第三章「徹夜明けだった」
カーテンの隙間から差し込む朝日に気が付き、俺はカーテンを開けた。それと同時に、心地良い朝日が窓から差し込んで来る。その心地良さに、俺は思わず笑みを浮かべてしまう。
グッとのびをすると同時に、自然と口から欠伸がこぼれる。心地良い、平凡な朝というものは実に良いものだと思う。
すぐに机へ戻り、開いたままになっている本をゆっくりと閉じ、小さく嘆息する。
「やべえ、寝てねえ」
徹夜明けだった。
人間にとって睡眠というのは、三大欲求の一つであるということからわかるように非常に重要なもので、それを欠かすということは食事を欠かすことと同じくらいに良くないことだと俺は思っている。人間は睡眠を取ることで一日の疲れを癒し、脳は眠っている間に情報を整理する。更に、身体を成長させる成長ホルモンは睡眠時に分泌されるものであり、親が子供に「しっかり寝ないと大きくなれないぞ」というのは医学的根拠に基づいた忠告である。つまり睡眠を取らないということは人間にとって非常に問題のあることで、睡眠を取らない奴は自分の身体のことを真剣に考えていない大馬鹿野郎ということである。
つまり俺のことだった。
「え、じゃあお兄ちゃんあれからずっと起きてたの……?」
登校中、葉月と征との待ち合わせ場所へ向かう途中、心配そうな表情で奏はそう問うてきた。
「まあそういうことになる」
「そういえばお兄ちゃんが読んでた本、映画化したんだってね」
「お、そうなのか?」
初耳だった。
西原に勧められて読み始めたこの間のシリーズ物は全巻読破したので、今度はミステリー物の小説を西原に勧めてもらっていた。それが昨晩から俺が徹夜で読んでいた「インシテミヨウトハオモワナイ」だった。これが実に面白い小説で、ついついうっかり時間を忘れて読みふけっていた結果、徹夜するに至ったのだ。
「徹夜しちゃう程面白かったの?」
「まあ、な」
「でも駄目だよ、ちゃんと寝ないと……。身体壊しちゃうし」
「大丈夫だ。俺の身体は宇宙合金で出来ている」
「宇宙合金って何!? 宇宙って付ければ全部強く聞こえると思ってない!?」
「宇宙火災」
「凄そう!」
「宇宙大爆発」
「ビッグバン並みの爆発を想像しちゃう!」
「宇宙ダイナミック」
「相当ダイナミックだね!」
「宇宙美少年」
「銀河じゃなくて!?」
「宇宙モリンフェン」
「それは弱そうだよ!」
地味にマニアックなネタにもつっこめる奏は俺の自慢の妹です。
眠いものは眠い。それは抗えない欲求であり、身体が睡眠を欲している限り睡眠を取るのは当然のことだ。
「だからって一時間目から爆睡はねーだろ」
授業時間丸々睡眠に使ったというのにまだ眠気が取れず、机に突っ伏した状態の俺を眺めつつ、龍二は呆れた様子で嘆息した。
「良いんだよ。どうせあのハゲ狸は意味のない話しかしてないだろ?」
「ん、まあそうだけど」
苦笑しつつ、龍二は相槌を打つ。
「そういや面白い話があるんだけどな……」
「面白くなかったらぶっ殺すぞ」
「ハードル高くね!? 何で生死に関わんだよ!」
「面白かったら笑ってやる」
「ハイリスクローリターン!?」
「よし、とりあえず話せ」
「死ぬ危険性がある話なんかするかー!」
いやまあ流石に冗談だけどな。
「まあ面白いっつか笑い話じゃないんだけどな……ロト6ってあるじゃん?」
「ああ、あれね」
ロト6とは、簡単に言えば手軽に買える宝くじみたいなもので、最大で億単位の大金を当てることが出来るくじだ。「ロトで人生変えたろっと」というCMを見たことがある人は少なくないハズだ。
「俺の知り合いにさ、宝くじ中毒の奴がいるんだよ」
「宝くじ中毒……ねえ」
俺に言わせてもらえば、宝くじは夢を見るための娯楽であり、大金を当てて幸せになることを本気で狙うようなものじゃない。故に、宝くじ中毒の奴なんてのはアホとしか思えない。
「そいつがさ、こないだ一億当てたんだよ」
「ロト6でか?」
「ああ」
「へぇ……そんなの当てる奴ってホントにいたんだなぁ」
ロト6で一億を当てる確率なんて計算するのも馬鹿らしくなる程低いハズだ。それを当てたというのは相当な強運だろう。それともそいつの場合、宝くじに対する執念の賜物なのかも知れない。まあ何にしても、めでたい話だ。
「それでそいつが変な奴でさ……」
龍二が言い切る前に、チャイムが鳴り響いた。どうやら気付かない内に二時間目開始時間が迫っていたらしい。
「うし、俺もう寝るわ。お前は席戻れ」
「まだ寝る気かよ!」
結局、ロト6当てた奴の話の続きは聞きそびれたままだった。
放課後、いつものように図書館へ向かうと、いつものように西原が本を読みながら待っていた。いや、待っていたというよりは本を読んでいただけ、と表現した方が正しいのかも知れない。ただ図書室で本を読んでいたら、そこへたまたま俺が現れただけ、という方が正しいのかも知れない。別に時間を合わせて待ち合わせしているわけではない。ただ同じ時間帯に図書室へ来ているだけだった。
しかしそれでも、こうして放課後図書室で西原と会うのはもうほとんど日課のようなものだった。彼女と会うようになってからは、下校時間がいつもより遅くなっているため、奏や葉月達とはしばらく一緒に帰っていない。
「本、読んだ?」
何も言わず、そっと西原の隣へ座った俺に、西原はそう問うた。
「ああ、徹夜で読んだ」
「徹夜で? それって大丈夫なの……?」
やや不安げな表情を見せる西原へ、大丈夫だ、と軽く答える。
「俺の身体は宇宙合金で出来てるからな」
「そうなの? ちなみに私の身体は超宇宙合金で出来てるわ」
「宇宙合金を超えた合金!? 超宇宙って付けたら何でも凄そうだよな!」
「超宇宙火災」
「惑星一つ燃えそうだ!」
「超宇宙大爆発」
「もう一つの宇宙生まれそう!」
「超宇宙ダイナミック」
「宇宙さえ超越したダイナミックさ!」
「超銀河美少年」
「超宇宙じゃない!? っつかグレンラガンみたいになってんぞ!?」
「超宇宙モリンフェン」
「メチャクチャ強そうだー!」
図書委員及び他の利用者にすごく睨まれた。
あの後は静かに図書室で過ごし、俺はまた懲りずに西原に勧められた小説を借りた。今度は徹夜してしまわぬよう、ちゃんと計画的に読もうと思う。
「映画化するの、知ってる?」
「映画化って……『インシテミヨウトハオモワナイ』のことか?」
下駄箱で靴を履き替えつつ、西原へそう問うと、西原は静かに微笑んだ。
「最近記憶の調子も良いし、ちょっと映画でも見たいかなぁって」
「調子悪い時は見ないのか?」
「うん、忘れちゃうから」
そう言った西原の表情は寂しげで、すぐに俺の問いが失言だったことに気が付く。ハッとなって黙り込む俺をよそに、西原は静かに微笑んだ。
「ね、今度行かない? 映画」
「俺と……西原で?」
「うん。柚原君、徹夜で読んじゃう程面白かったんでしょ? それとも、私とじゃ嫌? それなら妹さんや友達を連れてきても……」
「いやいや、西原と行くのが嫌なんじゃねーよ。ただ、その……」
デートみたいだな、って。
恥ずかしくて口に出せずにいる俺を、西原はキョトンとした表情で見つめている。
「いや、うん。良いよ。行こう」
「ホント? 実はもう、チケットも用意してあったりして」
ちょっと照れ臭そうな表情で、西原はポケットから二枚のチケットを取り出して俺へ差し出した。そんな西原を見、俺は微笑すると差し出されたチケットの内一枚を受け取った。
「用意周到だな」
「べ、別にアンタと行きたかったわけじゃないんだからねっ!」
「突然のツンデレ反応!?」
「あれ? 柚原君ってツンデレ好きじゃなかったっけ?」
「そんな設定は俺にはねえよ!」
「今私が作ってあげたんだからねっ!」
「うるせえよ!」
そんな軽口を叩き合いながら、映画の日の予定を話し合いつつ、俺と西原は校門の前で別れた。
ギュッと。一枚のチケット握り締める。
「誘えた……」
誰に言うでもなく呟くと同時に、自分が一人で微笑んでいることに気付き、恥ずかしくなって頬を赤らめる。
誰かと映画を見に行くなんてことは、事故に遭う前に一度友達と行って以来だった。チケットを大事にポケットへしまい込み、彼女は、西原詩帆はもう一度微笑んだ。
誰かと映画に行くから嬉しいのではなく、柚原翔と映画に行くから嬉しいのだと、今の詩帆は気付かない。
その感情が恋であると詩帆が自覚するのに、然程時間は必要なかった。