王都の一角
ライは足元に伸びる濃い影を不思議に見つめながら歩いた。
ガザラは日が沈めば、真っ暗闇。道を照らすものは家の隙からこぼれるオレンジ色の明かりだけだった。これ程までにもくっきりと影が出来るのは満月の夜くらいだろう。
それを知っているから、人々も夜は外を極力出歩かない。
次の日の朝日とともに目覚める用意をするのだ。
しかし、ここ王都は発想が違った。
――明かりがないのであれば、照らせばいい。
街も人も、そう考えているようだ。
そんな事を考えていると、ルーザンが足を止めた。
「よし、今晩はここで飯にしよう」
「はい。……って、へ!?」
彼の視線の先は、ドアマンが居るような高級レストラン。そんな店は恐れ多いと、ライは必死で首を横に振った。
「ナハハ! 冗談だよ。ああいう店はレディになってからだな」
ルーザンは怯えた様に必死なライの頭を撫でながら、大きな声で笑う。
「……し、失礼ですね! 僕はレディにはなりません」
またもやからかわれたライは必死に言い返すが、それを彼は適当に聞き流し、細い路地を曲がってゆく。
何でそんな意地悪を言うのかな、とライは口を尖らせた。だがその口元もすぐに緩む。
ルーザンが少し進んだ所で足を止め、ライが来るのを待っていたからだ。
「いらっしゃーい」
居酒屋のドアを開けると、かなりきついお酒の匂いが漂っている。テーブルは既に出来上がった人達でいっぱいだった。
ここはルーザンの馴染みの店なのだろうか、店のおばちゃんがルーザンの顔を見るなり、にっと笑う。
ルーザンもそれに答えるようにヒラヒラと手を振ると、おばちゃんに指をさされた席に座った。
「なんだい、今日は少し遅かったね。で? 今日もいつものかい?」
「ああ、いつものと……。コレ一つと、これ。あと、これ」
ルーザンは適当に注文をつける。その間にライが口を挟むひまなどない。
彼が指を指したメニュー表を必死に目で追っていると、また悪戯な声が降ってきた。
「お前はお酒はだめな」
「わ、わかってますよ」
少し恥ずかしくなり、素っ気なく返すと、店のおばちゃんが大声で笑い出す。
「あんたも二、三年して立派なレディになれば、ルーザンも奢ってくれるだろうよ」
「ああ、勿論さ」
「なっ……」
店のおばちゃんは、なんの悪気も無くライを女子だと思っている様だ。
ライはそんなに自分は女っぽいのか、と体つきを確かめ、まあ確かに間違えられても仕方ないと肩を落とした。
もちろん、その一連の様子をルーザンは楽しそうに見ている。
おばちゃんがどうぞとお酒を運んでくる。彼は、サンキュ、と短く言うと、右手でグラスを受け取り、顔の高さに持ち上げた。
「……?」
ライはその意図が汲めずに頭を傾げる。
「乾杯だ」
はっとして、ライは目の前に運ばれた何かの果物のジュースを手に取った。
「まあ、まだ会って間もないけど、これからよろしくな」
彼の簡単な挨拶の後に、チン、とグラスを鳴らした。
ルーザンがグラスに口をつけるのを確認してから、マネするように一口つける。
その手探りな様子さえ、ルーザンの目には愛しく映っているのだろう。
「私は嬉しいんだ。まさか大きくなった君に出会えるなんてな」
「……そんなにですか?」
何の果物なのか、思った以上に酸っぱかった飲み物を見つめながらライは答える。
「あぁ、そして元気そうで本当に嬉しい」
「……」
「ほら、食べなさい。この肉は味が濃くてうまいぞ」
次から次へと彼は肉を口に運ぶ。ライも遠慮がちに手を皿へと伸ばした。
パクリと口に入れると、思いのほかピリ辛い味だ。
「ガザラでの生活はどうだった? あそこは本当に平和な街だからな、こことは大違いだろう。隣の町だというのに、まるで別世界だな」
懐かしいような顔で語り出すルーザン。彼もガザラで暮らした事があるのだろうか。
ライはルーザンがガザラを知っていたことに驚く。
「昔私も何度かあの街にはお世話になってな。ソウリャ君やリサちゃんにもお世話になった。あと、お婆さんとも何度か顔を合わせたことがあるかな」
ソウリャやリサ、お婆ちゃんの事も知っているらしく、やはり彼とサーメル家はかなり深い繋がりだったのだろう。
ライは彼に対し、親近感を感じた。
だが、次の一言でライを一気に現実世界へと連れ戻す。
「みんな、元気か?」
「……」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
「……? どうかしたか?」
「……」
口に物を運ぶ手が止まった。
「……僕、どうして……」
「……おい、どうしたんだよ」
――僕はどうして、こんなに普通に生活しているのか……。
町は燃え、人は不思議に消された。リサやジリンの安否はまだ分からず、親愛なる兄をもガザラに残してきた。
そんな状況の中で、どうして自分は飯を食べているのだろうか。どうして先ほど笑っていたのだろうか。
――みんなは今、何をしているのだろうか。
ガザラに残してきた人の事を思った瞬間、抑えきれないほどの痛みが胸に突き刺さる。その痛みのあまり、ライは洋服の胸元を強く掴み耐えるが、それでも収まらない。
「……カハッ……はっ……くっ……」
息も荒れるほどしゃくり上げる。意図をせずとも両眼から大粒の涙が次々にこぼれ落ちた。
「どうした? そんなに泣くほどガザラに帰りたいのか? 今すぐにって訳には行かないが、その内戻ることだって出来――」
「違う! 違うんですっ」
それ以上、聞きたくなくて彼の言葉を遮った。
どうやらルーザンはガザラが闇の民の襲撃に遭っていた事を知らないらしい。元気づけの為に言ったであろう優しい言葉さえ、ライには凶器に感じる。
――そのうち戻れる訳がない。
泣き叫びそうなって、こみ上げる感情を抑えようと両手で自分の肩を抱いた。
「……ライ?」
「………」
心配そうにライの顔をのぞき込むルーザン。彼も非常に困った顔をしていた。
「……どうして僕だけ、王都に逃げられたのですか……?」
どうしてあの街でたった一人、僕だけ王都に行けたのか。
それだけでも知りたかった。
どうして、“僕”だったのか。
こうやって、平和に暮らす為では決してないはず。
通行許可証が発行されるには、それだけの理由があったはずだ。
「……逃げ、られた……? 逃げられたって、まさか……」
ここでようやく彼もすべてを理解したのだろう。伝説学に詳しい彼だ。ガザラが今どんな有様なのか容易に想像できるのだろう。ワナワナと唇を震えさせながら、必死に言葉を紡いでいる。
「……予想以上に早すぎはしないか? ソウリャ君からの伝達では、そこまでは……」
ルーザンは顔を真っ青にし、うなだれる。
「ルーザン。僕は、どうしてここに来たの? 何も知らされてない、何も聞いてない! 僕なんて、ただの子供だよ? 確かにお父さんとお母さんは研究員かもしれない。でも、僕自身は何も持ってないし、何も出来ない、ただの子供だよ……。いったい僕はこの王都で何をすればいいの……? 僕は何をするために独り逃げてきたの!?」
ライは堰を切ったようにすべてを吐き出す。
別れ際、ソウリャは言った。”君が闇の民から逃げることは光の民すべての願い”だと。
いったい、なぜなのか。
それがきっと皆が自分に隠している何かなのだろう。
その証拠に涙と鼻水にまみれるライをなだめる様に、ルーザンはひたすら優しく撫でた。
その手は、確かに優しい。けど、両親やソウリャ、リサのものとは違う。
常時流れる時間の中に独り“取り残された”そんな気分だ。
「……君が王都に来た理由は“幸せになるため”」
しばらく無言だったルーザンが、唐突に口を開いた。そして考えもしなかったその回答に目を見張る。
「汚い言い方かもしれないが、君の両親や兄は裏に通じている。だから、国の権力を使って逃がした、と。君に危険が及ばないように、君が幸せになれるように。この安全な王都に逃がした……そうは考えられないかな?」
「そんな事って……」
「あくまでも憶測だがな」
ルーザンはきっぱりと言い切る。
「私も昔、ほんのひと時だけ、親だったことがあってね。……親はね……どんな手を使っても、何を犠牲にしても、子供を守りたいと思うものなんだよ」
あまりにもその声が綺麗で、ライはルーザンの顔を見る。彼は最後の一口と、グラスを傾けたところだった。
グラス越しに目が合う。
彼の言葉には、何か深いものがありこれ以上聞ける気配がない。
ルーザンはグラスから口を離すと、その端を軽く引き上げる。
「せっかく繋げられた命だ。それをどう使えばいいのかを考える事だな」
――繋げられた命。
ルーザンが言った事が本当ならば、ライはよほど愛されていた事になる。だが、きっとそれは無さそうだ。
――僕がここに来た理由は絶対に他にある。
ルーザンはそれを知っているが、教えてはくれない。否、勝手に教えられないと言った所か。だが、もはやソウリャやリサに確かめることも叶わない。
ならば、自分で見つけなければいけないのだ。
「分かりました」
ライは意を決して、返事をした。
「お前、難儀な性格してるんだな。そんなかわいい顔して」
「最後のは余計です」
「あれ、ルーザン。もうインクのストックが無いみたいですけど」
王都に来て数日たったある日、部屋の掃除をしていたライは、ルーザンが最後のインクの封を開けている事に気づいた。
「え? ホントか。悪い、買い足しといてくれないか」
「分かりましたー」
ライはルーザンからお金を受け取り、外套を羽織って外へと出た。ここ数日歩いた通りに店があったのを思い出し、今はそこへと向かっている最中である。
最初の日に「王宮へ続いている」と言われた大通りを数分歩き、細い路地裏に入った辺りだ。
やや傾いた日差しが街をほのかに黄色に染める。足元には、くっきりと影が伸びていた。
「えーっと、次の角を右っと」
いつ見ても賑わっているパン屋さんの先の角だ。相変わらず暴走馬車が多い。歩いているすぐ脇を猛スピードで車輪が通っていく。
「あぶないな……ん?」
運転の荒かった馬車の先を見ると何やら大勢の人が集まっていた。
「確か……あそこは広間だったはず」
何かの催し物でもやってるのかもしれない。帰り道にでも寄ってみようかと思い、その手前の細道を曲がる。
「……」
建物と建物の間に入ったからか。太陽光が遮られ、気温が下がる。少しじっとりとした淀んだ空気が足元を流れる。
上に視線を送れば、黄色く黄ばんだ空が建物の間からライを見下ろしていた。
ふと、居心地が悪くなり歩く足を速める。
規則正しく敷かれたタイルを進むと、カツコツと自分の足音だけが反響する。
――この感じ、何か嫌だ。
足元だけをみて歩いていると、視界の端に何かが映る。
「――っ!」
弾かれた様にそちらの方向を見たが、誰も居る気配は無い。全く人気のないパン屋さんのガラスに、怯えた表情の少年が一人映っているだけ。
「……」
それすらも不気味に思い、ライは勢いよく走り出した。
「……のか」
「………!?」
突然の声。
ぶわっと一瞬で汗が噴き出る。先ほどまで誰一人居なかったはずの場所。突然声が聞こえるなど有り得ない。
空耳だ……そう自分に言い聞かせ、止まってしまった歩みを再開する。
「真実が知りとうないのか」
今度はハッキリと聞こえた。
空耳などでは言い訳が出来ないほど、ハッキリと鮮明に。
ライは恐る恐る後ろを振り返る。
「……!」
永遠と続くような細道の遥か奥。そこに、ひっそりと立つ女性の姿があった。
ここまで来てライは考える。この感覚、初めてではない。以前にも似たような感覚に陥ったことがある。
「ライよ」
直接胸に響いてくるような声。
夢を見ているようで、現実と区別のつけられないこの曖昧な感覚。
――そうだ。あの日、夢の中で感じたのと同じだ。
「声が聞こえているであろう? ならば返事をせい」
低いが、確かな女性の声は、明らかにライへと語りかける。
この不気味な声に答えていいものなのか迷ったのだが、何故か無視するのも気が進まない。
汗ににじむ拳を、さらに固く握り、返事をした。
「……聞こえて、ます」
「お前は知りたくないか?」
彼女はまた同じことを聞いてきた。
「な……なに、を?」
「生まれながらにして君に課せられた使命を、だ」
彼女はとんでもない言葉を口にした。
「……し、めい?」
生まれながら、なんて。
課せられた使命、だなんて。
――そんな事知らない……いや、これこそが僕がこの王都に来た理由を知ることになるのか……?
「……貴女は、何を知っているのですか?」
「知りたければ、我の話に耳を傾けよ」
とっさにライは彼女の方へと体を向ける。その姿に彼女はゆっくりとうなずくと、スッと指をさした。
「ずっと待っていた。千年の間、君を待っていた」
「え……千、年……!?」
そういうと、彼女は姿をくらます。
「待って! 何のこと!?」
彼女が居た方へと足をふみだすと……。
「――っ!」
一気に世界が崩壊し始めた。
石畳の裏道が、まるで樹皮のように剥がれ始める。その剥がれた先にあるのは漆黒の闇だ。
崩壊は徐々に今自分の立っている足元へと進行する。
「う、うわぁ! あ、あ……あ!!」
止まらないその崩壊は既にすぐそこまで来ていた。
ライは慌てて後ずさる。
「そのまま闇に飲まれるのか」
ガシャガシャと騒音の鳴る世界のどこからか彼女の声が降ってきた。
「君は一体何をしたんだっ!」
目の前の信じられない光景を引き起こしているのは、紛れもない彼女。ライは必死に彼女へと問いかけるが、向こうは一切聞き耳を持たない。
その間も崩壊は待ってくれない。次々に剥がれる世界は、奈落の底に吸い込まれ続ける。
とうとうライの足場まで迫ってきてしまい、慌てて逃げるように走りだした。
「そのまま逃げるのか」
また、どこからともなく彼女の声が響き渡る。
「逃げるって……当たり前じゃ、ないかっ」
息も切れ切れになりながら返した。
今思えば、彼女の夢を見てから全てが崩れた気がする。
「このまま、闇の民から逃げるのか」
「えっ……?」
“闇の民”と聞いて、ライは歩みを止めた。
「それとも、闇の民に抗うのか」
「あらが、う……?」
すると、剥がれた落ちた世界が一気に明るくなった。
「――うぐっ!」
いくつもの閃光につつまれ、白としか認識できない。ライは耐えきれずに目をつぶる。
「目を開け。真実をその目で見よ」
激しい耳鳴りの中、その言葉がはっきりとライの耳に届いた。しばらく光が弾ける音が聞こえていたのだが、徐々にそれも収まってゆく。
しん、と静かになった所で、ライはゆっくりと目を開いた。
「――え??」
何が起きたのか、理解出来なかった。
お世話になっております!作者の千歳です。
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