林檎の色とは
赤色ってどうしてこんなにも魅力的なんでしょうか。
「将来の夢、ですか・・・?えへへ、困ったなぁ・・・」
よほど恥ずかしい夢なのか、ただ頬を掻いて黙ってしまう。
だから、助け舟を自ら出す。
「言いたくないなら、夢"だった"ものとか、とりあえず一度は夢見たものを教えてくれないかな」
「そんなこと訊いて、どうするんですか?」
「なにも下心はないよ。俺流のコミュニケーションだよコミュニケーション」
緊張させないように、と気をつける。
すると彼も段々こちらに慣れてきたのか、チラチラとこちらを見始めた。俺は最初から彼の目を見続けている。
「ま、まぁ・・・昔はその、サッカー、選手とか?学校の先生とか、そういうのになりたかったですけど・・・」
良く聞く職業。なりたかったということは、少なくともその二つ以外なのは確かだ。
ストレートに訊いて答えてくれないなら、こちらが折れるしかない。
「やっぱり、そういう職業に憧れるものなんだね」
「恥ずかしながら」
男と言うには華奢な体つきだが、声色も(少しあどけなさは残るが)ちゃんと男子の声だし、そんな謙遜することはないと思う。
俺はメモを仕舞い、話を切り替える。
「いやいや、恥ずかしがることはない。皆そういう夢は一度は持つものだと俺は思ってるよ。じゃ、ここからは世間話だけど」
すると彼は今一度俺の目を見る。
真っ黒な眼が俺を捕らえている。なぜだか今の一瞬で彼に呑まれた気がした。
「つい最近聞いた興味深い話だ。君にも検証してみたい」
「・・・どんなものですか?」
今度は一切目を離さず俺に問いかけてくる。
だから俺が目線を外し鞄からこのために八百屋から買って来た林檎を取り出す。
傷つけないため網状のクッションをつけたままのそれを、彼は見ていた。
「これは、なんですか?」
「見ての通り、林檎だよ。タネも仕掛けもございません」
網から取り出し彼のほうに転がす。
今俺らがいる部屋は学校に設けられた生徒との交流の場。休憩所もとい相談室だ。
その質素な空間の質素な机の上を新鮮な林檎が転がる。
彼はそれを受け止め、すん、とにおいをかいだ。
「これ、わざわざ買ってきたんですか?」
「あぁ、話をしたくてな。とはいえ高くない。話が終わったら二人で食べよう。じゃ、それ頂戴」
またしても転がってくる林檎を俺は受け取り、話を始める。
「これは、色についての話だ」
「色」
林檎を机の中心に置き、指を差す。
「この林檎の色をせーので答えて欲しい。いくぞ、せーのっ」
「赤」
俺らは同じ答えを呟く。当たり前な回答が得られる。
「そう。赤だ。赤の代名詞的果物林檎の色はもちろん赤だ」
「それが、どうしたって言うんですか?」
俺は少しだけ得意げになって、質問を変える。
「じゃあ、『赤と呼ばれたこの色は何色』?」
途端、彼の目線は俺に移る。まるで、何を言っているんだこの人は。とでも言うように。
「どうした?わからないか?」
「・・・はい、わかりません。質問の意図が」
「正解だ」
中心に置かれた林檎を手に取り、彼の目線を林檎に移す。
「つまりだ。この林檎は俺から見ても君から見ても赤いが、赤が俺と君から見て赤いとは限らないということだ」
彼は見るからに置いていかれているが、俺はそれを気にしない。
今度は鞄から青林檎を取り出す。
「さて、タネも仕掛けもない青林檎。今度はこの色を答えてもらうぞ。せーのっ」
「緑」「青」
緑と答えたのは彼、青と答えたのは俺。
「つまり、人の認識の違いについて言いたいんですね?」
「そう。さっきは『つまり』なんて言ったが、実質こういうことだ。この色が共通理念として赤いのはわかった。が、二人の言う赤は本当に同じ赤なのか?」
「青林檎については共通理念がずれているということですね」
「そういうこと。補足するけど、さっき俺が青って言ったのはわざとだ。青林檎は緑色」
青林檎を弄りながら話を続ける。「この青林檎も後で食べよう」
「・・・ちょ、ちょっと待ってください。えっと、林檎と青林檎じゃ話が違わないですか?」
「ん?林檎は赤くて青林檎は緑色。おかしくないだろ?」
「青林檎のほうではさっきの質問がされてません」
俺は思わず口角を上げてしまう。そうだ、そういうことなのだ。
「気付いたな。そこが俺も気になったところなんだ。実際聞いたとき、俺はそうとしか聞かなかったもんで、どうしても誰かに聞いてみたかったんだ」
両手に携えた林檎たちを机に置く。
「じゃあ、ここからは話にも聞いてない話ってことですね?」
「面白いことを言うね。そうなる。ここからは俺らの実証に基づいた作り話だ」
俺が青林檎を指差すと、すでに青林檎を指す指があった。「今度は僕が質問します」
「『赤と呼ばれたこの色は何色』?」
静寂が訪れる。俺も彼も、その問いに答えることが出来ないから。
そこから話を切り出したのは彼だった。
「・・・不思議ですね」
「ん?」
「いや、僕とあなたが見ているものは同じはずなのに、あなたと僕の視界が同じとは言い切れない」
「ああ」
「僕が言う赤は、あなたにとっての黒かもしれない・・・」
「俺が言う緑は、君にとってのオレンジかもしれない」
彼は林檎を手に取り、まじまじと見つめる。
「赤色っていうのは、強いエネルギーを表す色だ。さらに、赤という色は体感温度を上げる効果もあるといわれている」
「へぇ、僕はそんなこと考えたこと無かったです」
俺は青林檎を手に取る。
「そして緑はリラクセーション作用、穏やかな気持ちを与えるらしい。ちょうど、君の時計と同じ色」
彼が左腕に付けているのは緑色の縁が特徴的な腕時計。
「見ますか?」
腕をこちらに向けてくる。時針には蓄光板が細く嵌められ、暗いところでも時間がわかるようだ。この蓄光板もまた、暗闇では緑色に輝く。
「ありがとう。いいデザインだね」
「店で見つけて気に入ったので、お金を貯めて買いました」
嬉しそうな顔をして時計を見つめる。
その表情にはすでに最初、将来の夢を聞かれて恥らっていた表情はない。
言ってしまえば、話を変えた時点でその印象を抱かせる雰囲気すら消えていた。
それは何故か。ここからが本題だ。
「閑話休題。更に色のことを言うなら、青や白の効果が俺は好きだ」
「青や白、ですか?」
「ああ。青は沈静色、寒色といって心の落ち着きや体感温度の低下など、赤とは逆の働きをする。そして白は、切り替えの色」
彼は顔をこちらに向けた。
「気分を切り替えたい時には白を見ると良いといわれている。そして白には膨張色という名前もあり、広さを感じさせる作用もある」
「あなたが落ち着いているのもそういう色が好きだからですか?」
余談だが、色覚異常という病気を知っているだろうか。
「いや、俺が好きな色は赤だ」
色覚異常は、色を受け取る三種類の細胞に異常が生じ、正しい色を認識できなくなるという病気だ。
「その林檎は売られた林檎の中でダントツに赤かったんだ」
例えば、桃色と白が見分けられない。
「真っ先に手が伸びたよ。これが買えて嬉しくてテンション上がったよ」
例えば、灰色と黒が見分けられない。
「君もそう思わないか?」
ただ、数件に一件。異常なまでに色覚異常な人間が居る。
「・・・僕は逆に落ち着きますよ。この色」
例えば、赤が青に見える。
「へぇ、珍しい意見だな。緑はどうだ?」
例えば、緑が白に見える。
「野菜とかの色ですし、すっきりとした感じですね」
そんな人間が、居る。
「そういえば、最近ここら辺で通り魔殺人が起こってるらしいね。物騒なもんだ」
彼は動かない。
「話に聞くところによると、多くの通り魔は血の赤で興奮作用を覚えてるらしい。色の効果ダダ受けだな。どう思う?」
「ど、どうって、変ですよね。血で興奮するって」
彼は顔をこちらに向けない。俺は座ったまま、彼を見据えたまま話を続ける。
「だよな。変だよな。ただもっと変なのがさ、その通り魔、もとい殺人鬼、先日うっかり防犯カメラに写ったらしいんだ」
「・・・近所ですか?」
「ああ。裏路地らしいんだが、地域住民からの申し立てで街灯と監視カメラを先月取り付けたらしい。殺人鬼はそのこと知らなかったんだろうな」
「顔は、写ってたんです?」
彼の視線は両手に握られた林檎に集中している。
「いや、それがちょうど死角で被害者が無残に斬り捨てられる映像しか写って無くて実質進展なし」
「こ、怖いですね・・・」
「ああ」
怖いな。とても怖いよ。何がって、その防犯カメラに写った人間は緑色の時計をしていたんだから。
「加えてもっと不思議なことがあった。知りたいか?」
「・・・えぇ」
「その殺人鬼さ、流れる血を見て一息ついたと思ったら時計を見てゆっくりどこかへ行ったんだ」
「赤、は・・・興奮作用を促す色・・・」
「そう。でも犯人は逆に、刺した後のほうが落ち着いてたんだ。そして、時計を見てからは、その死体に目もくれなかった。まるで、そこから一旦切り替えるみたいにな」
「・・・な、なんですか。まるで僕が犯人みたいに。落ち着くのは青色、切り替えは白でしょう?僕が偶然赤と緑を見てそう思うからって、そんな」
「君にとっての赤と緑が、青と白だからだよ」
俺は青林檎を置き、言い放つ。
「君は、色覚異常患者だ。違うか?」
捜査を重ねて行く内に、ある一定の時間だけ目撃される人が居るとの証言を得た。
それを深く調べていくとこの学校のことがわかり、加えて人相と一致する生徒が五人ほど浮かび上がった。彼は、その五人目。
今までの四人にその兆候は無かった。予想通りの色の影響を語った。
しかし最後の彼はある意味で意図する回答を得られた。他の四人には無かった発言。
「そんなわけないじゃないですか・・・林檎は赤いですし、青林檎は緑ですよ?」
「あぁ、そうだ。林檎は赤くて青林檎は緑色だ。だがな、君と俺の赤は同じか?君と俺の緑は同じか?」
「・・・同じですよ」
「殺人鬼が防犯カメラで血を見て落ち着いていたのは、赤と名づけられた青から沈静色の効果を受けていたからじゃないのか?時計を見て興味を無くし歩き去ったのは、実は時計ではなく緑と名づけられた白を見ることで気持ちを切り替えて、無かったことにしていたからじゃないからか!?」
「違います!!赤は赤だ!第一、そんな効果を万人が受ける確証なんて無いじゃないですか!」
「あぁ、無い!だからこれを見ろ!」
俺が取り出したのは、病院のカルテ。捜査上必要だと請願してコピーを取ってきた。そこに書かれているのは、彼の名前と『病名、色覚異常』の文字。
「・・・ッ!!」
「もう、証拠は取れてんだよ・・・!」
そう、すでに彼が犯人である証拠はこれによって一応は取れていた。しかし、犯人自身が認めなければいけない。俺の信条だ。
「・・・最初は、違和感無く過ごしてたんだ・・・」
「・・・」
「でもある日、気付いたんだ。皆が赤色がカッコいい赤色がカッコいいって言ってるのに対して、僕は黄色のほうがカッコよく見えた」
「・・・君の黄色は、赤だったのか」
「えぇ・・・親に言ったら病院に連れてかれ、色覚異常だということがわかりました。おかしいですよね。黄色のほうが絶対カッコいいって言っただけで心配してくるんですよ僕の親」
「でも、その親御さんのお陰で君は色覚異常だと判明したんじゃないか」
彼は唐突に林檎を手放し立ち上がった。
「判明したからなんなんです!?僕は!医師に!他人とは見てるものが違う、皆に見えてるものが僕には同じように見えないって言われたんですよ!!?僕が見てるものは・・・誰にも伝わらないんですよ・・・!?」
床に転がった林檎が、俺のつま先に当たる。
「だからって、人を殺すことにどうして繋がる!?」
「僕以外の人間が皆消えれば!!!・・・僕の視界が正しいじゃないか・・・!」
彼は、静かに泣き崩れた。床の林檎を拾い上げる。
青林檎と見比べながら、青い林檎を想像してみた。
結局、彼は反抗することなく逮捕された。
感付かれてはいたのだろうが、刑事だということを隠していたのは今更だが申し訳なく思った。
「青い林檎、白い青林檎、か・・・」
一緒に林檎を食べるという約束、果たせなかったな。
林檎は、彼が犯人でなかったときに食べる予定だった。
カルテを受け取って尚、俺は彼が犯人だという証拠を認められずにいた。
なぜなら、ここは高校。年端のいかない若者が人を何人も殺しているだなんて、思いたくなかった。
パトカーを見送ると、夕日が住宅街の隙間に沈む頃だった。
俺は鞄から真っ赤な林檎を取り出し、夕日に林檎を重ねた。
まぁ私は緑色が一番好きなんですけどね。リラクセーション。