寄り添う傘
社会人。
見覚えのある傘だった。
いや、気のせいか。
黒い傘なんてどれも似たようなものだ。
高校生のカップルを見送ったあと、ふと懐かしい思いに心を捉われた。
いや、懐かしいと思えるほどには風化していない、まだ少し痛む思い。
「じゃあ、ありがとうね」
身重だと判明したばかりの義理の姉が、柔らかくふんわりと笑った。その笑顔に、少し癒される。
幸せそのもの、といったような感じがする。
兄はうまいことやってるんだろうな。
「気をつけて帰って」
「うん。お義母さんたちによろしくね」
「智兄には、また俺から電話するわ、おめでとうって」
「そうしてやって」
くるりくるりと、花柄の傘が、駅の改札へと向かっていった。
もし別れていなければ。
あいつもあんなふうな笑顔で俺を見つめてくれただろうか。
一緒にいることがつらいと、あいつは言った。
その時の泣き顔を、今も覚えている。
そして、それは俺がしっかりしていなかったせいだということも知っていた。
彼女は、中学からずっと一緒だった。
高校で初めて同じクラスになり、席が隣になり。あとはお決まりの展開で、気がつくとすでに好きになっていた。
今思うと夢中だったんだ。
1日24時間一緒にいたって物足りないと思ってた時期もあった。
あのときが一番熱かったのかも知れない。
一生を、彼女と共に居れるとそう信じてた。
高校生だった俺たちの恋は、終わることはなかった。
大学へ進んだ後も、その気持ちは変わらなかった。
だから、就職した後も、変わらずに続いていくものだと、俺はうぬぼれていた。
だから気づいたときにはもう遅かったんだ。
ずれ始めた歯車は、いつの間にか外れて、どこかへ転がっていってしまったあとだった。
お互いの言葉に傷つきながら、必死になってその隙間を埋めようとしたけど手遅れだった。
夢中だった、就職してからの1年。
早く仕事を覚えたかったし、成果を出すために自分の時間をずいぶんと犠牲にしてしまってた。あいつとの、時間までも。
休みがずれていることなんて、好きでいるなら関係ないと思っていた。そんなことで俺たちは揺るがないと思っていた。
甘かったんだ。
時間がすれ違った分、気持ちがすれ違っていった。修復する時間すら取れなくて。そうして俺たちは壊れてしまった。
「別れようか」
そう言った、彼女の気持ち。痛いほど理解できた。
そうして気付いたんだ。俺も同じ気持ちでいたことに。
ほっとしてしまった自分が、許せなかった。
それでも、あのとき、引き止めていれば。
好きだという気持ちだけは、確かに自分の中にあったのに。
なのに。
彼女と別れてもう一年がたとうとしている。
未練といわれても、否定できなかった。
あのときに、俺たちは終わってしまった。
なのに未だに俺は彼女のことを思い出す。
とても愛しい気持ちと、切ない気持ちとともに。
失ってから気付いたその大切さ。
どうしても考えてしまうんだ。今なら、あのときの彼女を抱きしめてやれるのに、と。
バカだったあのときの俺を張り倒して、そうして彼女を俺のものにするのに、と。
傘を。
彼女の部屋に、わざと置き忘れたままの傘を。
何度取りに行こうとしただろうか?
もう、捨ててしまったに違いないのに。
きっと、彼女とはもう二度と会えない。
偶然街で会うにしては、彼女の住む街と俺の住む街は、離れすぎている。
それに今さら会ったところで、きっと彼女のそばには俺の居場所はない。
彼女の家を覚えていても、電話番号を覚えていても。
行かなければ、かけなければ、意味がないのと同じように。
いつもなら、バスに乗って通り過ぎる街の中を、俺はゆっくりと歩き出した。
霧のように細かくなった雨の中。
ゆっくり、ゆっくりと、想いを馳せながら歩いていく。
そうして。
俺たちは再び巡り会った。
急に晴れ間の覗いた空の下。
きらきらと涙のように輝く雨の中。
ふたつの寄り添った傘の下で。
止まった恋が、動き出す。
つながってましたね。




