた。
その仕草には“感心”が感じられる。
「分かったわ。とりあえず、今日から三日間でできる限りの指導をする。音を挙げずに付いてきなさい」
相変わらずの淡々とした口調。
でも、少し…。
少しだけ認められた気がした。
「…はい!」
強くなりたい。
この手で誰かを守れるほど強くなりたい。
強くなろう。
「そうと決めたら休む暇なしよ。ほら、もう1度さっきの構えをしなさい」
そういう彼女はまるで部下に命令するように言い放った。
「は、はい!」
先程のエラさんの姿を思い浮かべながら、両手で剣を構える。
「剣の位置が低い、もっと上。そう、そして肘は直角…いや、そうじゃなくて…」
少しでも早く、エラさんの様に剣を使えるようになりたい。
「ああもう!何で分からないの!?そんなんじゃ敵を撫でてるだけじゃない!もっと早く!」
照りつける太陽の中、暑さを忘れて集中した。